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15、ごめんなさい
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「今まで心の奥深くに封印していたお辛い気持ちが、ここへ来て噴出したといったところでしょうな」
ユリウスから話を聞かされたライムはそう答えた。
「俺が対応を間違えたからか?」
出来る限りのことをしたつもりでいたのだが、何が足りなかったのだろう。ライムはかぶりを振る。
「今まで張りつめていた緊張が解けたからだと思います。旧知であるあなたと再会して安心し、まともに心が動き始めたからと言えるでしょう」
人間という生き物は非常に脆い。エデルが受けてきた仕打ちは、発狂して当然のものだった。それを強靱な精神力により、どうにかぎりぎりのところで耐えてきたのだろう。
あの後、エデルは受け答えができるくらいには回復していたが、すぐに涙をこぼすし、どこか目が虚ろだった。
錯乱しかけることもあり、今はユリウスの部屋で寝かせている。ユリウスがそばにいると少しは落ち着くらしいのだ。
「これをお飲みになっていただくしかないとは思いますが……」
ライムが机にのせたのは、あの鎮静剤だった。これを服用すれば高ぶった神経は鎮められるが、少々問題がある。
強すぎるのだ。
淡紅色の液体の中には実が沈んでいて、一見果実酒のようにも見える。この実からは別の薬も作られ、そちらの方は思考力を奪い思いのままにする作用が強かった。
「エデル様の苦しみを取り除く効果はあります。しかし、常用し続けると廃人に近くなるでしょう。体の健康を損なうものではありませんが……」
どう使うかはあなたにお任せします、とユリウスの方へライムが瓶を滑らせてくる。
薬を受け取ったユリウスは、沈む赤い実を金の瞳でしばらく見つめていた。
* * *
うつらうつらとしていたエデルは覚醒した。
寝台から離れたユリウスが身支度をしている。おそらくその気配で目が覚めたのだろう。ユリウスはエデルが起きたのに気がつくと、目を細めて微笑み、「おはようございます」と声をかけてきた。
「眠れましたか?」
「どこへ……行くんだ?」
「仕事です」
ざわりと悪寒が走って、エデルは敷布を握りしめた。
置いていかれたくない。ずっとそばにいてほしい。
ユリウスが隣で寝てくれていたら安心できるのだ。だから離れてほしくなかった。
「行か……ないで……くれ」
かすれた声で訴えると、ユリウスはちょっと目を丸くする。
「すぐに戻ってきますよ」
そう言われても頷けなかった。ぼろぼろと涙がこぼれて頬を伝う。顎からしたたって、敷布に次々染みを広げていく。
「エデル様」
「様は……つけない約束だ」
「そこはどうにも譲りませんね」
苦笑すると、ユリウスは近づいてきてエデルと唇を重ねた。ぬるい舌が滑りこんできてエデルをなだめる。
「俺だって、あなたと離れたくないんですよ?」
くすりと笑い、泣き続けるエデルの手首を握って、何度も口づけをする。涙が口の中にも入ってきて唾液と混じり、塩辛く感じた。
「頼むから、捨てないでくれ……」
顔を歪めるエデルの頬に、ユリウスが唇で触れた。
「もう何百回も言ってますけど、俺があなたを捨てるだなんてあり得ません。そうやって懇願されるのも、なかなか悪くないけど……」
愛おしそうに目を細めてユリウスは瓶を手にする。いつものように、それを口移しで飲ませてきた。エデルの口の端からこぼれた分を舐めとって、艶麗に微笑む。
「さあ、もう一眠りしましょう。まだ休んだ方が良さそうだ。帰ってきたら、あなたを愛してるって証拠に、いっぱい抱いてあげますから」
「……ほんとうか?」
「ええ」
寝かしつけるようにユリウスが頭を撫で始める。
微睡むエデルの中には、はっきりとした形の感情がなかった。漠然とした不安は、撫でられているうちに弱くなっていく。この心地良さをいつまでも感じていたいと思いながら、エデルは眠りに落ちていった。
* * *
「あ……ふぅ、んっ、や……ぅく、あっ、あっ、ユリウス……!」
立ったままのユリウスと繋がっている。エデルは両手と両足を彼に絡ませてしがみついていた。
こうしている間は何も考えなくて済むし、ユリウスに必要とされているようで嬉しかった。辛いことを思い出しそうになって顔を歪めると、すぐにユリウスが気づいて激しく攻め、忘れさせてくれる。
寝て、食事をする他は、ユリウスの時間がとれる限り交わっている。魔人は精力旺盛なので、こういったことでは疲れ知らずだ。
彼のための穴になっている限り、自分の存在は許されているような気がして、慰められる。そんな考えに疑問を持って苦しくなったら、あの瓶の中のものを飲めばいい。
生温かい泥につかっているかのような感覚だった。自分が眠っているのか起きているのかわからない時もあって、思考が酷く鈍くなっている。
それでもいいかと思い始めていた。初めの頃はどうにか、この泥から抜け出してしっかりしなければと幾度か自分を叱咤したものだが、もう諦めつつある。
ユリウスがいる。そばにいてくれる。無価値の私を大事にして、慰めてくれる。それだけでいいような気がしていた。
――それだけで、いい? 本当にそう思っているのか?
どこか心の深いところから――「かつての私」の非難の声がかすかに響いてくるが、聞こえないふりをした。
◇
目が覚めると部屋は薄暗いが、明け方なのか夕方なのかもわからなかった。
「ユリウス……?」
ユリウスの姿が見当たらない。がらんとした部屋を見ると急速に心細くなって、エデルは下腹部を押さえた。彼の所有物だという印がここにある。あれほど忌まわしかったものが、今では拠り所になっていた。
「ユリ、ウス……、どこに……」
知っている。仕事だと言っていた。
けれど不安が肥大していって、涙が溢れてくる。
あの子は私に愛想を尽かしたのではないか。いやユリウスはそんな子じゃない。でも私はこんな卑しい男で。ユリウスは優しい。私は屑だ。いつか捨てられる。捨てたりしない。
すすり泣きながらエデルは寝台から下りた。もう何日、この寝室から出ていないだろう。
足をもつれさせながら、机の方へ向かっていく。そこには鎮静剤の液体が入った瓶があって、震える手をのばした。
が、つかみそこねて瓶が床へと落下する。瓶は割れ、液体が床へと広がっていくさまをエデルは呆然と見つめていた。
泣き疲れて床でうずくまっていると、扉が開閉する音がして足音が近づいてくる。
「エデル、どうしたんですか」
ユリウスがエデルを抱き起こした。割れた瓶に目をとめると、怪我はしなかったかと心配そうに体を子細に調べてくる。
「片づけさせましょう」
立ち上がりかけたユリウスの服のすそを、エデルはつかんで引き留めた。
「ユリウス……抱いてくれ」
ほとんどうわごとだった。けれど下半身は実際疼いているし、長いこと抱かれるのが習慣となっていたからそうされている方が肉体は落ち着くのだ。
抱いて、価値を与えてほしい。もうそれしかないから。
「……っ、すまない……」
涸れたはずの涙がまた滲んでくる。
ユリウスはエデルを長いこと見つめ、そっと口づけをした。
「俺も、ごめんなさい」
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