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16 望み

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 * * *

「米はたくさんある……。そうだ、寿司みたいなのも作ってみようかな。調味料になりそうなものをもっと探そう。今はまだ重たくて無理だろうけど、そのうちおにぎりフライも食べてもらいたいな」

 ヨーロッパのアルバニアにはチフチという米とハーブを混ぜて団子にして揚げた料理がある。中に何か仕込めば、より面白いものになるかもしれない。
 と一人、夜の部屋で興奮しながら書き物をしていると、扉の向こうから声をかけられた。

「イリス、入ってもいい?」
「セフィドリーフ様。もちろんです、どうぞ」

 セフィドリーフは手も触れずにドアを開閉させて入ってきた。机の灯火の明るさを頼りに紙に何かを書きつけていたイリスを見て、目を細める。

「何を書いていたの?」
「新しい料理の案を考えていたんです。使わないかと思っていたけど、筆記具や紙を持ってきて良かった。アエラスから教えてもらったこととか、見つけた食材について判明したことを忘れないように書きとめているんですよ。今度、報告のために山を下りて神殿へ顔を出す予定なので、その時にもっと紙を仕入れてこないとな」

 聖獣や精霊は書き物をしないので、紙は保管していないらしい。イリスは記憶力がとても悪い方というわけでもないが、覚えるべき事柄があまりに多いので、書きとめておく方が混乱しないで済む。

「また明日、出かけていってもいいでしょうか? 夜にしか見つからない食材もありますから。ああ、天気次第だけど、夜霧が出てたら集めに行きたいな……」

 胸を弾ませるイリスを、セフィドリーフは見つめてため息をつく。

「熱心だね、イリス。でもこれってほとんどが……」

 セフィドリーフは机に近づいてくると、イリスの書いた文字を指でなぞった。

「私のためなんだろうね」

 イリスは一瞬、どう答えるべきか迷った。返答の種類はたくさんある。
 そうです、と言えば負担に思われるだろうか。私は料理が好きなのでそれだけだと言えば、かえって傷つけるだろうか。
 嫌な気持ちになってもらいたくない。初めは嫌われていたっていいと覚悟していたのに、今では拒絶されるのが酷く恐ろしくなっている。

「……私は、あなたのお役に立てているでしょうか?」

 質問に答えず、質問で返してしまった。これは無礼なことだ。しかもまた、どこか卑屈な言い方になってしまっている。私のようなものが、とか、私なんかが、などと言うのを彼は好ましく思っていない。
 すがるような目つきになっているのを自覚する。ここにいられるだけで幸せなのに、必要とされたいと望むなど、なんて贅沢なのだろう。そんな欲深さが自分を行動へと駆り立てているようで恥じ入った。

「役に立っているよ、イリス。ありがとう。君のおかげで随分力を取り戻したんだ」

 セフィドリーフはうっすら笑って、イリスの頭を撫でた。

「君にはよく働いてもらっているね。何かしてやらなくちゃな。望みを言ってごらん」

 突然そんなことを言われて、イリスは目を白黒させた。望みを言うだなんて滅相もない。そこで少々イリスとセフィドリーフは揉めることとなった。
 望みなんて何もない、欲しい物もない、とイリスは繰り返すが、セフィドリーフも引かない。これ以上押し問答になって万が一にも険悪な雰囲気になってしまったら、と恐れたイリスは、とっさに以前から思っていたことを口走ってしまった。

「そ、それでは、あなたの耳と尻尾が見たいです」
「え?」
「ほら、その……前に一度耳が……見えた時があった……ではないですか……」

 語尾が尻すぼみになって消えていく。口に出しながら激しく後悔したが、一度出した言葉は引っ込められない。

「私の耳と尾? そんなもの見たって面白くないだろう」
「でも……それがセフィドリーフ様の真のお姿だとアエラスから聞いたので……」

 イリスは真っ赤になってうつむいた。言ってしまったからには、もっと気の利いた言い方をしたかった。興味本位で面白がって見たがってると思われたくない。
 私のために、耳や尾を隠してもらう必要なんてないんです――あの時見た耳はふさふさしていて綺麗で、神々しくて、もう一度見たくて――あの耳が私は好きです――。
 どれを言っても気まずくなりそうだ。どうして自分はこんなに口下手なのだろう。

「こんなので良かったらいいよ」

 彼がそう言うのと同時に、うつむく視界の隅にふわっと白い影がよぎった。はっとして顔を上げる。何とも言えない顔をしたセフィドリーフの頭には獣のような耳が生えており、大きな尾はゆうらりと揺れている。外より窓から射し込む月光が、にわかに尾の毛を輝かせていた。

(これが、セフィドリーフ様の尻尾……)

 何て柔らかそうな被毛なのだろう。触りたいとの欲求が高まったが、自制心によってその願望はうっかり言葉にせずに済んだ。
 セフィドリーフの眉はひそめられ、唇の端も力が入っているのか歪んでいる。

(あっ、やっぱり気を悪くされたかな……!)

 すっかり見とれていたので、イリスもしばらく無言だった。慌てて取り繕うとする。

「きっ綺麗です、セフィドリーフ様! 髪の色と同じなんですね!」
「嫌悪感を覚えない?」
「はい?」
「我々聖獣の二つ足の姿はさ、人間とよく似ているだろう? でも一部が違う。人間はそういう、『違う者』に対してはあまり良い反応を示さないことが多い。気味が悪い、と畏怖を抱く」

 真の姿を見れたという高揚感や、望みを口走ってしまった羞恥心などからほとんど舞い上がって取り乱していたイリスだったが、セフィドリーフの言葉に、火照った頬が冷えていくのを感じた。
 彼の顔はほとんど無表情になっている。少しの間そんなセフィドリーフを呆然と見つめていたイリスだったが、弱々しく笑顔を浮かべた。

「あなたに……失礼な口を利いた人間がいるのなら、私が代わりに謝ります。けれどセフィドリーフ様、私はちっとも気味が悪いなんて思いませんよ。あなたは美しい」

 一度だって、彼に畏怖の念を覚えたことはない。
 おそらくいつか、誰かがセフィドリーフを拒絶したのだろう。その程度で傷つく人だとは思わない。ただ、困惑したのかもしれない。
 驚かれたくないから彼は人の姿を装っているのではない。驚かせたくないから、なのだ。

「元の姿に戻ると、魔力を放つことになるからね。見た目の他に、ちょっとまとう空気が変わったと感じるんじゃないのかな」

 確かに、神々しさは増している。耳と尾が加わったことによって、現実味のない美しさが増したという感じだ。

「さっきの姿も綺麗でしたけど、セフィドリーフ様はもっと綺麗になれるんですね……」

 ぼんやりとした目でそう言えば、顔をしかめてセフィドリーフはまた椅子に座っているイリスの頭を撫でた。

「何を言っているんだ、君は。寝ぼけてるのか? やはり、変わり者だな」

 そしてうなじに手を添えると、ぐっと顔を近づけた。

「怖くないか? イリス。私は君とは違う生き物だ。油断していると、食われるかもしれないぞ。聖獣ゆえに、生け贄として君を欲するかもよ?」

 悪戯っぽく笑って、セフィドリーフは犬歯を見せる。薄暗がりの中、それはやけに白く際だっていた。かすかに、ぐるると唸る獣のような声が聞こえた気がする。

「食われても……いいかもしれないです」
「は?」
「セフィドリーフ様が望むなら構いません」
「冗談だよ、イリス」
「わかってます……あなたはまだ軽いものしかお食べになれないので、いきなり私なんか食べたら腹が受け付けませんよ」
「聞いてるの? 食べないってば」

 セフィドリーフはイリスの気が確かかと不安に思ったのか、顔の前で手を振る。近頃眠れてないのか、とも問われた。睡眠不足で譫言を言っている可能性を考えたようだ。
 心配して顔をのぞきこまれているのをいいことに、イリスはうっとりしながらセフィドリーフの顔を間近で見つめる。

「こんなに綺麗な人を見たのは、初めてなんです」

 月のような美貌は、いつまでも見ていられる。セフィドリーフは瞬きをしながら、恍惚としているイリスを見つめ返していた。
 が、突然イリスの視界は真っ白く染まった。そして顔面にふさふさとした柔らかい感触。

「わぶっ!」
「もう寝なさい、イリス。夜更かしもほどほどに。君ってやっぱり寝不足なんだよ。だから頭がどうかしているんだな」

 背中を向けたセフィドリーフの尾が顔に当たったらしい。歓喜でイリスは赤面する。触れたいという願いがすぐに叶ってしまったのだ。
 やれやれ、と部屋を出て行こうとするセフィドリーフに慌ててイリスは声をかけた。

「あのっ……! セフィドリーフ様、もし良ければ明日からもその姿でいていただけたら……!」

 セフィドリーフはちらりとイリスの方を顧みると、軽く肩をすくめた。閉まる扉の向こうに、銀色の姿が消えていく。
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