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9、半魔人の少年
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街角で子供が鞭打たれているところを見たエデルは、足を止めた。魔物の討伐のために遠征して、帰る道中に寄った地方でのことだった。
奴隷として売っているのだそうで、エデルは眉をひそめずにはいられなかった。王都などでは人身売買は禁じられているが、それも大っぴらなことに限ってであり、あちこちではまだ堂々と人は売り買いされている。
自分の領地ではないが見て見ぬふりができなくて、エデルは子供の方へと近寄って行った。
金と黒の色が混ざった特徴的な髪色をした子で、散々ぶたれたせいで着ている服はほとんどぼろ布になっている。むき出しになった肌は裂けて血が出ていたり、みみず腫れになって酷い有様だ。
「よさないか」
怒りをこらえた声でエデルが言うと、商人の男はエデルの風貌から身分の高さを察したらしく怯んだが、すぐに睨み返してきた。
「何ですか、旦那。俺の商売にけちをつけようってんですか」
「抵抗しない子供をどうしてそれほどまでに虐待するんだ」
ここまで残酷なことが何故出来るのか、理解に苦しむ。
子供はうずくまって動かずにいて、そんな子供へ商人は侮蔑の視線を向けた。
「旦那、こいつはね、魔族ですぜ」
「魔族?」
少年の長い髪をつかんで商人が乱暴に顔をあげさせた。虚ろな目をした子供はどことも知れぬ方向を見つめている。その顔には、恐怖も怒りも滲んでおらず、どこか呆然としていた。
金の目をした、顔の綺麗な少年だった。
商人が髪の中をさぐって、角を見せてくる。ごく小さいが、確かに二本の白い角がそこにあった。
「ね? 汚らわしい。混ざりものみたいですがね。俺ぁこのバケモンに飯まで食わせて生かしてやっているんですわ。拾ったっていう奴から買いましてね。買ったものをどうしようが俺の勝手ですよ!」
半魔人。エデルも見るのは初めてだった。
遠い昔に地上に住んでいた魔族達は、地の底に潜ったという。地底の入り口である森はこの国に隣接した場所にあり、そこから時々出てくる魔物を駆除するのが辺境伯であるエデルの仕事の一つでもあった。
珍しいことではあるが、そんな魔族の血が流れた人間がいるらしい。そういう者は侮蔑の対象となり、見つかり次第いたぶられて殺されるのが当たり前になっていた。
魔族は忌むべき存在であり、半魔人はおぞましい生き物なのだ。
少年の出自は不明であった。尋ねてもあまり口をきかないのだと、忌々しそうに商人は話す。大方どこかの女が魔人に犯されて産み落とし、逃げて行ったのだろうと言う。
半魔人は人間よりも体が丈夫にできているから、赤子で放置されてもしばらくは生き延びることが可能なのだ。
「なあお前、俺に感謝しているだろう? 普通だったらすぐに串刺しにされて、街道でさらしものになってるんだからなぁ! なんとか言いやがれ、このクソッたれめ!」
商人が鞭を振り上げると、少年は顔をそむけて目を閉じた。
鞭は少年に届かなかった。エデルが商人の手をつかんだからだ。
「やめろ」
怒りを押し殺した声と厳しい視線に、商人が息をのむ。
遠巻きに見ていた人々も、エデルの気迫に何人かが後ずさった。
商人は唇を震わせていたが、すぐに気を奮い起こして声を上げた。
「これは俺のものです! 旦那に指図される筋合いはねぇ!」
「いくらだ?」
「え?」
「この子は私が買う。いくらなのか言え」
驚きのざわめきが広がり、黙って控えていたエデルの従者が駆け寄ってきた。
「エデル様! いくらなんでも……。これは魔族ですよ」
「いくらなんだ」
従者の声を無視してエデルは商人に凄む。怯えながらも商人はそこそこの額をふっかけてきた。エデルは渋る従者に銀貨を払わせる。
そんなやりとりの間も、少年はへたりこんだままぼうっとしていた。
支払いを済ませたエデルは、膝をついて少年の顔をのぞきこむ。
「名前は?」
そんなことを聞かれたのは初めてなのか、少年はやや不思議そうに首を傾げていた。それから、「ない」と呟く。
「……そうか」
もう幼児という歳でもないが、彼は一度も名前をつけてもらったことがないのかもしれない。人間らしい扱いもされてこなかったのだろう。
「行こう。立てるか?」
痩せさらばえた体に、傷が痛々しい。よろめきながらも少年はしっかりと立った。
「強い子だ。お前は今から私のものとなったんだよ。一緒に行こう」
手を差し伸べると握り返す。体温はそれほど高くないが、確かに温かみがあって、柔らかかった。ただの子供だ。
「エデル様。一緒に、とはどういうことですか?」
少年を連れて歩き出すエデルに従者が詰め寄る。
「館に連れて帰るんだ」
「ご冗談でしょう! すぐに孤児院へ預けましょう。あそこなら手厚く保護されます」
冗談だろう、とエデルも同じ言葉を返したくなった。孤児院では子供が必ずしも歓迎されるわけではないことをエデルは知っている。昨今、どこもそれなりに経営状況が逼迫しているのだ。
しかもこの子は半分魔族。まともに扱われるはずがない。
「エデル様のお手を煩わせることはありません。この子供は私がどうにかしますから……」
返事をしないエデルへ焦った従者が、エデルと少年の手を引き離そうと間に入る。しかしエデルはそれを睨みつけて制した。
「孤児院には預けない。私が育てよう」
「エデル様……! これは魔族なのですよ! 汚らわしい! あなたのような方が触れるものではありません!」
どれだけ罵倒されても鈍い反応しか示さなかった少年だったが、触れるものではないとの言葉を聞いて、エデルを握る手がぴくりと震えた。
汚物のような言い方に、さすがのエデルも堪忍袋の緒が切れた。立ち止まり、従者と向き合う。
「いい加減にしろ! よくもそのようなことが言えたな! お前には人の心というものはないのか? お前が同じことを言われたらどう思う? 傷つかないのか!」
主人を慮っての発言に怒鳴り返されて、従者は心外そうに顔をしかめていた。彼はちらりと少年に目をやり、苦々しげに吐き捨てる。
「魔族に人のような心はありません」
話にならない。ここで言い争っても時間の無駄であるし、早く少年の手当てをしてやりたかったのでエデルはまた歩き出した。
館に戻るまで、エデルは少年を他の者に触らせなかった。従者達は半魔人の少年に近寄りたがらなかったし、エデルの行動に呆れているらしかった。
傷に薬を塗って包帯を巻き、新しい衣服を与える。少年は食べ物を与えれば口にしたが、食が細く、またほとんど喋らなかった。だが知能には問題がないらしい。
館に連れ帰ると大騒動となった。魔族を敷地の中に入れるなど、と猛反対する家令は折れようとせず、しかしエデルも負けなかった。
この子はゆくゆくは私の従者にするつもりでいる、と言えば、家令は卒倒しそうになっていた。使用人総出で抗議されるが、「この子は私が買ったのだから、私の好きにする」とエデルは追い払った。
「ユリウス」
自分の部屋の椅子に座らせた少年は、そう呼びかけると首を傾げる。
「帰り道で、お前の名前を考えていたんだ。ユリウス、というのはどうだ?」
「ユリウス」
少年はゆっくりとその名前を繰り返し、――薄く笑った。それはエデルが初めて見た、彼の笑顔だった。
「ありがとうございます、ご主人様。名前がもらえるなんて、考えたこともなかったから。俺、嬉しいです」
この子には、心がある。喜怒哀楽がある。
殴られれば痛いし、酷いことを言われたら悲しいだろう。何もわからないのに決めつけてなじるという行為が、エデルは大嫌いだった。
この子は、卑しくおぞましい半分魔族の者、ではない。名もなく虐げられていた半分人間の子供だ。
エデルが頭をなでると、ユリウスは心地よさそうに目を閉じた。
こうしてユリウスは、フォルハイン邸に引き取られることとなったのだった。
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