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31、試合
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闘技場の中は、予想に反して静かだった。
もっと観客が集まって賑わっているのかと思いきや、招待されている客はごく少ないのだと言う。
ゼルガーダンの領地にある闘技場は大きく、普段は平民も入れて罪人の公開処刑などにも使われているそうだ。
人間の奴隷同士を闘わせるこの大会は特別なもので、有力者達の交流も目的の一つなのだろう。
エデルが参加するということで、所有者であるユリウスも来ている。だが彼は観覧席に向かうので、当然ながらエデルとは途中で別れなければならなかった。
通路の真ん中で、ユリウスはしょんぼりしながらエデルの手を握り、なかなか離そうとしない。
「何かあったら俺を呼んでください、エデル。この闘技場を吹き飛ばしてでも助けに行きますから……」
横に控えているザシャが「やりかねないな……」と言いたげな顔で目をつぶっていた。
「わかったよ。でも、私が呼ぶまでは、先走って何かを壊すのは無しだ。私を信用してくれているだろうな? 心配するな。私は勝つよ」
「そうでしょうとも。俺のご主人様は誰より強いですから」
いくら注意しても、まだエデルを主人扱いする癖は抜けていない。エデルはユリウスの肩を叩いて、ザシャにはユリウスをよろしく頼むと言い、彼らと別れた。
控え室は狭い個室で、参加者はそれぞれ待機している。エデルの部屋に係の者が顔を出して、ついて来るように言った。
別室で、身分を偽っていないかの確認をするのだ。奴隷の紋を見せなければならない。大体上半身にあるので着ているものは上だけ脱げばいいのだろうが、エデルはそうもいかなかった。上を脱いで紋が見当たらなければ、下も脱ぐよう指示される。
ごねる理由もないので全裸になって淫紋をさらした。
すると係の魔人の目の色が変わった。舐めるようにエデルの全身を眺めて、一歩距離を詰める。
「見るだけではなく、もう少し詳しく調べた方がよいかもしれん」
とのばされた手を、エデルは弾いた。
「私に触れるな」
ぎょっとする魔人に、エデルは薄笑いを浮かべてみせる。
「私が誰の所有物か知っているのか? この体は黒角の君のものだ。私は、あなたのために忠告している。私が汚されるようなことがあれば、主人が黙っていない。あなたは生まれたことを後悔する羽目になるだろう」
魔人は唾をのんで手を引いた。黒角卿の数々の噂話を思い出したのだろう。
ユリウスがどのような手を使って相手を懲らしめるのかは知らないが、おそらく相当残酷なはずだ。以前それとなくウォルフに尋ねたところ、ウォルフは「そうですね、たとえば生きたまま……」と言いかけた。
その横っ腹に肘打ちを食らわせて黙らせたのはザシャである。
「ユリウス様は、余程酷い相手でなければ、そこまで苦しめずに処分していますよ」とザシャは笑顔で詳細をぼかしていた。エデルがユリウスに幻滅でもしたらたまらないと思っての配慮だろう。
ザシャは人間の常識に詳しいので、そういった細かい気配りをしてくれる。
だがエデルも魔の国でずっと囚われ人だったわけで、大体は察していたし、それでユリウスを見る目が変わったりはしない。
身体検査の係の者は、エデルを解放した。服を着てさっさと出て行けと言う。
そもそも、触られなかったとしても、自分以外の者の前でエデルが全裸になったと聞いたら、それだけでユリウスはこの建物を瓦礫の山へ変えそうである。
そういう検査があるであろうことはユリウスも想像しているだろうが、なるべく考えないようにしてくれているのだ。実際にあったと聞けば我慢できないかもしれない。
どうあっても私も怪我をするわけにはいかないな、とエデルは改めて気を引き締めた。
にしても、常であれば誰に触られるのも我慢しなければならなかった。性奴隷のエデルに拒否権などあるはずがない。けれど、今はユリウスのものであるから拒めるのだ。それが心強くて嬉しくて、エデルは魔人を振り払った手を見つめると握りしめた。
試合で使うのを許されているのは剣だけである。エデルは試合用の剣を渡され、具合を確かめると控え室から出て行った。
闘技面には白い砂がまかれている。それが光を反射していて、暗い控え室から出てきたエデルは眉をしかめて目が慣れるまで待った。
観客席にはぽつりぽつりと人影がある。並んで座っている者もいれば、一人離れたところに座る者もいる。彼らが奴隷の主人なのだろう。特に貴賓席のようなところに固まってはいない。
この大会の主催者であるゼルガーダン卿らしき人影を見つけた。濃い灰色の角を持つ、背の高い男である。
この人数ではそもそも騒がしくなるはずもないが、空気がぴりついて感じるのは気のせいでもないだろう。
その原因であるらしい男の方を、エデルは眺めた。
黒々とした角を生やした青年が、腕を組んで席につき、こちらを見下ろしている。
エデルとユリウスは互いに顔色を変えず、少しの間見つめ合っただけだった。
ユリウスはザシャから、「偉そうにしていてください」と言いつけられている。今後の周囲との関係性を考えても、舐められるわけにはいかないというのは、ユリウスも理解しているだろう。
冷たい目をした黒角の君は強者独特の雰囲気を放っていて、それだけで周囲を威圧している。
ゼルガーダンもユリウスに視線を向けていた。ユリウスがゼルガーダンの領地に入るのは初めてのことで、こうして顔を合わせるのも今日が初だ。
ユリウスはゼルガーダンをちらりとも見ない。集った者も景色も興味がないのか、エデルを凝視している。
(私のことばかり見すぎなのだが、ユリウス……)
試合の相手は二十歳前後と見られる若い青年だった。誰が主人だとか、そういう細かい情報はエデル達にはお互い伝えられない。
青年が駆け出して、エデルに向かってくる。
これに出るために訓練したのか、剣を扱うのがまるっきり初めてという感じではなさそうだ。
(剣筋は良いが……まだまだだな)
試合の勝敗は、どちらかが戦闘不能になるか、降参の意思を示せば決まる。あまり怪我をさせたくないエデルとしては、さっさと相手に降参してもらいたかった。
だが、なかなか音を上げない。闘争心にぎらついた目つきは、さすが若者といったところである。
「君の負けだ。わかるだろう」
無駄の多い剣の振り方である。エデルはそれをよけながら声をかけた。
「よけているだけで大口を叩くな! まだまだこれからだ!」
そこそこ剣の心得があるのなら、すぐに実力差がわかるはずなのだが。
エデルは軽いため息をつくと、相手の足をひっかけて倒した。背中から倒れた青年にかぶさるようにして、剣を振り上げる。そして彼の顔の横に剣を思い切り突き刺した。砂が散る。
こういった闘技場の闘技面には頻繁に砂がまかれていた。前の試合や処刑で血が流れて汚れるためだ。
エデルは青年の顔をのぞき込み、殺気を放つ。
「命が惜しければ、降参しろ」
沈黙が下りた。顔面蒼白な青年はしばらく呆然とした様子でいたが、やっと観念して降参の意を告げてくれる。
(誰かに対して凄むなど久方振りだが、効果があってよかった……)
魔族との戦以降はそういう機会もなかったのだ。
にしても、普段ウォルフ達と運動をしていたのは正解だった。いきなりこういう場に出ても、上手く剣を振るったり殺気を放ったりなど出来ていなかったかもしれない。
勝者が伝えられても、場は静まりかえっている。いつもこうなのかエデルにはわかりかねるが、少なくとも黒角の君の存在は影響しているだろう。
ユリウスは顔色一つ変えず、こちらを見下ろしていた。普段の彼を知っている分、よそ行き用の姿を完璧に演じている様子にエデルは幾分感動して、「いい子だ」と心の中で褒めずにはいられなかった。
(……いけない。私もユリウスの父親面をするのが抜けないな)
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