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亡霊と夢に沈む白百合

22、居場所などない

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 * * *

 リーリヤは寝台から身を起こすと、のろのろと服を身につけた。
 手折られて部屋に飾られる花の気持ちを少し理解する。ああいう花は、自分というものを失って、きっと花瓶の中でぼんやりしているのだろう。

 大地との縁を切られて、何者であるのかわからなくなり、一人ではどこにもいけずに朽ちるのを待つのだ。
 綺麗ね、と誉められながら。

 もし伯爵の言うように、不老だとすればどうなるのだろう。伯爵が死んだ後はどうすればいいのだろう。
 リーリヤはすっかり彼の所有物となっていた。

 考え事もろくにしなくなったリーリヤは、呆然と岩の壁を眺めていたが、遠くから振動を感じて我に返った。
 騒がしい。何かがあったのだ。

 怒鳴り声と叫び声。

「見つかった。結界が破られた!」

 伯爵の付き人の男が、誰かと言葉を交わしながら走っていく。爆発音が聞こえてきた。

「閣下。リトスロードの血は手に入れたのでしょう」
「ああ、だが術は効かないらしい。どうやらあちらが格上だったようだな。忌々しい。完敗だ。リトスロードは化け物だ!」

 伯爵と目が合った。「来い、リーリヤ」と命令され、リーリヤはそちらに駆け寄る。

「リトスロードに見つかった。ここからすぐに脱出する」

 付き人は皆魔術師だった。押し入ってきたリトスロードの者と戦っているらしいが、苦戦しているのが伝わってくる。伯爵と共にこの隠れ家にこもっている人間は十人ほどしかいない。

「移動は出来ませんか、閣下」
「無理だな。先手を打たれている。術が発動しない」

 リーリヤを連れて伯爵は歩き、洞窟の広い場所へと出た。
 そこには背の高い、マントをつけた一人の男が立っている。左の手には包帯を巻いていた。

「リトスロード……」

 伯爵が笑みを浮かべながら歯ぎしりをする。あれが、とリーリヤはディルラート・リトスロードに目をやった。
 厳かで近寄りがたい雰囲気だが、目は澄んでいる。射抜くような険しい視線を、真っ直ぐに伯爵に向けていた。

「終わりだ。トル・ファラエナ」

 ディルラートが剣を掲げ、術を放つ。幾筋もの光が束になって伯爵を貫こうとし、伯爵は防壁を作り出してどうにかそれを弾いた。
 ディルラートは伯爵の方へと走る。伯爵も腰に帯びた剣を抜いて攻撃を受け止めたが、一撃で力の差は歴然だった。

 伯爵はかろうじて致命傷を避ける形で退いていく。確実に追いつめられている。

「リーリヤを……!」

 伯爵が、駆けつけた部下に命令をした。
 おそらくディルラートは、伯爵を倒す以外にもリーリヤの奪還も目的でここに訪れたのだろう。
 リーリヤを人質にすれば攻撃を封じられるとの目論見だ。

 だが、部下が手をのばす前に、ディルラートから放たれた魔法でその男は瞬時に絶命した。
 舌打ちをして伯爵がディルラートに挑むが、とてもかなわなかった。伯爵は壁に叩きつけられ、とどめを刺されようとしたところを飛び退く。

 だが着地したところでまともに攻撃を受け、リーリヤのすぐそばにまで吹き飛ばされた。
 リーリヤはそんな光景を、ただ突っ立ったまま見守るしかない。

「……リーリヤ。私の、リーリヤ」

 血を吐きながら、伯爵は顔を上げる。案外苦しそうな顔はしておらず、いつもの金属じみた温かみのない瞳でリーリヤを見つめた。

「私と一緒に来い、リーリヤ。私の側以外に、君の居場所などないのだよ。君はアンリーシャの中に戻るというのか? やめておけ! 待っているのは哀れみだけだ。誰も君を必要としていない。君はアンリーシャとして認められていないんだ、誰もが腹の中ではそう思っている。ノアだって君はアンリーシャではないと言っていたのだからね」

 喘いで咳こみ、伯爵は続ける。

「君を理解しているのは、私だけだ。リーリヤ、君は! 美しいだけで能のない花でしかないと! 自分でもわかっているだろう! そんな君でいいと言うのは、この世で私だけだ!」

 リトスロードやアンリーシャへの復讐のために、リーリヤを連れて行こうとしているのかもしれない。
 しかし、もしかしたらこの人は本当に寂しがっているのかもしれない。やはり心から私のことを必要としているのかも。

 伯爵の言葉はいつも毒だった。毒を吹きこまれ続けてすっかりそれに侵されて、彼の言うことを真に受けるように調教されていた。

(私には、この人しかいない)

 伯爵が手をさしのべている。さあ、手をとれ、とその目が命じている。

「リーリヤ!」

 リーリヤは伯爵へと手をのばした。
 気づかぬうちに近づいていたディルラートが、剣で伯爵の体を貫く。
 リーリヤが伯爵の手をとる直前で、伯爵は息絶えた。

「…………あ、」

 リーリヤは、脱力してその場に膝をついた。
 亡骸を見ても、何の感慨も浮かんで来ない。ただ彼が死んだという現実だけが目の前にあり、のばしかけた手は行き場を失ってだらりと下がる。
 手をとりたかったわけではない。手をとらなければいけない、そんな気がして動いただけだった。

「リーリヤ」

 静かに名を呼んだのは、ディルラートだった。呆けた顔で、リーリヤはディルラートを見上げる。

「悪魔に魅入られてはならない。自分を見失うな」

 悪魔。

 そうだ、知っていた。この男は紛れもない悪魔だった。ノアを辱め、大勢の人間を手にかけて、なおも悪行を重ねようとしていた。
 ディルラートが剣を鞘におさめる。それから腰を抜かしているリーリヤを立たせた。

「行くぞ。お前を待っている者がいる」
「……行けません」

 リーリヤは目を見開き、伯爵の亡骸に目を落としたまま呟いた。

「私はこの男を受け入れて……共に生活をしたのです。帰る場所など、ありません」

 その上、一緒に死のうとしたのだ。
 これが罪でなくて何なのか。
 本当は全て誤っていると認識していたのだ。それなのに心を許した。悪魔にすがった。

「置いて行って下さい、リトスロード様」
「ならぬ」
「私に居場所などないのです……!」

 涙が止まらなかった。泣く理由が自分でも判然としない。惨めだからだろうか。それとも、伯爵を失ってしまったからだろうか。
 悪人に添えられる花として存在することを選んでしまった。拒まなかった。

「私は……私は……、こんな愚かな私に、戻る場所などあるはずがない……!」

 しゃくりあげて泣くリーリヤを、ディルラートが抱き寄せる。
 一族の誇りすら捨てて汚れた自分など、この場で死んでしまえばいい。リーリヤの涙は枯れることなくいつまでも流れ続けた。

 私など、さっさと枯れて朽ちてしまえばいい。


 そう願ってしまったからなのかもしれないと、後に思った。伯爵の予言は見事に当たり、リーリヤの時は止まって、朽ちることのないいつまでも美しい花として生き続けることとなったのだった。
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