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番外編
「子猫を愛でる」
しおりを挟むカーターは鏡に向かって立ち、剣の刃を首筋にあてていた。これをちょっと動かすだけで、死ねるのだ。
「何をしている」
低い声にはっとすると、鏡の中の自分の後ろに、さっきまではいなかったはずの背の高い人の姿があった。
カーターは振り向きながらその人を見上げる。
「ゾンネ様……」
ゾンネ・ハルファースは相変わらず青白い顔をして凍てついたような表情でカーターを見下ろしていた。そっとカーターの手から剣を取り上げる。
「どこでこれを?」
「部屋の壁に飾ってありましたから。暖炉にのぼって取りました。ごめんなさい」
「お前は本当に、猫のようだな。来なさい」
抜き身の剣を手にしたまま、ハルファースは長い衣の裾を引きずって歩いていく。その後ろをカーターはちょこちょこついていった。
館の使用人達はハルファースが通りかかると皆背筋をのばし、礼をする。
ハルファースは私室に戻ると寝台に腰かけた。
「何をするつもりだったのだ?」
「死のうと思って」
「何故だ」
「ゾンネ様のご病気は僕が運んできたものだと、聞いたんです。責任を取らなくちゃならないと思って」
カーターはこの身以外何も持っていなかった。だから身を持って償うしか方法はない。
従僕達がひそひそ話すのを耳にしたのだ。ハルファース様はどうやらカーターから呪いをうつされたらしい、と。
黒角の君が連れてきた医者は何も言っていなかったそうなのだが、いろいろ調べた結果勘づいた誰かが言い出したらしい。
「お前はただ運んだだけだ。故意的でないのは知っている」
「でも……」
ゾンネ・ハルファースほどの人物に自分が害を与えたのは間違いない。故意であるかどうかは関係なくて、それはとてつもない重罪に思えたのだ。
ハルファースは顔色を変えずに言った。
「お前は確か散々、私にまだ生きるよう頼みこんできたはずだ。それで私も気が変わったのだが、そう言ったお前は私を置いてさっさと消えるというのか?」
カーターがここへ来た時から、ハルファースの体調は優れなかった。一日の大半を寝台で過ごし、カーターが住むようになってからはますます寝ついてしまったのだ。
もう長くはない、とハルファースが繰り返すのが悲しくて、カーターは寝床で彼の冷たい腕に顔をこすりつけながら「生きてください」と懇願した。
ハルファースと見つめ合っていたカーターは、口を尖らせてハルファースの方へと向かう。寝台の、彼の隣に腰を下ろした。
「怒ってますか?」
「いいや」
ハルファースの横顔の輪郭は、完璧なまでに美しい線を描いている。何百年も生きているとは思えないほど若々しく、しかし長く生きたからこそのこの妖しい美貌を備えているのだろうとも思わせた。
ハルファースは、カーターがいくら不躾に眺めようとも叱ったりはしない。時々、ハルファースに見入っているカーターに視線をちらりと投げるだけである。
カーターはこうして起き上がれるようになるまでのハルファースのことを思い出していた。
ものをよく知らないカーターだったが、ハルファースが何かに疲れているというか、飽いているのだということはわかった。
カーターが初めて対面した時、横たわっていたハルファースは顔を動かしてカーターを見ると、「私が怖くないか」と尋ねた。怖い人だと聞いていたけれど恐怖よりも顔の美しさに驚嘆したカーターは彼に惚れ惚れとしながら、「怖くありません」とにっこりして正直に答えた。するとハルファースは、「愛いやつだ」と笑った。
その笑顔を向けられただけで、カーターは自分の一生をこの人に捧げていいと思った。どうしてだかはわからない。
ハルファースもカーターを気に入ったようで、お互い深い理由はなさそうだった。一目見て、笑顔を向けられ、それが好ましく思えたのだ。魂に、すっと入り込むような顔かたち、表情というのが誰にでもある。それがたまたまハルファースとカーターは一致したのだろう。
ハルファースは自分をゾンネと呼ぶことを許し、カーターをそばによく呼んだ。カーターは何もしない。一緒に横になったり、寝台のそばで本を読んだりするだけだ。
たくさん会話をするわけではなかったが、それでよかった。カーターも少しも居心地が悪くなく過ごせた。
あれは食べませんかとかこれをしませんかとか誘っても、決まってハルファースは「もうよい」としか答えない。
「長く生きて、もう飽いた」
この言葉を聞くと悲しみが溢れて、カーターはハルファースの寝床でしくしく泣いた。まだ生きてほしい、それだけでいい、と何度も泣きながらお願いした。
「何故私に生きていてほしいのだ?」
「ゾンネ様が好きだからです。好きな人にはいなくなってほしくないです。退屈なら僕がいくらでも踊って歌います。もう少し一緒にいましょう」
ハルファースがどれほど悪人だったとしても、カーターには関係なかった。頭を撫でてくれて、愛いやつだと喜んでくれる飼い主でしかない。
ハルファースも、それほど熱意を持ってではないにしろ、カーターを気に入ってくれているようだった。それは絶対的に失いたくない伴侶のような存在ではなく、美しい彫金細工の施されたお気に入りの煙管、というくらいのものなのだろう。それでもよかった。
ハルファースはよくカーターを撫でた。頭はもちろんのこと、いろいろな敏感な部分も愛撫した。しかし触れ方はいたずらめいていて、ハルファースはカーターに挿入を試みたことはない。
恐れを知らないカーターは、珍しく立っているハルファースの股間に目をやって、「やはりお元気になれないのでしょうか」と肩を落として呟いた。するとハルファースが笑い声をもらして、「勃たぬということはない。魔人の精力を舐めるなよ。しかしお前のその華奢な体で私のものを受け入れるのは不可能だ。壊れてしまうゆえ」と着ているものをはらはらと脱ぎ始める。
何の躊躇もなく裸体をさらしたハルファースは、どうだ? と言うように首を傾げた。
美しい肉体と、人間では規格外ともいえる「それ」を見たカーターはしばし絶句したが、「頑張りますからやってみましょう」と歩み寄った。なおも笑い続けてハルファースはカーターをつかんでとどめるのだった。
「お前とくだらぬ話をするのは面白い」
ハルファースが微笑むので、僕は馬鹿でよかった、だからゾンネ様が笑ってくださるんだとほっとした。
そんなことを思い出しながら、カーターはいつものようにハルファースの膝にちょこりと乗った。ハルファースも当たり前のように受け入れて、カーターの頭を撫でる。
もしかしたらハルファースは病気の原因も最初から思い当たっていたのかもしれない。憂鬱に過ごしていたから、どうにかする気もなくなっていたのだろう。
(とすると、僕を寄越したのはツァイテール様で、ゼルガーダン様も噛んでいる。それにも気づいていたのかな)
もし知ってて甥のゼルガーダンに知らないふりをしているのだとしたら、恐ろしいことである。カーターにはどうでもよかったが。
「黒角の君のところにいるお医者様が、優秀な方でよかったですね。あの、眼鏡をかけたおじさん。ライム様と言いましたか?」
「そうだ。久々に会ったな。黒角のところに身を寄せているとは思わなかったが」
「お知り合いですか」
「あれは典医であったからな」
「テンイ?」
「王の侍医を務めていた。遠い昔だが」
よくわからないが、偉い人を診察する医者のことなのだろう。だからハルファースの病も癒せたのだ。
「黒角の君はどのような方でしたか」
「面白い小僧だ。思うに、あれがきっと天下を取るぞ。奴が望まなくてもな。黒角はそういう星のもとに生まれている」
「天下を取るのはゼルガーダン様ではないのですか」
「あんな臆病者に天下は取れぬ」
身内であるのになかなか辛辣である。これもやはり、カーターにとってはどうでもいい話ではあった。
大切なことは、ハルファースが生きていて、話ができて、カーターの頭を撫でてくれることなのだ。
カーターは膝から下りると服を脱ぎ、ハルファースの方へと向き直る。
「ゾンネ様、これをくださってありがとうございました」
下腹部から性器にかけて刻まれているのは特殊な紋様。性奴隷の淫紋である。
ねだって老化も止めてもらったので、もう老いる心配はせずに済み、苦痛なくハルファースと繋がれる。カーターは子猫であり、奉仕をするという仕事も得た。それがとても幸福だった。
全裸のまま近づいていくカーターは座るハルファースの肩に手をかけて、冷たい唇に唇を重ねた。ひやりとする舌がカーターの口内に侵入し、温もりを奪っていく。
いつも窓は開いている、とハルファースはよくカーターに言った。いつでも好きな時に出て行くといい、と。淫紋はお前が飽きたら消してやる。好きなところに行くがいい。
しかしカーターが言われたいのはそんな言葉ではない。
一生そばにいろ。そう命令されたかった。
長い舌がカーターの中をさぐり続ける。緩やかに息を奪われて、カーターは恍惚としていた。
遠くで、獣の吠える声が聞こえる。近頃新しく犬が連れてこられたらしいが、その犬はやたらと吠えて、使用人に折檻されていた。
「いじめられているのですか? 可哀想だな」
顔を離したカーターは眉を下げて呟いた。
「犬の声をしているが、あれは犬ではない。お前を売り、私を殺そうとした男だ」
カーターは少し首をひねっていたが、「なら、いいですね、別に」と笑った。ハルファースが指を振ると風が起こって窓が閉まり、悲痛な吠え声は遠ざかった。
「今日もうんと可愛がってください、ゾンネ様」
甘えた声でカーターは言うと、ハルファースの膝にまたがって再び濃厚な口づけを始める。
どこに行きたいだとか、何になりたいかなんて、カーターは考えない。ただここにいたい。ゾンネ様の子猫でいたい。
どうか、あなたが僕をずっと可愛がってくれますように。
僕は猫だ。ただの猫。ゾンネ様のためだけの子猫なんだ。他のことはどうでもよくて、ゾンネ様を癒し、撫でてもらうことが生きる理由だ。それのどこが悪いのだろう。
僕の幸せに、誰も文句は言わせない。
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二人は何があっても一緒に幸せを求めていくつもりです!
こちらこそ、最後までお付き合いいただきありがとうございました╰(*´︶`*)╯♡