16 / 60
16 望み
しおりを挟む* * *
「米はたくさんある……。そうだ、寿司みたいなのも作ってみようかな。調味料になりそうなものをもっと探そう。今はまだ重たくて無理だろうけど、そのうちおにぎりフライも食べてもらいたいな」
ヨーロッパのアルバニアにはチフチという米とハーブを混ぜて団子にして揚げた料理がある。中に何か仕込めば、より面白いものになるかもしれない。
と一人、夜の部屋で興奮しながら書き物をしていると、扉の向こうから声をかけられた。
「イリス、入ってもいい?」
「セフィドリーフ様。もちろんです、どうぞ」
セフィドリーフは手も触れずにドアを開閉させて入ってきた。机の灯火の明るさを頼りに紙に何かを書きつけていたイリスを見て、目を細める。
「何を書いていたの?」
「新しい料理の案を考えていたんです。使わないかと思っていたけど、筆記具や紙を持ってきて良かった。アエラスから教えてもらったこととか、見つけた食材について判明したことを忘れないように書きとめているんですよ。今度、報告のために山を下りて神殿へ顔を出す予定なので、その時にもっと紙を仕入れてこないとな」
聖獣や精霊は書き物をしないので、紙は保管していないらしい。イリスは記憶力がとても悪い方というわけでもないが、覚えるべき事柄があまりに多いので、書きとめておく方が混乱しないで済む。
「また明日、出かけていってもいいでしょうか? 夜にしか見つからない食材もありますから。ああ、天気次第だけど、夜霧が出てたら集めに行きたいな……」
胸を弾ませるイリスを、セフィドリーフは見つめてため息をつく。
「熱心だね、イリス。でもこれってほとんどが……」
セフィドリーフは机に近づいてくると、イリスの書いた文字を指でなぞった。
「私のためなんだろうね」
イリスは一瞬、どう答えるべきか迷った。返答の種類はたくさんある。
そうです、と言えば負担に思われるだろうか。私は料理が好きなのでそれだけだと言えば、かえって傷つけるだろうか。
嫌な気持ちになってもらいたくない。初めは嫌われていたっていいと覚悟していたのに、今では拒絶されるのが酷く恐ろしくなっている。
「……私は、あなたのお役に立てているでしょうか?」
質問に答えず、質問で返してしまった。これは無礼なことだ。しかもまた、どこか卑屈な言い方になってしまっている。私のようなものが、とか、私なんかが、などと言うのを彼は好ましく思っていない。
すがるような目つきになっているのを自覚する。ここにいられるだけで幸せなのに、必要とされたいと望むなど、なんて贅沢なのだろう。そんな欲深さが自分を行動へと駆り立てているようで恥じ入った。
「役に立っているよ、イリス。ありがとう。君のおかげで随分力を取り戻したんだ」
セフィドリーフはうっすら笑って、イリスの頭を撫でた。
「君にはよく働いてもらっているね。何かしてやらなくちゃな。望みを言ってごらん」
突然そんなことを言われて、イリスは目を白黒させた。望みを言うだなんて滅相もない。そこで少々イリスとセフィドリーフは揉めることとなった。
望みなんて何もない、欲しい物もない、とイリスは繰り返すが、セフィドリーフも引かない。これ以上押し問答になって万が一にも険悪な雰囲気になってしまったら、と恐れたイリスは、とっさに以前から思っていたことを口走ってしまった。
「そ、それでは、あなたの耳と尻尾が見たいです」
「え?」
「ほら、その……前に一度耳が……見えた時があった……ではないですか……」
語尾が尻すぼみになって消えていく。口に出しながら激しく後悔したが、一度出した言葉は引っ込められない。
「私の耳と尾? そんなもの見たって面白くないだろう」
「でも……それがセフィドリーフ様の真のお姿だとアエラスから聞いたので……」
イリスは真っ赤になってうつむいた。言ってしまったからには、もっと気の利いた言い方をしたかった。興味本位で面白がって見たがってると思われたくない。
私のために、耳や尾を隠してもらう必要なんてないんです――あの時見た耳はふさふさしていて綺麗で、神々しくて、もう一度見たくて――あの耳が私は好きです――。
どれを言っても気まずくなりそうだ。どうして自分はこんなに口下手なのだろう。
「こんなので良かったらいいよ」
彼がそう言うのと同時に、うつむく視界の隅にふわっと白い影がよぎった。はっとして顔を上げる。何とも言えない顔をしたセフィドリーフの頭には獣のような耳が生えており、大きな尾はゆうらりと揺れている。外より窓から射し込む月光が、にわかに尾の毛を輝かせていた。
(これが、セフィドリーフ様の尻尾……)
何て柔らかそうな被毛なのだろう。触りたいとの欲求が高まったが、自制心によってその願望はうっかり言葉にせずに済んだ。
セフィドリーフの眉はひそめられ、唇の端も力が入っているのか歪んでいる。
(あっ、やっぱり気を悪くされたかな……!)
すっかり見とれていたので、イリスもしばらく無言だった。慌てて取り繕うとする。
「きっ綺麗です、セフィドリーフ様! 髪の色と同じなんですね!」
「嫌悪感を覚えない?」
「はい?」
「我々聖獣の二つ足の姿はさ、人間とよく似ているだろう? でも一部が違う。人間はそういう、『違う者』に対してはあまり良い反応を示さないことが多い。気味が悪い、と畏怖を抱く」
真の姿を見れたという高揚感や、望みを口走ってしまった羞恥心などからほとんど舞い上がって取り乱していたイリスだったが、セフィドリーフの言葉に、火照った頬が冷えていくのを感じた。
彼の顔はほとんど無表情になっている。少しの間そんなセフィドリーフを呆然と見つめていたイリスだったが、弱々しく笑顔を浮かべた。
「あなたに……失礼な口を利いた人間がいるのなら、私が代わりに謝ります。けれどセフィドリーフ様、私はちっとも気味が悪いなんて思いませんよ。あなたは美しい」
一度だって、彼に畏怖の念を覚えたことはない。
おそらくいつか、誰かがセフィドリーフを拒絶したのだろう。その程度で傷つく人だとは思わない。ただ、困惑したのかもしれない。
驚かれたくないから彼は人の姿を装っているのではない。驚かせたくないから、なのだ。
「元の姿に戻ると、魔力を放つことになるからね。見た目の他に、ちょっとまとう空気が変わったと感じるんじゃないのかな」
確かに、神々しさは増している。耳と尾が加わったことによって、現実味のない美しさが増したという感じだ。
「さっきの姿も綺麗でしたけど、セフィドリーフ様はもっと綺麗になれるんですね……」
ぼんやりとした目でそう言えば、顔をしかめてセフィドリーフはまた椅子に座っているイリスの頭を撫でた。
「何を言っているんだ、君は。寝ぼけてるのか? やはり、変わり者だな」
そしてうなじに手を添えると、ぐっと顔を近づけた。
「怖くないか? イリス。私は君とは違う生き物だ。油断していると、食われるかもしれないぞ。聖獣ゆえに、生け贄として君を欲するかもよ?」
悪戯っぽく笑って、セフィドリーフは犬歯を見せる。薄暗がりの中、それはやけに白く際だっていた。かすかに、ぐるると唸る獣のような声が聞こえた気がする。
「食われても……いいかもしれないです」
「は?」
「セフィドリーフ様が望むなら構いません」
「冗談だよ、イリス」
「わかってます……あなたはまだ軽いものしかお食べになれないので、いきなり私なんか食べたら腹が受け付けませんよ」
「聞いてるの? 食べないってば」
セフィドリーフはイリスの気が確かかと不安に思ったのか、顔の前で手を振る。近頃眠れてないのか、とも問われた。睡眠不足で譫言を言っている可能性を考えたようだ。
心配して顔をのぞきこまれているのをいいことに、イリスはうっとりしながらセフィドリーフの顔を間近で見つめる。
「こんなに綺麗な人を見たのは、初めてなんです」
月のような美貌は、いつまでも見ていられる。セフィドリーフは瞬きをしながら、恍惚としているイリスを見つめ返していた。
が、突然イリスの視界は真っ白く染まった。そして顔面にふさふさとした柔らかい感触。
「わぶっ!」
「もう寝なさい、イリス。夜更かしもほどほどに。君ってやっぱり寝不足なんだよ。だから頭がどうかしているんだな」
背中を向けたセフィドリーフの尾が顔に当たったらしい。歓喜でイリスは赤面する。触れたいという願いがすぐに叶ってしまったのだ。
やれやれ、と部屋を出て行こうとするセフィドリーフに慌ててイリスは声をかけた。
「あのっ……! セフィドリーフ様、もし良ければ明日からもその姿でいていただけたら……!」
セフィドリーフはちらりとイリスの方を顧みると、軽く肩をすくめた。閉まる扉の向こうに、銀色の姿が消えていく。
2
お気に入りに追加
151
あなたにおすすめの小説
虐げられた落ちこぼれ令嬢は、若き天才王子様に溺愛される~才能ある姉と比べられ無能扱いされていた私ですが、前世の記憶を思い出して覚醒しました~
日之影ソラ
恋愛
異能の強さで人間としての価値が決まる世界。国内でも有数の貴族に生まれた双子は、姉は才能あふれる天才で、妹は無能力者の役立たずだった。幼いころから比べられ、虐げられてきた妹リアリスは、いつしか何にも期待しないようになった。
十五歳の誕生日に突然強大な力に目覚めたリアリスだったが、前世の記憶とこれまでの経験を経て、力を隠して平穏に生きることにする。
さらに時がたち、十七歳になったリアリスは、変わらず両親や姉からは罵倒され惨めな扱いを受けていた。それでも平穏に暮らせるならと、気にしないでいた彼女だったが、とあるパーティーで運命の出会いを果たす。
異能の大天才、第六王子に力がばれてしまったリアリス。彼女の人生はどうなってしまうのか。
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~
日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。
そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。
ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。
身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。
様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。
何があっても関係ありません!
私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます!
『本物の恋、見つけました』の続編です。
二章から読んでも楽しめるようになっています。
別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが
リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!?
※ご都合主義展開
※全7話
運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~
日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。
女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。
婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。
あらゆる不幸が彼女を襲う。
果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか?
選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!
救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~
日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。
そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。
優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。
しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる