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亡霊と夢に沈む白百合
25、自分が咲く場所
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緑の炎が燃え上がっていた。
リーリヤは丹念に薬剤を撒いていく。書物は面白いように燃え、リーリヤは火に囲まれていたが特に熱さは感じなかった。
あちこちの部屋に入り、火をつけてまわる。手にした燭台に灯っているのは魔法による炎で、普通のものとは違った。
リーリヤは魔法を使えないが、知識くらいは蓄えられた。ここには魔法に関する本も多くある。伯爵の作った薬剤と魔法の炎は相性が良く、程良く火の回りを調節できた。
「……リーリヤ!」
駆けつけた伯爵が、燃え上がる書物に目をやって瞠目する。
「何をしているんだ!」
「あなたが私を裏切ったからですよ」
「裏切っただって?」
「ええ、浮気をなさろうとした」
リーリヤは唇をひきつらせて笑った。
「聞いたんですよ。ノア様も連れて来ようとしていたでしょう。私だけを愛すると言ったのに!」
ふらふらとリーリヤは歩き回り、燭台を炎の中に放り投げた。
伯爵の部下達は慌てて火を消そうと走り回っているが、ただの炎でないだけに、消火には相当難儀していた。
「まだこんな本がどこかにあるんですか。全部燃やしてしまいましょう」
部屋を出て通路を歩くリーリヤを、伯爵が追いかけてくる。
「戻れ、リーリヤ」
「あなたと私は、もうおしまいですよ」
「私は君を必要としている。君も私を必要としている。私のそばにいると、あの時も言ったじゃないか」
「あの時」
リーリヤは繰り返して、笑った。あちこちで燃える緑の炎の色が、リーリヤの白い髪にうつろっている。
「まるで見てきたようなことを言う。何も知らないでしょうに」
「知っているとも、私は……」
「あなたは、トル・ファラエナ伯爵ではない」
きっぱりと言い切ると、伯爵の顔が強ばった。今まで見たことがない、謎めいたリーリヤの表情に困惑しているようにも見える。
「ウリトカ。本当の名は、ウリトカですね。伯爵でも何でもない。あなたはファラエナ伯爵の子孫でしょう。なるほど、顔はとても似ている。何代も離れているのに、まるで奇跡のようだ。しかしね、よく見れば違いますよ。声も、表情の作り方も、何もかも。別人だ」
伯爵を名乗っていた男――ウリトカは、少しの間言葉を失っていたが、ゆっくり微笑んで尋ねてきた。
「どこで、その名を?」
「ここにある書物を見ていたら、署名がありましたからね。あなたは私を好きに歩かせてくれましたから、いろんなものを覗いたんですよ」
ウリトカ、と名を呼んで、リーリヤは彼と距離を縮めた。
「あなたは赤銅伯爵になりたかったんですね」
ウリトカはトル・ファラエナの子孫で、おそらくはその事実をひっそりと伝えられてきたのだ。当時ファラエナ伯爵家の立場は非常に悪く、関係者は追われる身だった。
伯爵の血を継ぐ者は逃げ延び、市井の人間として生きた。そして時は流れて――伯爵のように突出した魔法の才能を持つウリトカは、隠されていた書物や研究成果を発見したのだった。
伯爵の書物に耽溺したウリトカは、自分が彼になろうと思い立った。ファラエナは、赤銅伯爵は、蘇る。彼の目的を自分が引き継ぐのだ。
そして、ウリトカはリーリヤの新しい血を発見した。かつての伯爵と同じように、書物の中のリーリヤに焦がれ、保存されていたリーリヤの古い血を調べていた彼は歓喜した。
あの美しい白百合が枯れずにまだ咲いている。
やはり、あれは伯爵の為の花なのだ。だからこうして、また手折られるのを待っていたのだ。
「私がトル・ファラエナではないからと、離れていったりはしないだろうね、リーリヤ。君は脆く、か弱い花だ。君には私しかいない、どこにも居場所なんてない。そうだろう?」
ウリトカは大声で言うと、リーリヤに手をのばした。リーリヤはウリトカの手を見て、目を細める。下を向くと髪で顔が覆われて、ウリトカからは表情が見えなくなった。
リーリヤは片手で顔を押さえた。肩が震える。
「ふふ……ははは、はははは……」
さもおかしそうに笑うリーリヤに、ウリトカは目を丸くしていた。リーリヤは手を離して、ウリトカへ体を向ける。
「あれから、どれほどの年月が経ったと思うのですか? か弱くて従順で不安定な、可愛い可愛い十七歳のリーリヤがいたのは、二百年も前のことですよ! ウリトカ! それはもう、本の中にしかいないのです!」
おかしくてたまらなかった。これが笑わずにいられようか。
ウリトカは、まだあのリーリヤがどこかにいると信じ込んでいたのである。人が、二百年以上も変わらずにいるわけがないではないか。ある種、純真でおめでたい。
「君は変わらない。無力な百合だ」
「そうですとも。何の力も持ちませんねぇ。こればっかりは、どうも。生まれつきのものですから。嘆きましたよ。けれど、嘆き続けるにも限度がある。あなたも長く生きてみればわかります。いじけているのは、いずれ飽きますよ」
幼い故の感傷だった。いくつかある人生の汚点の一つであり、思い出すと苦笑して恥じ入る。あの頃、大切なのは己の傷だけだったのだろう。あまりにも愚かだった。
居場所は与えてもらうものではない。自分で選ぶものなのだ。
どんな境遇であろうが、どれほど不足があろうが惨めであろうが。
生きていくには、うつむいて立ち止まっているだけではいられない。自分の人生を、他人に委ねてはならない。手を引かれるのを待たずに、自分が咲く場所は自分で決めなければ。
世界に己という存在が、どれほど意味があるかはわからないが、自分は生まれて、生きているのだ。
ひっそりと、しかし、確かにここにいる。
「私がずっと悔いていたことは何か、教えて差し上げましょうか。伯爵をこの手で討たなかったことです。あれほど機会はあったというのに。私の大切なノア様を辱めた、一族の誇りを奪おうとしたあの男のそばにいて、一度も危害を加えようとしなかった腰抜けの自分が許せなかった」
気がつけば、記憶の中と似た場所に立っている。伯爵がとどめを刺されたところのような、広い洞窟の中にいた。
リーリヤはウリトカに背を向けて語っていたが、髪を翻して振り向いた。
「あなたが伯爵ではないということはすぐにわかりましたよ。それで私は、復讐を果たそうかどうしようか、とても悩んだのです。だってあなたは、血を引いていたとしても彼とは別人だから。ファラエナ伯爵家は憎いですが、彼の罪はあなたの罪ではない。迷っていたのです……。でも、良かった。あなたが悪人で」
もしも本当に、ただの医者だったとしたら、手にかけるのは許されない。だから暫し本性を見極めようとおとなしくしていたのだ。
そうして観察していてわかった。
このまま放置すれば、ウリトカは必ずや悪しき目的を成し遂げようとするだろう。彼は罪なき多くの人々を手にかけた。
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