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亡霊と夢に沈む白百合
16、出来損ない
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アンリーシャと一族が庇護する者が住む郷では、重苦しい空気が漂っていた。森では以前のように鳥がさえずることすらなく、陰鬱とした雰囲気に一帯が包まれている。
ノア奪還のために一人旅立ったサイシャが、酷い怪我をして帰ってきたのは一週間ほど前のことだ。サイシャは、怪我は大したことがないが、と打ちひしがれた様子で床についた。
今後のことについては何度も皆で話し合った。
この辺りに、おそらくだが伯爵の手下の見張りが配されているだろう。全員で脱出するのは難しい。逃げれば捕らえられているノア達がどうなるかわからない。かといってとどまっていたところで、いずれはよくて連行、悪くて皆殺しだろう。
「我々ではどうにもならぬ。呪術は一族全体を縛るものだ。アンリーシャは誰も赤銅伯爵に手出し出来ぬだろう」
まとめ役の老人がため息をついてかぶりを振る。ほとんどのものが、あの時の術の強さを目の当たりにしている。
八方塞がりだった。老人は、もうノアを見捨てるしかないだろうと諦めている。伯爵はアンリーシャ一族に目をつけている。民と共に、若いアンリーシャの者を可能な限り逃がすしかないだろう。
宗主のノアも、全員で滅びるのなら少しだけでも助かってほしいと願っているはずだ。
「それではあんまりだ」
老人の話を聞いた一人の正義感の強い若者が立ち上がって抗議をする。そう、あんまりな選択ではある。彼は若い故に、後味の悪い結末など受け入れられないのだろう。希望は必ずどこかにあると信じている。
しかし老人は、歳を重ねると共に現実の苦みというものを嫌というほど味わっており、生きていく上で厳しい取捨選択を迫られるのは仕方がないことだと理解していた。
もちろん老人は、ここに残ると決めている。
「待って」
そう声をかけて話し合いの輪に入ってきたのは、まだ顔の腫れがひかないサイシャであった。
「私達でどうにもならないというのなら、助けを求めるしかないわ」
助け。それは鈍い響きで、老人の心に何も反応を起こさなかった。
「サイシャ。一体誰に助けを乞うというのだね」
アンリーシャは余所との交流を好まず、山奥に隠れ住んでいたのだ。どことも繋がりなどない。孤立無援なのである。分家はまだいるが、伯爵に知られれば被害は拡大するので連絡も取れない。
「道中で人に話を聞いたの。東の暗い大地に住む、リトスロード一族。彼らに頼むわ」
リトスロード。その氏族の名は老人も知ってはいた。神代を少しばかり過ぎた後から続くという伝説を持つ、古い一族である。
彼らの治める土地はリトスロードの地と呼ばれているが、その多くは魔物が出る危険な地域だった。
地面の下には迷宮が現れ、そこから数多の魔物が湧いてくる。人に害をなさぬよう、リトスロードは魔物と日々戦っているのだそうだ。
「リトスロードは困っている民を見捨てないとみんな言っていたわ」
「しかし、我らは彼らの民ではないではないか。それに、我らの敵は誰だ? エンデリカ大公国だぞ。リトスロード一族が我らに力を貸すということは、大公国と敵対するということだ。そんな危険を侵すと思うか」
誰だって自己の利益を優先するに決まっている。リトスロード一族が、縁もゆかりもないアンリーシャの為だけに他国と揉める決断をするなど到底あり得ない話だ。頼みに行くのは無駄足になる。
「他に手がないのだもの。私、行くわ」
サイシャの目は燃えている。ノアを奪還できなかったことによる自責の念、怒り、そして手放しきれない希望がそこにあった。
どんな種類であれ光を宿さない老人の目とは違う。彼女もまた若い。
「リトスロード一族が住まう館は、魔物が出る大地にあると聞く。危険だぞ」
そもそも彼女が赤銅伯爵の城へ潜入すると言い出した時も老人は反対したのだが、聞き入れなかったのだ。
「死ぬぞ、サイシャ」
「死なないわ。必ず助けを連れてくる」
老人は口をつぐんだ。彼女をここに縛りつけておいても、事態は好転しないのである。どう転んでも厳しいのならば、好きにさせるべきか。
サイシャはアンリーシャの分家の中でも特に優れた力を持つ女だった。簡単に旅装を整えて、やはり一人で出立する。監視の目があることが予想されるので、複数人でここを出るのは難しかったからだ。
「私は諦めない。ノア様を助けるわ、必ず」
マントを首に巻きつけた彼女が家を出て行くのを、老人は悲壮な目をして見送った。サイシャの姿を見るのもこれで最後になるかもしれない。だが老人には引き留められなかった。
老人はもう、爪も抜かれて牙も落ちた。出来ることと言えばせいぜい周りを諭すくらいだが、若い彼らが無謀に散ることを厭わないのも知っている。
絶望を噛み砕いて飲ませるのもある種の傲慢かもしれない。正しいことは未来で待っていて、それは飛び込んでみて初めてわかるのだ。誤っていれば受け止めてもらえず、落下するだけ。
老人は瞑目した。
どうか彼女を受け止める手が、先の未来に待ち受けているようにと祈って。
* * *
リーリヤは酷くのろのろと、森の中を草木をかきわけて歩いていた。皆から離れてはいけないと注意されていたが、リーリヤは無視をしていた。
目立つ容姿ではあるが存在感が薄いために、リーリヤがいなくても誰も気がつかない。だからこうして昼も夜も森をさまよっている。
(ノア様)
ノアはリーリヤにとって、兄のような存在だった。宗主の息子である彼とリーリヤは、言ってみれば身分が違う。アンリーシャに明確な身分制度のようなものはなかったが、本家は当然一目置かれて最も尊ばれ、次にリーリヤ達の一つ目の分家、そして外に出て行った他の分家、と序列がある。すなわちそれは力の強さだ。
リーリヤは少しもアンリーシャの力など継いではいなかったが。
リーリヤは陽気な性格ではなく、おとなしい。はにかみ屋で、いつも人の後ろに隠れて過ごした。か弱く無力という後ろめたさが、余計にリーリヤを一歩下がらせていた。
ノアはリーリヤのことを気にかけ、一人でいると一緒に散歩をしてくれた。ノアは優しい兄だった。リーリヤが獣に襲われそうになると追い払い、怪我をすると手当てをしてくれた。
彼の方が美しかったが、「お前は綺麗だね、リーリヤ」と誉められると嬉しかった。
(そんなノア様がさらわれて、私が残ってしまった)
赤銅伯爵が現れて、ノアに逃げろと指示されたあの時。言われた通りノアは逃げた。とどまればノアを困らせることになっただろう。太刀打ち出来ない自分は、足手まといにしかならないのだ。だからあの選択は間違っていなかった。
けれどリーリヤは、逃げた自分を恥じ続けた。
蛮勇を振るえば迷惑をかけたのもわかる。とはいえ、もっと何か、上手く立ち回れなかったものか。幼子のように震えて、背を向けて、男としてあまりにも情けない。
(私はノア様を見捨てたんだ)
(私がさらわれればよかったのに)
(酷い目に遭うのなら、私の方がよかった)
どうせ、力仕事もろくに出来ない、ひ弱な花でしかないのだから。何も成さない花である。手折り、楽しむ為に飾るくらいしか役目がない。
ノアは一族に必要な存在だ。人柄も力もそうだが、いずれあの人は子を産むだろう。それは大事な継嗣となる。
一方のリーリヤはそちらの方でも役立たずの恐れがある。十七を過ぎたが、女を抱けないのだ。全く反応しない。
ここでは性に対してかなり奔放な捉え方が浸透しており、性交というものはあまり秘された行為ではない。
子は早くもうける方がよいという考えがある。なので行為を経験するのも早い者は早い。リーリヤは容姿が一族の中でも優れている方だったので、何人かに興味を持たれた。
しかし女は抱けなかった。男に抱かれたこともあったが、それでもリーリヤの一物は勃ち上がらない。男に抱かれる分には勃起などしなくても問題はないが、女を相手にするとなると困る。子作りはできない。そういう病があるという。
一族を増やす助けも出来ないとわかると、それはリーリヤに追い打ちをかけて、ますます自信を失わせた。
まだ若いから今後のことはわからない、と慰められたが、治るとはどうしても思えないのだ。こんな出来損ないに種は要らぬということなのか、とリーリヤは落ち込んだ。
「お前がいればそれでいいよ」
ノアは笑ってリーリヤの頭を撫でてくれた。もしもお前にずっとこのまま子が出来なかったとしても、お前がいてくれたらいいんだ。それでお前の価値が損なわれたりなんてしないよ。
そう言って励ましてくれた人は、連れ去られてしまってここにはいない。
(私が行けばよかったのに)
リーリヤはうなだれる山百合を見つけ、そばにかがみこんだ。そのままそこに横たわる。
特別な一族であるアンリーシャの中で、唯一無能な白百合リーリヤ。自分も仲間でありたかった。特別になりたかった。
――アンリーシャに、なりたかった。
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