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亡霊と夢に沈む白百合

17、奴隷と主人

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 * * *

 赤銅伯爵は、いわゆる記録魔だった。起きたことなどを逐一書きとめ、記録として残す。研究熱心な男であり、所持している書物の量も膨大だった。なので彼の城には、取り寄せた書物と自身の記した書物があちこちの部屋に詰めこまれ、溢れんばかりだった。

 今日も伯爵は書き物をしながら、椅子に座らせているノアに話しかけている。

「君達の祖である一族は、変わった種族だったそうだね。アンリーシャは男ばかり産むが、祖先は女ばかりを産んだ。彼女達は人だけではなく、特殊な何かを孕むとされていた。だから子宮が必要だったのだね」

 伯爵はいろいろと調べたらしい。確かにそうだった。アンリーシャの祖先は女ばかりを産む一族で、特別な力を持っていた。そのせいで迫害を受けてほとんど滅びた。

 アンリーシャはその一族の傍系である。彼女達の人以外のものを産むという体質はアンリーシャには受け継がれていない。ただ、妙にねじれて遺伝したらしく、男ばかりが産まれ、しかもその男は子宮を持つのである。

「彼女達は妊娠をしなければならない。だから男を呼ぶために、魅力的な見た目が備わっていたという。性的魅力だ。アンリーシャが異様なほど美しいのもそのせいだろう。生物なんてそんなものだ。君達の祖先の女についての記録はわずかにしか残っていないが……大変卑猥な記録だったな。『とんでもなくいい』らしい。互いにね」

 筆記具を置いて、伯爵が振り向く。金属のような色をした瞳に、燭台に燃える火の光が反射して、ノアはぞくりと悪寒を覚えた。

「君も跡継ぎを産まなければならない。そうだね? 子種をやろうじゃないか」

 ノアの呼吸が浅くなる。
 運悪く、昨日から女の器官が出来る時期に入ってしまったのだ。その間だけでも性行為を避けられればと願っていたが、やはり無理だった。先ほど探られて確認されたばかりだ。手を出さないわけがない。

「聞いたよ。君達は相手にさほどこだわらないそうじゃないか。ああいった部落では性交渉は特別なものと見なされない場合が多いからな」

 それも伯爵の言う通りだった。血が濃くならなければいいといった程度の配慮しかない。ノアの父も祖父も、相手は余所者だったが特に吟味してはいないと聞いている。行きずりだ。子はほとんどアンリーシャの能力を強く受け継ぐ為、言ってみれば相手はちょっとしたきっかけみたいなものに過ぎないのである。

 以前は相手と婚姻関係に近いものを結んで暮らしたこともあったそうだが、必要性が感じられなくてその習慣はなくなったという。
 確かに、孕めれば誰でもいい。
 だが。

(この男は嫌だ。この男の子供など……)

 そう思っていても、声にならなかった。何を言おうが、今から起こることは決まっているからだ。絶望が口を塞いでいる。

「お前は……もう子供が何人かいると言っていたではないか。何故まだ欲しがる」
「面白いからに決まっているじゃないか。世にも稀な男から自分の子供が産まれるのは実に面白い。君だっていずれ産むのだろうし、早い方がいいんじゃないか? 私は優れた魔術師だ。損はさせない」

 裸にされて寝台に転がされる。
 自分は家畜だとノアは思った。首を縄でくくられて繋がれ、狭い小屋に押し込められて人に乳を提供する牛や山羊と変わらない。

「君は本当に珍しい『動物』だよ、アンリーシャ。上流貴族がこぞって欲しがるだろうね」

 愛撫されれば嫌でも体は反応して、秘部からは蜜がこぼれる。歯を食いしばるなと命令されているせいで、声も我慢できなかった。

「そうやって子宮がある時によく感じるのは、妊娠したがっているからだよ。君達は普通の女に比べても、妊娠するチャンスが少ない。だからその機会を逃さないよう、ここぞとばかりに感じるようになっているわけだ。必要だから快楽がある」

 容赦なく伯爵の立ち上がった陰茎が内部に侵入し、ノアは声をあげて背中を反らせた。行為の時は自然に悶えるところを見たいらしく、呪術の束縛が少々緩められるのだ。

「あっ……ぃ、やっ、ああああああ!」

 痛みは少なく、凄まじい快感が頭の中を真っ白に焼いた。

「なるほど……確かに特別だな、これは」
「やあ、……ッ、あ! んっ……だめ……!」

 後ろで交わるのとは比べものにならないほどの愉悦だった。中を少し擦られるだけで、目の前に火花が散って気が遠くなるようだ。
 自分の意思とは無関係に、器官が子種を求めて相手のものを締め上げる。本能の渇えに抗えずに体が動く。

「そんなに欲しいか」
「……ぁ、……っ、やっ! あ、あ、やだ、……!」

 内部に迸る感覚があり、達したノアは脱力した。快楽の余韻が全身に広がって気怠い。横たわるノアの体を眺めまわして、伯爵は口元に笑みをのぼらせた。

「君のような気位が高い青年の自尊心を踏みにじるのは、なかなか楽しいものだ」

 自分の心を飲み込もうとする絶望をどうにか押さえつける。しゃくりあげそうになる喉に力を込めた。荒ぶる感情を宥めて、残った矜持から強い自分を作り出す。
 屈するな、と叱咤して。
 ノアも唇の端を持ち上げ、伯爵を睨みつけた。

「これくらいのことで、私を傷つけられるとでも? 性交など、交接器を結合するだけだ。獣でもやっている。先ほどお前が言ったではないか、我々にとっては重大な意味を持つ行為ではないと。調子に乗るな」

 これ以上込められないほどの憎悪と軽蔑を視線に込める。抵抗をし続けている間は自分というものを失わずに済む気がした。
 ふん、と伯爵は鼻から抜けるようなため息をついて、ノアの顎をつかむ。

「やはり可愛げがないね。虐めるのは好きなんだが、服従させるのは骨が折れる。初めから聞き分けの良い人間の方が手間がかからない。……たとえば、君の郷にいたあの白い子は、聞き分けが良さそうじゃなかったか? 不安を抱えていて臆病そうな、良い目をしていた。あれならすぐに丸めこめそうだ」

 ノアはぎくりとした。
 リーリヤだ。この男はまだリーリヤのことを忘れていない。

「あれはアンリーシャじゃないと言ったね。魔法が使えないのか?」
「……そうだ」
「なら連れてきても使えないか。今回は用がないな。私は忙しいし……遊ぶ暇はない。しかし、惜しいな。あれは実に私の好みだ」

 動揺を悟られないようにノアは無表情を保った。
 リーリヤは確かに何の能力もない。それははっきりしている。だが今は亡き占い師が、リーリヤが生まれた時に「この子は少々、変わった運命をたどることになろう」と予言していたという話を思い出す。

 世を大きく動かすような力は持たないだろうが、粛々と役目を果たすだろう。この花のように美しい子供を、一族の為にもくれぐれも大切にしろ、と。

 リーリヤまで手籠めにされるわけにはいかない。伯爵が見抜いている通り、リーリヤは気が優しすぎて心も見た目同様真っ白だ。このような悪辣な男の手にかかれば、あっという間にその白は染められる。

「これで……終わりか?」
「何がだね」
「たった一回で孕ませられると思っているだなんて、大した自信だな。言っておくが、そう易々とは身ごもらないぞ」
「受胎率は非常に高いと聞いているが」
「精神の問題だ。お前の子など孕むわけがない。何度犯されようと」
「そんなに抱いてほしいのなら、拗ねた言い方をせず素直に頼んだらどうかね。言ってみたまえ。気持ちが良かったのだろう? みっともないほど喘いでいたものな。女の穴に突っ込まれたのは初めてか。大人になったな。おめでとう」

 笑いながら伯爵がまた腰をつかんでくる。
 とりあえずはリーリヤのことは頭から去ったらしい。

 乱暴されて、放り出されて一人部屋に残されたノアは息を切らす他、四肢を好きなようにも動かせない。見えない糸ががんじがらめになって、その糸はおぞましくもあの男としっかりと繋がっている。

 わずかに指先が震えていて、その動きだけが自分に許された自由であり、震えが愛しく思えた。
 「やめてくれ」。「助けてくれ」。口にした時点で真の敗北が訪れる気がした。

 ――助けてほしい。誰かに。

 情けなくもそんな思いが度々頭に浮かぶ。なんと自分は弱いのだろう。自分が皆を助けてやらなくてはならない立場だというのに。
 大体、誰に助けを乞えばいいのだ。誰が助けてくれるというのだ。

 意識を途切れさせたくはなくて、怒りを燃やしてノアは現実世界にどうにか踏みとどまる。諦めてなるものかと、一人寝台で震えながら。

 * * *

 アンリーシャの男は妊娠期間が非常に短く、およそ五ヶ月で出産する。なので兆しも早くわかる。
 ノアは抜け殻になったような鬱々とした日々を過ごしていたが、幸い、妊娠の兆候は見られなかった。

 孕まなかった。助かったのだ。
 これはごく珍しいことではあった。おそらく、体が合わなかったのだろう。ノアは以前調べてもらっていたが、器官に問題はないと言われていた。伯爵の方も子供がいることから、そちらの問題でもないだろう。

 合わない相手が稀にいて、そういう者とは子供はもうけられないと聞いていた。
 ノアは天と地の全てのものに感謝した。最も恐ろしい未来は避けられたのである。今後もし逃げられなかったとしても、あの男の子供を産まなくて済むのだとすれば、それはこの上ない喜びで、救いだった。

 だがそうして安堵したせいか、緊張の糸は切れつつあった。
 精神が限界を迎えている。城にいても戦場にいても、軽く失神することが増えた。まともに思考が出来なくなり、何も考えずに呆然としている時間が多い。

「奴隷は主人に逆らっても得はしないよ」

 伯爵に優しくそう諭され、睨み返す気力だけはかろうじて残っていたが。

 ――死ねたら。どれだけ楽だっただろう。

 だがどれほど惨めであっても、屈して逃げるのだけは許せなかった。アンリーシャの血がそれを許さない。
 この悪魔はまだその手を地上に広げるだろう。自分でなくてもいい、誰かが討たなくてはならない。野放しにしておくわけにはいかないのだ。
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