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2、やっと見つけた

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 * * *

 競売の会場のある建物の、別室らしきところへ連れて来られた。
 部屋の前にはユリウスの付き人と思しき魔人が控えていて、ユリウスに礼をする。ユリウスはエデルの肩に手を添えて、中に入るように促した。
 室内には椅子があって、エデルはそこに座らされる。

「あんなところにいて、疲れたでしょう。でも、もう大丈夫ですからね」

 エデルは何も言えず、以前よりかなり背が高くなったユリウスの顔を見上げていた。ユリウスは微笑むと、エデルの両手をそっと自分の手で包みこむ。

「……俺、随分あなたのことをさがしたんですよ、エデル様。戦争が始まって、何もかもが混沌としていて……。あなたが生きているらしいって情報をつかんだのは、かなり後のことでした。あなたを買ったって奴の話を聞いて乗りこんだんだけど、もう処分したって言ってたから、すぐに殺してしまったんです。もっとちゃんと拷問をして、吐かせるべきでしたね」

 ユリウスは心底嬉しそうに笑っている。
 エデルも懐かしい従者の顔を見て、頭が少しずつ動き始めていた。ぽつりぽつりと、彼への質問が浮かぶ。

 ――生きていたのか、ユリウス。今までどうしていたんだ。何故ここにいるんだ。

 けれども滑らかに話をするのは簡単ではなかった。奴隷は勝手に発言することを許されなかったから、まともな会話に慣れていない。

「……角」
「え?」
「お前の角は……もっと短かった気がする……それに、白かった」

 言いながらエデルは苦笑した。久方ぶりの再会だというのに、彼に気のきいた言葉すらかけてやれない。
 ユリウスはまばたきをして、自分の角に手を当てた。

「俺も若かったでしょう? 角って成長するらしいんですよ。力をつけるにつれて、こんなに黒くなっちゃいました」

 ああ、ユリウスは変わらないなと思う。
 昔はもっとおどおどしていたけれど、口調はそのままだ。こんな場所で、こんな立場であるのに懐かしさがこみあげてきて、しばらく感じたことのない温かさが胸に生まれた。
 ユリウスは、確かに魔族だ。けれど私の従者だった。

 いや、とエデルは視線を落とした。
 でも、今は……。

「エデル様」

 突然、ユリウスがその場に膝をついた。次の行動にエデルは仰天して目を見開く。
 ユリウスがエデルの足の甲に接吻したのである。

「……っ! ユ、ユリウス! 何を……!」

 商品として身綺麗にはさせられているが、足は裸足で靴など履かされていない。素足でそこらを歩いているから汚れている。
 足を引こうとするがユリウスにがっちりとつかまれ、エデルは動揺した。ユリウスがエデルのすねに頬ずりをする。

「会いたかった……。エデル様。俺のご主人様」
「ユリウス」

 すっかり立派になった美しい男が目の前でひざまずくさまを見て、エデルは動揺が隠しきれなかった。上等な衣服に身を包み、おそらくは魔族の中でもかなり身分が高いであろうユリウスが、奴隷の自分に頭を垂れるなどあってはならない。

「ユリウス、顔を上げるんだ。そんなことをしてはいけない」
「どうして?」

 熱っぽい視線がエデルへと向けられて、ユリウスは言葉を詰まらせた。

「何をしたっていいでしょう。俺は……あなたを買ったんだ。あなたを俺の好きにする」

 それはかつて、エデルがまだ辺境伯だった頃。半魔人の少年を買った後に使用人に言った台詞にどこか似ていた。
 小さな角を生やして、道ばたで鞭で打たれながら売られていた男の子。周りの者は彼を家に連れ込むことを猛反対した。けれどもエデルは引かなかったのだ。

 ――この子は私が買った。私の好きにする。

 そうしてエデルは名も無き少年に名を与え、従者とするべく教育を始めたのだった。

「言ったでしょう、エデル様。俺は一生あなたの従者だって。俺はあなたの下僕です」

 エデルは自分の唇が震えているのを感じた。長らく感情を封印していたせいで、この震えがどんな理由から生じているのか自分でもわからない。喜びなのか悲しみなのか、戸惑いなのか恐怖なのか。
 震える手をのばして、ユリウスの白い頬に触れる。

「息災なようで……何よりだ」

 最初にこう言うべきだったのだ。エデルもずっとユリウスの身を案じていた。人間に迫害され続けた半魔人の少年は、あの戦火をくぐり抜け、無事に生きていられただろうかと、まともに考え事をしていられた頃はよく考えていた。

 五体満足に今こうして目の前にいることを心から嬉しく思った。長らく忘れていた、感動というものを覚える。
 ユリウスは頬に触れたエデルの手に己の手を添え、忠犬のように愛おしげに顔をすりつけた。うっとりと目をつぶり、嬉しそうなため息を吐く。

「……やっと見つけた。もう離しませんよ、エデル様」

 ユリウスはこのままエデルを自分の館に連れて行くと言い出した。館に住んでるというからには、黒角の君とやらは、やはりそれなりに良い暮らしをしているのだろう。
 長いことあちこちの魔人に飼われて暮らしているエデルだったが、奴隷という立場であるから、魔人社会の情報はあまり入手できていない。それでも、黒角、という通り名は耳にした覚えがあるから、ユリウスは彼らの中では有力者なのかもしれなかった。

 ユリウスが部屋の外にいる付き人に声をかけ、馬車の準備をするよう指示する。

「エデル様、歩けますか? 何なら俺が抱き上げて連れて行ってもいいですよ」

 血迷ったことを言っているからまた苦笑いが浮かびそうになった。丁寧な扱いをしてこようとするユリウスに違和感を覚え、むず痒くなる。
 確かにエデルは自分で歩くより運ばれる機会の方が多い。ただし縛り上げられ、荷物のように粗雑に扱われて移動させられるのだ。

「大丈夫だ、歩けるよ。それからユリウス、その……エデル『様』というのはよしてくれないか……」
「どうしてです? エデル様はエデル様じゃないですか」

 不思議そうに尋ねられて、エデルは胸にじくりと痛みを感じた。

「私は奴隷なんだよ、ユリウス。お前がそうやって私を敬うのはおかしい」
「でも……」

 エデルは黙ってかぶりを振った。
 かつてのように敬称をつけられると、昔を思い出しそうになって苦しい。それに、彼の立場を考えれば適切ではないだろう。高い身分であろうユリウスが、奴隷を主人だなどと言い張って「様」までつけていれば周囲に訝られる。
 うつむくエデルから何を悟ったのか、ユリウスはしばし黙ってから「わかりました」と言った。

「では、エデルと呼びます。エデル、行きましょう。こちらへ」

 ユリウスはにこやかにエデルの手をとって歩き出した。エデルもそれについて行く。
 大きな手だ。
 魔人は大柄になるらしいと聞いていたから、ユリウスもきっと大きくなるだろうと想像はしていた。均整のとれた体つきは美しく、いかにも丈夫そうで、かつての従者の成長を心から喜ばしく思えた。

 手を引かれながら考える。こんな風に喜びを感じる日が来るだなんて、まるで奇跡のようだと。
 魔人に囲まれた日々では、見知った顔に会うことはない。陽の感情に気持ちが動かされることも全くない。

 今日だってどこかのろくでもない魔人の小金持ちに買われて、散々いたぶられて奉仕する羽目になるのだと覚悟していたのだ。
 それが日常だった。老いず、死ぬことも許されないエデルの、いつ果てるとも知れない地獄の日々。

 これからどうするとか、どうなるかなどと深く考えられないほど心や思考は破壊されていたけれど、ユリウスと繋いだ手から心安らぐ体温が伝わってきて、安堵した。

「ユリウスは……手が、温かいんだったな」

 魔人は皆体が冷たいのだ。犯される時にひやりとするのが苦手だった。
 ユリウスが笑いながら振り向く。

「俺は半分人間ですからね。でも、完全な人間よりは体温が低いはずですよ。ぬるいでしょう」
「いや……温かいよ」

 思わず握る手に力がこもってしまった。今はこの温もりにすがりたくなる。するとユリウスも嬉しそうに手を握り返してきた。


 魔人も馬車に乗るが、彼らが馬と呼んでいるのは魔物の一種で、鋭い牙を持つ上に翼を持っている禍々しい生き物だ。
 エデルはユリウスの馬車を見て少々呆気にとられた。黒塗りの上等な箱は、彼が思った以上に高い身分であることを証明している。
 そういえば、彼は私に七百万という値をつけたのだ、と思い出した。

「いいのか、ユリウス……」
「何がです?」
「私に七百万の価値なんてない。値下げしてもらった方がいいのでは……」

 競売だからそういうわけにいかないのは百も承知だったのだが、申し訳なくてそう言わずにはいられなかった。
 ユリウスは笑ってエデルの背中に手を当てた。

「何百万だって出しましたよ。本当は、あなたに値を付けたくなんてなかった……。あそこにいる奴らを皆殺しにしてさらってもよかったですけど、あなたはそういう騒ぎはうんざりするでしょう?」

 満更冗談でもなさそうだった。しかしエデルも荒っぽい話には慣れている。何せここは魔族の縄張りの中だ。血が流れるのは珍しいことではない。

「そうだな。できれば静かな方が好きだ……」
「知ってます。これからは静かなところで落ち着いて生活ができますからね」

 肩を抱いて引き寄せると、ユリウスがエデルを大きな馬車へと導いた。
 靴は彼の付き人がすぐに用意してくれて、それを履いている。服もすぐに揃えさせるからとユリウスが約束した。

 馬車の扉が閉まると、御者が馬に鞭をくれる音がして、耳をつんざくような声を馬があげる。翼が羽ばたくのが聞こえ、馬車が宙に浮かんだ。
 向かい合って座るユリウスが、放心したようにこちらを凝視しているからエデルは首を傾げた。

「どうかしたか?」
「夢みたいで……」
「私もそう思うよ」

 一心に見つめ続けるユリウスの大人びた顔に、いつかの子供の頃の顔が重なって、エデルは思わず微笑んだ。
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