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亡霊と夢に沈む白百合
26、苦しみと答え
しおりを挟む「何より、あなたは現在の、二人目のノア様をかつてと同じように捕らえようと考えていたでしょう? 私にとってあの子は、自分の命より大切な存在です。害を成そうなど、計画するだけで万死に値する」
もしノアが、一人目のノアと同じような目に遭わされれば、八つ裂きにしたところで足りないだろう。
リーリヤは首を傾げて妖艶に微笑んだ。着ている服は前がはだけて、白い胸が露わになっている。しどけないその格好は普段の楚々とした姿とはまるで異なり、扇情的であった。ウリトカが呆けて見とれるほどに。
「今こそ、アンリーシャの恨みを晴らさせていただきましょう。あなたには死んでもらいます、ウリトカ」
ウリトカは目を見開いたまま、負けじと笑って見せた。あちこちで燃える炎に照らされて、互いの顔に不気味な陰影が生まれている。
「君に何が出来るというんだ? おとなしく私に従っていた方がいい。私の力は君より遙かに上だ、リーリヤ。私は君をどうにだって出来るんだぞ!」
あるいは、彼が本当に赤銅伯爵であれば、リーリヤは操られていたかもしれない。心の隙間に忍び入り、一時はほとんど支配された。
もし彼がまだ生きていたら、亡霊として蘇ったとしたら、逆らえたかどうか。繋がりは自分で断ち切れず、ディルラートによって解放されたのだ。
あの男は自分を知り尽くしていた。うわ手であった。
けれど。
「あなたは私から見れば、まだまだ坊やなんですよ」
どれほど書物を読みこんで演じようが、血の繋がりがあろうが、他人は他人だ。ウリトカは、トル・ファラエナではない。
憧れた祖先になりきろうとした、ごっこ遊びをして喜んでいる哀れなひよっこの悪魔である。
「アンリーシャを敵に回したことを悔い、永久の眠りにつくがいい、悪魔ファラエナ伯爵の子よ」
リーリヤは口の中から小さな欠片をつまみ出す。
それは瞬く間に形を変えた。
純白の、大きな弓に。
リーリヤが素早く矢をつがえる。その矢は白く輝いていた。
「馬鹿な……!」
リーリヤは魔道具を歯の中に仕込んでいて、ウリトカをはじめとする誰もが、それに気がつかなかった。
職人の元を訪ね、魔道具を作ってもらったのが半年前のこと。この為にわざわざ山を下りたのである。
通常、魔力を持たない者は魔道具を使用できない。しかしリーリヤは、自分の血液に魔力が宿っているのを知っていた。その事実にたどり着くまでの時間はたくさんあったのだ。
植物の種ほど小さく武器を変形させることが出来るという職人に依頼した。
血の魔力に反応して作動する。体力を酷く消耗するため一度しか打てないが、それで十分だった。
束になった矢が、一直線に放たれる。光のごとく輝く十本の白い矢がウリトカを襲う。
ウリトカが魔法弾を放ち、矢の五本は消えた。そのうちの一つの弾がリーリヤの肩をかすめる。
しかしウリトカは遅すぎたのだ。空手でうろつくリーリヤが、まさか自分に攻撃を仕掛けてくるとは夢にも思わない。
非力で、手折られるだけの山の花が、自分に牙をむくなどとは。
五本の矢が、深々とウリトカの体に突き刺さっている。
胸に穴が開いたウリトカは、立ったまま血を吐いた。矢は指よりも太く、即死には至らなかったが完全に致命傷だった。
リーリヤが弓を取り落として膝をつく。
矢を射た瞬間に気が遠くなり、そのまま失神してしまいそうだったが、肩の焼けつくような痛みで意識を手放さずに済んだ。
「リー……リヤ……」
またウリトカが血を吐いて、震える手をリーリヤへと向けた。
「君は手放さない。アンリーシャの白百合は私の……赤銅伯爵のものだ。私だけあの世へ行くものか。一緒に来い」
異変を感じたウリトカの部下である魔術師達も集まってきて、この光景を目にする。主人がやられたのを知り、リーリヤを仕留めようと動き出した。
――ようやく、この手で倒すことができた。
絶命するのはこちらが先かもしれないが、悔いはない。リーリヤの口元には淡い笑みが浮かんでいる。思い出すのは兄のような、遠い昔に別れたノアの姿だ。
――ノア様。リーリヤはやり遂げました。
先にこと切れたのは、ウリトカだった。
彼は最後の力でリーリヤに引導を渡そうと術を発動させるところだったが、背中から胸に突き立てられた剣によってそれは阻止された。
赤銅色の目からは生命の光が失われ、体がゆっくりと傾いでいく。
周囲の魔術師達も瞬時に倒された。そちらを引き受けたのは、リーリヤもよく知る、砂色の髪の剣士レーヴェルト・エデルルークだ。
剣を引き抜かれ、どう、とウリトカが地面へ倒れた。
そこには一人の男が立っている。
リーリヤは初めて顔を合わせたが、名を聞くまでもなく、それが誰であるかわかった。
血というものは全く不思議なものだと思い知らされる。顔の造りは似ていないのに、どこか共通しているところがあった。目つきや雰囲気。
あの日、あの時、若いリーリヤを救いに来たリトスロードの長、ディルラート。その人を思い出す立ち姿だ。
リトスロードの現当主の名は、ジュード・リトスロード。リトスロード侯爵。
「残党を逃がしたのは我らリトスロードの不手際だった。詫びよう、リーリヤ」
ジュードの声を聞き、リーリヤは頭を垂れた。お初お目にかかります、と挨拶をする。力が尽きかけていて、目の前がぐらぐら揺れていた。耳の奥で脈打つ音も聞こえており、周囲の音が時折遠ざかる。
リーリヤはリトスロードの本邸に足を運んだこともなく、山を滅多に離れない。ジュードも忙しくしているから、今まで接触する機会がなかった。ただ彼も、リーリヤの存在は以前より知っているだろう。
そもそもリーリヤはジュードだけではなく、歴代の当主のほとんどと会話すら交わしたことがなかった。
レーヴェが近寄ってきて体を支える。
「大丈夫か」
「ええ……大したことはないんです」
リーリヤは肩を押さえていた。白い服が鮮血に染まっていく。
侯爵閣下の御前であるというのに、裸同然の格好という無礼さに困じ果てる。だがどうにもならないので、せめて乱れた裾を整えた。
「侯爵閣下におかれましては、ご加療中とお聞きしております。私めのことでご足労頂くことになり、誠に面目次第も御座いません」
「身体が辛くなければ、顔を上げなさい」
リーリヤは言われた通り面を上げた。
五十路にかかる歳とは思えないほど精悍な人だった。杖はついているものの背筋はさほど曲がっておらず、足腰が弱っているようでもない。
まさに豪傑をうたわれるリトスロード一族の当主といった姿であった。
「お前は覚えているだろう。アンリーシャは必ず我々が守ると、かつてのリトスロードの長が誓ったことを」
ディルラートにすがって泣いた時のことが、脳裏に浮かんだ。ノアの顔、サイシャの顔、仲間達の顔。心が過去へと飛んでいく。
そして、つい本音を漏らしてしまった。
「私は、アンリーシャなのでしょうか」
その問いは、何百年もリーリヤの心に根をはっていた。投げやりで幼稚な考えはとうに捨てたはずだったが、どうしても根ざして枯れない苦しみはある。
アンリーシャに生まれ、アンリーシャの力を持たなかった。特別な力を持つ種族の中にいてその特性がないのなら、自分は果たして一族の一人として言えるのだろうか。名乗る資格はあるだろうか。
たとえアンリーシャたる資格を持たなくても、一族の末席にいさせてもらおうとは思っていたが。誇りと矜持を共有し、守り続けてはいたが。
私は――アンリーシャなのだろうか。
「お前こそがアンリーシャだ。リーリヤ」
きっぱりとジュードは言い切った。
リーリヤは瞬きもせずに彼の顔を見つめる。
「お前は代々、リトスロード家に仕えるアンリーシャの子を立派に育て上げた。その子供はリトスロードの片腕となり、我が一族を支え続けてきた。アンリーシャ以外には務まらなかった。すなわち、お前が支えてきたのも同然ではないか。お前はリトスロードとアンリーシャにとって、欠かすことが出来ない存在だ。アンリーシャの第二の血となって、教えを脈々と受け継いできた。お前こそがアンリーシャだと、この私が保証しよう」
リーリヤは微笑み、また頭を垂れる。
嗚呼、この御方はリトスロードだ。だからこそ我々は、私は、身を捧げようと決意をしたのだ。
「過分なお言葉を頂き、この上ない幸せに御座います」
ノアはしっかりと役目をこなしているから安心するようにとも言われた。これが何よりリーリヤにとっては嬉しかった。
傷の具合を見よう、とレーヴェが肩に触れる。手当てなど後で構わないのだが、と思っていると、様子を見守っていたジュードが口を開いた。
「私が言えたことではないが、命を大切にしろ。お前に何かあれば、ノアが悲しむ」
それを聞いたレーヴェが微かに苦笑を滲ませていた。きっとジュードが一番無理をするからだろう。
はい、とリーリヤは柔らかく笑い、再び謝意を口にする。
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