106 / 115
亡霊と夢に沈む白百合
20、そのままでいい
しおりを挟む* * *
いつものように、リーリヤは森の中をさまよっていた。もう郷には誰もいない。
リトスロードの一族の者が現れて伯爵から使わされた見張りを押さえ、皆を逃がしたのだ。リトスロードの治めている土地の方が安全だと、皆も判断した。
今後はどうなるのかわからない。リトスロードの話によると、大公は倒され、大公国はなくなるそうだ。情勢は不安定になるといい、この場所も安全ではない。
伯爵がアンリーシャに対してどれだけのものを仕掛けているのか不明なので、それが判明するまで保護をするとリトスロードが申し出た。
ノア達を救うことも約束してくれた。
皆がここを出て行く中、リーリヤだけがひっそりと列から離れて森の中に戻ってきた。誰かがいずれリーリヤがいないことに気がつくかもしれないが、そう早くはないだろう。
存在感がない上にこの頃は皆の輪に加わらないでいたのでなおのこと、いなくても気づかれにくい。山の野花がさほど人目をひかないのと同じことだ。
どうしても、リーリヤは皆と一緒にここを離れる気持ちになれなかった。途中までは行動を共にしていたのだが、しんがりを歩いている最中、鬱々としてきて、足の動きが鈍くなってしまったのだ。
(私は何者なのだろう)
私はアンリーシャだろうか? このまま一族の一人として、彼らの中にいることは正しいのだろうか。
皆は言うだろう、当たり前ではないか、と。皆はリーリヤを排斥しないし、疎まない。彼らは真っ当な考えを持っている。
あくまでもこれはリーリヤ側の気持ちの問題だった。
いつも、鈍い劣等感と心苦しさを感じて、弱々しい微笑みを浮かべていることしか出来ない。どうあっても手に入れられないものに思いを馳せて、苦しみを反芻する。
リーリヤは結局、「劣ったもの」として生きていくしかないのだ。
魔力を持たず、か弱く、不能で、何を残すことも何を守ることも出来ない。生きることが許されたとしても、誰も否定をしなかったとしても、リーリヤには自身の存在を肯定するのが難しかった。
「劣っていることを許されている存在」というのは虚しい。
(役に立たないのだから、いなくてもいいのではないだろうか)
山に咲く百合は、誰にも知られずに枯れていく。自分もそうありたい。
――ひとりぼっちでいたい。
白百合を見つけたリーリヤは、顔に落ちてくる髪を耳にかけ、花のそばにかがみこんだ。
ふ、と辺りの草や木の葉が、不自然に揺れる。妙な気配を感じて、リーリヤは耳をそばだてた。
「……リーリヤ」
馴染みはないが、聞き覚えのある声だった。
振り向くと、身なりの良い男が二馬身ほど離れたところに立ってこちらを見ている。
銅色の髪と目。
赤銅伯爵だ。
リーリヤは少し驚きはしたものの、取り乱しもせずにゆっくりと立ち上がって彼の方へ体を向けた。
「他の者は行きましたよ。貴方の手の届かないところへ」
「そうらしいね。まあ、そうだと思っていたよ。ノア・アンリーシャもリトスロードに奪われた」
では、ノアの身はもう安全なのか。リーリヤはほっとして口元を緩めた。
自分はこれからどうなるのだろう。腹いせにこの男に殺されでもするのだろうか。それでも構わない、と投げやりな気持ちだったので、恐怖は欠片も湧いてこなかった。
伯爵は髪をかきあげると、しばらくリーリヤのことを黙って見つめていた。
「何度見ても、君は美しいね。アンリーシャは誰もが美しいが、君は特別な魅力がある」
それに対して、リーリヤは黙っていた。
伯爵がリーリヤにてのひらを向け、首を傾げる。
「やはり術がかからないな」
そう呟いて手を下ろす。
「君はアンリーシャではない、とノアが言っていたが、本当かね?」
伯爵の問いは、リーリヤの心に深く突き刺さった。鼓動が乱れて、呼吸の仕方を一瞬忘れてしまう。崖から突き落とされたか弱い動物が見せるような絶望の色が面に浮かぶのを、伯爵は見逃さなかったらしい。笑みを深めていた。
「……そう、かもしれません。私は……アンリーシャとは……言えないの、かも」
震えを誤魔化すために、リーリヤは左手で自分の右腕をしっかりと握った。
「私はアンリーシャの血を持つ者を縛る術が使えるんだ。濃ければ濃いほど効果がある。だが君には一切かからないようなんだ」
「では、私はアンリーシャではないのでしょう」
リーリヤは苦笑した。
確かに一族の女の腹から生まれたはずなのだが、リーリヤはやはりアンリーシャではないらしい。敵であるこの男が、アンリーシャのみにかけられる術が効果がないと言っているのだから間違いないだろう。
縛る術すらかからないだなんて、本当に、自分は一族の者である要素を何一つ継いでいないのだ。
改めて打ちひしがれた。新しい悲しみが体の中に湧き上がる。今にも悲しみで満たされて、それは溢れてしまいそうだ。
「ここへお越しになられても、もう貴方が求めるものは何一つありません、伯爵。諦めてお帰りになった方が宜しいでしょう」
「そんなことはない。私は君を求めてここへ来たんだ。まだいるような気がしてね」
意外な言葉に、リーリヤは軽く眉をひそめて顔を上げた。
「私を……?」
「そうだよ、リーリヤ。私は君が気に入った。君を迎えに来たんだ」
困惑しながら、リーリヤは何度か口を開けたり閉めたりした。
「……私は、貴方が利用出来るような力を持ちませんが」
「構わないよ。ただ気に入っただけなんだ。聞き分けの悪いアンリーシャなどもうやめだ。私は疲れたんだ。君は癒しになるだろう。私のものにしたい」
発言の内容が理解出来ず、リーリヤはまばたきをするしかない。得体の知れない恐怖と惑いで、身を縮めた。
「言っている意味が……わかりません」
「リーリヤ。君という人間が好きになっただけなんだよ」
「私はアンリーシャでは……」
「アンリーシャであるかどうかなんてどうでもいい」
「わ、私は……私には何もないのです。つまらない人間です。力はないし、体も弱いし、だ、誰の、役にも」
自分を抱く腕に力がこもる。
周期的に襲ってくる惨めさに体が震えるのだ。誰にも気にかけてもらいたくなくて、そのくせ自分は寂しがり屋だった。
本当は誰かに必要としてもらいたかった。許されるのではなく、心から求めてもらいたかった。胸を張っていられる居場所が欲しかったのだ。
「君はいるだけでいい。私は君が、アンリーシャの中で相対的にどのような存在であるかなんて気にはしないよ。君は美しい。鑑賞用の百合だ。私のそばにいればいいじゃないか。儚げな君が欲しいんだ、リーリヤ。そのままでいい。むしろ、そんな君がいいんだよ」
――大事にしてあげる、君だけを。
伯爵が囁いた。
それは甘美な毒のように耳から体内に吹き込まれ、思考が痺れる。
この男がどれだけ非道な行いをしたのかは、愚かなリーリヤにもわかっていた。しかしだからこそ、自分は彼の隣に居場所を求めるのが相応しいかもしれないと思い始める。
私しかいらないとこの人は言っている。
何をされるかは知らないが、私が身を差し出せば、もうアンリーシャには興味がなくなるかもしれない。
そんな考えもある一方、純粋に彼の言葉に惹かれもしていた。
そのままでいい。君がいいんだ。君だけを。
この人なら、自分がいいと口にするこの人であれば、リーリヤを劣った者ではなく、ただリーリヤとして見てくれるのかもしれない。
赤銅に燃える瞳に、リーリヤは目を奪われていた。足元がふらついて、一歩前に出る。
「おいで、可愛いリーリヤ」
伯爵が手を差しのべた。
リーリヤの足が動く。一歩、二歩、と伯爵の方へと歩いていく。ゆっくりとした足取りだったが、伯爵は辛抱強く、リーリヤが自ら懐に飛び込んでくるのを待った。
リーリヤは伯爵に柔らかく抱きとめられた。彼の体からは微かに血のような、金属のような匂いがした。
顎に手を添えられて、上を向かされる。伯爵の目を見ていると、言葉が抜け落ちていって頭は空っぽになり、考え事が出来なくなった。
唇が重なる。温い舌を受け入れながら、リーリヤは自分が酩酊しているように感じた。
この人は本当に、自分を必要としているのではないだろうか。そうだったら――いや。
――もう、どうでもいい。
何もかも放棄してしまうと、空虚な体は官能に支配されて幾分心が楽になる。
(ごめんなさい)
リーリヤは兄のように慕っていた青年の顔を思い浮かべ、苦い思いで謝罪をすると、冷たい伯爵の体に腕を回した。
伯爵が嬉しそうに目を細めるのが視界に入った。
1
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
大好きな旦那様が愛人を連れて帰還したので離縁を願い出ました
昼から山猫
恋愛
戦地に赴いていた侯爵令息の夫・ロウエルが、討伐成功の凱旋と共に“恩人の娘”を実質的な愛人として連れて帰ってきた。彼女の手当てが大事だからと、わたしの存在など空気同然。だが、見て見ぬふりをするのももう終わり。愛していたからこそ尽くしたけれど、報われないのなら仕方ない。では早速、離縁手続きをお願いしましょうか。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる