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18、剣を教える

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 * * *

「さすがはエデル様ですね」

 エデルが書き取りをした紙を見て、ザシャは頷いた。
 ウォルフなどより余程物覚えがいいし、ウォルフより字が綺麗だし、ウォルフのような綴りの間違いがないと誉めてくる。エデルは、こき下ろされるウォルフが少々気の毒になった。

 お前もちょっとは勉強し直せとたまにウォルフも呼ばれるようになり、しかし彼はこういうことが不得意と見えてすぐに逃げ出した。

「私、他の魔人にもこうして教えたことがありますが、あなたが一番覚えるのが早かったですよ」
「私は昔、外国語の書物を取り寄せて読むことも多かったからな。どちらかといえば言語は得意なのかもしれない」

 それなりに読めるようになってきたということで、ライムの書類整理も手伝うようになった。実に助かる、とライムにはあてにされている。
 魔人は人間以上に識字率が低いそうで、読み書きができる者は貴重なのだ。そのうち代筆も頼みたいと言われていた。

(仕事があるというのは、いいことだ)

 何かしている間は気が紛れる。薬や性交で紛らわせている時よりは余程健康的だ。
 何かで頭を働かせ、必要とされる。辛い思い出に苛まれる暇も少なくなって、エデルは少しずつ正気を取り戻していった。


「エデル、ライムに剣を教えてやってくれませんか」

 ユリウスにそんなことを言われて戸惑った。ウォルフやザシャがいるではないか、と。だが彼らは自分の仕事があるし、ライムに手加減して教えてやれないのだそうだ。
 ライムもそれなりの歳だが、館を守る者として多少は戦えた方がいい。エデルは経験があるのだからお願いしたいと言われて、断ることができなかった。
 武器など、長いこと触れていない。

「しかし、お互い運動になるでしょうからな」

 とライムが言うから納得した。
 なるほど、確かに運動不足ではある。奴隷が剣を握るのに何の意味があるのかと思ったが、運動は必要だろう。

 稽古用のものとはいえ、武器を前にするとエデルはためらいを覚えた。捕まった当初から、とにかくこういったものは徹底的に遠ざけられ、小刀一つ触れてこなかった。
 扱い方を思い出せるだろうか。すごく重そうに見えるが、私はまだこれを振り回すことができるだろうか。

 不安になりながらも剣を手にとる。すると見た目ほど重くは感じず、安心した。
 庭に出て同じようにライムが剣を手にしている。

「私は剣を誰かに教えるような立場ではないんだが……」

 と、エデルは構えの姿勢をとる。そして、向かい合って剣を握るライムの姿を観察した。
 本人や周囲の口振りからして、全く戦えないのかと思っていたがそうではないらしい。つまり、この館の中では比較的戦闘に関する能力が低いという意味だったのだろう。
 エデルが頷いたのを合図に、ライムが向かってくる。一歩引き、時には前に出て、攻撃を受け流して力量をはかった。

 やはり、それなりに心得はあるようだ。若くないということを考慮すると、なかなかの剣さばきであるように思われる。
 動きを止めたライムに、エデルは言った。

「稽古は不要ではないか?」

 ライムはやや息を切らして笑った。

「ユリウス様は年寄りだからといって、衰えていくのを許してくれないものですから」

 おそらくユリウスの実力は凄まじいもので、だからこそ今の地位まで上り詰めたのだろう。ウォルフとザシャも強いというのは日頃の動きでわかる。そんな彼らのレベルについて来いというのは酷である。

「……どのような戦闘を想定するかにもよるが、あなたはまだ瞬発力があるようだから、戦いを長引かせずに急所を一気に狙う方が良さそうだ」

 ライムが外での激しい戦闘に加わることはそうないだろうが、館が襲撃された時などに反撃に出るという場面はあり得なくもない。
 エデルはこういう戦い方はどうだろう、と動いて見せた。とにかくスタミナを消費しないことを意識する。
 そんなやりとりをしていると、ひょっこりと顔をのぞかせる男がいた。

「あのぉ~、エデル様……」
「どうしたウォルフ」

 ウォルフはえへへと笑っている。その手には稽古用の飾り気のない剣があった。

「俺も剣を教えてほしいなー、なんて……」
「君は随分強いんだろう?」

 エデルが言えば、「そこを何とか! ちょっとだけでいいですから、手合わせ願います!」と頭を下げてくる。

「ウォルフ!」

 ライムが叱ろうとするが、怯まないウォルフはエデルの後ろに回ってライムから隠れ、「ちょっとだけ! ちょっとだけ!」と繰り返す。

「私は構わないが……」

 とエデルは応じることにした。ウォルフはエデルの護衛役をつとめることもあり、それは彼にとってさぞ退屈な仕事なことだろう。どうも体を動かす方が好きなようだから、これで少しでも気晴らしになればいい。
 ウォルフの攻撃は、ライムのよりも重かった。だがかなり手加減しているらしい。

「もっと強くても問題ないぞ」
「そうですか? では……」

 踏み込んできたウォルフの目の色が変わる。それに無意識に反応したエデルが、素早く剣を弾き返した。ウォルフは一瞬驚いたように目を見開いたが、笑みを浮かべて口笛を吹いた。

「ウォルフ……!」

 ライムの、制止するような声が飛んでくる。
 ウォルフの剣が先ほどとは比べものにならないほどの速度で動かされた。本気だ。
 首を狙ってきたがエデルは最小限の動きで引いてかわす。流れるように振り下ろされる刃を受け止めて流し、エデルも剣を突き出した。
 それをよけようとして隙ができ、肩を叩く。ウォルフは防御しようとするが、エデルの動きよりもやや遅れた。

 痣にならないよう力を加減しながら、脇腹にも当てる。ウォルフは一度下がって、喉の奥からうなり声のようなものをあげながらかかってくるが、エデルは素早く背後に回って背中に剣を突きつけた。

「……こんなものだが、どうだろう」

 尖った歯をむき出して笑うウォルフが振り返る。興奮のためか顔が上気していた。

「全くにぶっていないじゃないっすか。さすがはあの戦で、手強い将を何人も屠っただけのことはある」
「いいや。だいぶ腕は落ちた」

 若返りの処置を受けているので、動きが重くなっていないのは救いだろう。だが、あの時ほど戦えるとは思えなかった。

「あなたの動きを見ていると、ムラムラするなぁ。本気でやれば、どれほど強いんです? まだやりましょう。ここで終わりなんて言いませんよね?」

 獰猛そうな笑みを見て、エデルはまばたきを繰り返す。そして、弱ったな、と肩をすくめそうになった。
 戦闘狂は張り合いのある相手を見つけると、こうして気を高ぶらせてしまうのだ。好戦的な魔人にはありがちな反応だった。

 よく見る光景なのでエデルは特に感情が動かない。こちらはまだ付き合ってもいいのだが、それが許されるのかどうか……。

「この……駄犬!!」

 突然猛烈な速度で誰かがウォルフに近づき、腰から持ち上げたかと思うと後ろに反って、頭から地面に落とした。
 倒れて静かになったウォルフを苦々しげな顔で見下ろしているのは駆けつけたザシャだった。ウォルフの方が上背もあって体格が良いはずだが、ザシャも力が強いらしい。彼を軽々と持ち上げていた。

 相方を睨みつけていたザシャだったが、その眼差しは執事長にも向けられる。

「ライム! どうして止めてくれないんですか? ユリウス様にこんなとこ見られたら、こいつバラバラにされて埋められますよ!」

 悲痛な訴えに対して、ライムは冷ややかだった。

「私の知ったことではない。ウォルフは人の話を聞かないのだ。自分の招いた災いで身を滅ぼすのならそれも仕方なかろう」
「僕だってウォルフがどうなろうが構いませんが、いなくなったら僕の仕事が増えるんですよ、勘弁してください!」

 それからザシャは平身低頭エデルに謝罪し、怪我はないかと尋ねてきた。触って確認しようと手をのばしかけたが、「あっ……ユリウス様に殺される……」と引っ込める。
 ライムは医者ということもあり、エデルに触れるのは許されているが、部下の二人はそうではないらしかった。だが二人の過剰反応を見ていると気の毒だから、そのうち「触ったくらいでは殺さない」とユリウスに約束してもらわなければならないだろう。

「大丈夫か、ウォルフ」

 エデルが倒れているウォルフを助け起こそうとすると、それをザシャとライムが制して二人して足でつつき始めた。あんまりなようでもあるが、魔人としてはこれもまた優しい起こし方ではある。普通なら腕を刃物で突き刺してもおかしくはない。
 ウォルフは鼻血を流しながら起き上がった。

「すいません、ちょっと我を忘れちゃって……」

 鼻血を拭おうとするので、エデルは手巾ハンカチを渡してこれで押さえるように言った。
 ここぞとばかりに、ザシャとライムがぐちぐち小言を言い始めるのでエデルが「まあまあ……」と割って入った。

「このことはユリウスには言わないでおいてくれ。ウォルフ、私も久しぶりに体を動かして気持ちが良かったよ。ありがとう」

 全盛期にはほど遠いが、体は覚えているものらしい。剣で斬りかかられたあの刹那の緊張感。
 まだ私は、武器を持ち、反応することができる。その事実は、エデルの気持ちをいくらか明るくしたのだった。


「正気なのか? エデル様に剣を向けるなんて」

 座り込むウォルフの隣に立つザシャが、心底呆れた声を出した。
 鼻を押さえるウォルフは、剣を片づけてライムと共に庭を立ち去ろうとするエデルの後ろ姿をぼんやりと見つめている。

「いやぁ、痺れたわ。ユリウス様が惚れるのも納得だ。めちゃくちゃ強いぞ、あの人は」

 反省の色を全く見せないウォルフに対して、ザシャはため息をつく。

「あれだけ強くて真面目で綺麗なんだから、魔人に目をつけられて当然だな。散々いたぶられた理由がわかったよ」

 エデルは何百人もの魔人を斬った。そのことで恨まれたというのもあるが、魔人という生き物は仲間意識が本来希薄なのである。同族を殺されてもさほど興味がない。
 魔族は清く美しいものを汚す時、非常な快感を覚える生き物だ。まさにエデルはその対象にうってつけであった。魔人は、正しく、強いものを踏みにじるのが好きなのだ。

 仇であると言いながらずっと彼を生かしておいたのは、とにかく辱めて汚すためである。ある意味で、不幸にもエデルは魔人達に心底気に入られたのだった。
 血が止まったのを確認しながら、ウォルフはザシャの方を見上げる。

「……で? あっちの動きはどうなんだ?」
「今のところは特に。エデル様がうちに来られたのも知っているのかどうか不明だ。おとなしくしてくれていればいいんだけど」
「そのままおとなしく、ユリウス様の手で八つ裂きにされてくれればいいって?」
「そう」
「ねぇなあ、それは」

 二人は夜毎、ユリウスの鬱憤晴らしに手を貸している。エデルを奴隷にして売買に関わった者のリストがあり、その名前には日々線が引かれて消されていった。
 最も苦痛を与えて殺してやりたいという者が何人かいるが、そのうちの一人は居所も目星がついているのだが手が出しにくいところにいた。乗り込むとなると問題が多いのだが、しびれを切らしたユリウスはいずれ動き出すだろう。

 小さく収まるかもしれず、またそこから大混乱が生じて再び戦が始まるかもしれない。どちらにせよ、ウォルフとザシャは忠誠を誓うユリウスについて行くだけなのだが。
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