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亡霊と夢に沈む白百合
15、お前は悪魔だ
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「君には戦に出てもらう。力を見たいと殿下が仰せだ」
伯爵は自分の爪を眺めながら、目の前に立つノアに告げた。
「断る」
無駄な抵抗だとはよくわかっていたが、ノアは拒んだ。
その諸悪の根元とも思える大公とやらに、未だ目通りはかなっていない。そんな目つきで会わせたら叱られるのは私だから、と伯爵は以前ぼやいていた。
ここに来て幾日経ったか覚えていない。だがおそらく、半月以上は経過しているだろう。どうにかノアはまだ正気を保って生きていた。
エンデリカ大公国は周囲の国々が止めるのも聞かず、言いがかりをつけては小国の領土を狙って戦を仕掛けている。それに顔を出して来いと伯爵は言うのだ。
以前、どれほどの魔法が使えるのか外で試されたことがある。力は十分と判断したらしい。
「君が使える別の術を見せてほしいんだ。私が知らない術は使わせることが出来ないからね。放つ方向だけは操作させてもらうが、術の内容は君に任せたい」
「断る」
ノアは抑揚なく拒み続けた。伯爵がため息をつく。
「ああ、そういえばアンリーシャの土地の者がここの城に侵入したよ。君達を助けに来たようだが、捕らえて今は繋いである」
名前を聞き、ノアは目を見開いた。分家の女だった。伯爵いわく、動きを完全に制御できるのはノアだけで、後は血の濃さによってまちまちらしい。やはり男に強く受け継がれるから、分家の女は術で操るのも限界があるそうだ。
「……帰してやってくれ」
「死体をかね」
「殺したのか」
「まだだ」
「では、彼女を解放してくれ。代わりにお前の言うことを聞く」
伯爵は肩を揺らして笑っている。ノアの懇願するような眼差しを見て、「いい目だね」と満足げな顔をした。
「私も悪魔じゃあないのだよ。いいだろう、帰してあげよう」
扉が開かれ、伯爵の部屋にぼろぼろになった女が連れてこられた。後ろ手に縛られ、顔の片側が腫れあがっている。サイシャだ。小さな子が二人いる女だが、戦闘力が高く、ノア奪還のために出て来たのだろう。
「サイシャ」
「ノア様!」
「皆はどうだ。変わりはないか」
「私達は何も。しかし、ノア様が……」
「私のことはいい。見ての通り無事だ。乱暴もされていない」
今のサイシャの状態と比べれば、ノアの見た目は綺麗なものだ。一見、さほど悲惨な待遇は受けていないように見える。横にいた伯爵が微かに笑った。
「サイシャ、帰ってくれ。もう私を取り戻そうと考えて、誰かをここに寄越すな。連れて来られた者達については私が交渉する。こうなったのは私の罪だ」
私が力不足だから。私が守れないから。
サイシャは何度も首を横に振った。涙を流して、うなだれている。
土地を捨てて逃げろ、と軽率に命じることも出来なかった。隣には伯爵がいるのだ。彼らが監視されていて、皆で逃げ出そうとすれば何かしてくるかもしれない
。
どうにかしなければ、とノアは頭を働かせる。この男が一族全員を連れてくるという判断を下すのを、なるべく先延ばしにしなくては。
その間に何か――策を。策とは何だ?
――助け。誰かの助力。
しかし、一体誰が自分達を助けてくれるのか。
「二度と誰も来てはいけない。私が何もしてやれない人間で申し訳なく思う。なるべく傷つく者が少ない選択を、皆で考えてくれないか。達者で子供達を育ててくれ、サイシャ。頼む」
サイシャももう何も言わなかった。出来ることなら顔を上げて、伯爵を睨みつけたかったに違いない。しかしここで少しでも気に障ることをすれば、ノアや仲間達に何をされるかわからない。
サイシャは引きずられていった。何事もなく解放されるかどうか疑わしいが、どうにもしてやれないので祈るしかなかった。
そんな心中を見透かしたかのように、伯爵が言葉をかける。
「私を信じたまえ。繰り返すが、私は悪魔ではないんだ」
「お前は悪魔だ」
生殺与奪の権を握る伯爵は、実に楽しそうに、穏やかに笑っている。
「行ってくれるね? 戦に。腕前を見せてもらおう」
そうして前線に出ることになったノアだったが、そこでしばらくぶりに仲間達と出会った。といっても、皆仮面をかぶったままの状態だったが。
ここがどこで、敵が誰なのかも知らされていない。命令は相手を殲滅することであり、伯爵の知らない術を披露することだった。
アンリーシャが使う術は身を守るものばかりで、伯爵のように禍々しい呪術に対抗出来るものはなかった。もっと想定しておくべきだった。研究して、より複雑な術を生み出し、防衛を強化していたなら。
「ノア様、ご無事でしたか」
「お前達も、生きていてよかった」
仲間と顔を合わせ、二言三言は言葉を交わす暇があった。誰もが疲れ切った声をしている。何をされているのか尋ねる暇がなかったが、殺されてはいないもののろくな目には遭わされていないだろう。
弓隊を下がらせ、ノアがてのひらをかざして呪文を唱える。大地に巨大な陣が浮かび上がり、その中に足を踏み入れいていた敵の歩兵が血飛沫をあげて体を反らせながら次々に倒れていく。
他のアンリーシャ達も魔法で敵を倒していった。あちらにはろくな魔術師がいないらしく、赤子の手をひねるがごとく、楽に勝利をおさめた。
大公国の兵隊は大喜びで騒いでいる。ほとんど犠牲も出さずに大勝したのだ。
進軍、進軍。明日も進軍だ。必ず我らが勝つ! 勝利は約束されている!
ノアは肉塊になっている敵兵の屍を、うつろな目で眺めていた。こんなに一度に人を殺したのは初めてだ。
鬨の声、悲鳴、うめき声、罵声。それらがないまぜになって耳の奥を刺激する。頭の中でわんわんと反響している。
(耐えるんだ。ここで私が諦めてしまえば、一族に未来はない。私が諦めたらおしまいだ)
「よくやった、アンリーシャ」
いつの間にか近くまで来ていた伯爵に声をかけられる。戦装束に身を包んだ彼は、親しげにノアの肩に手を乗せた。
(こいつの首をはねてやりたい、今すぐに)
凄まじい憎悪で、気が変になりそうだった。体の中に閉じこめられた意識が暴れ狂っている。もがいて手をのばし、伯爵をくびり殺そうとしているのに、現実では指先一本すら動かない。
「どうだい、自分と何ら関係のない人間を、命令のまま手にかけるというのは。何百人殺した? アンリーシャ一族の誇りも何も、あったものではないね、若様。君達は私の人殺しの道具でしかない。大公殿下も喜んでおられた。明日も頼むよ」
猛烈な不快感を覚えて、ノアはうめいた。
「気持ちが……悪い。吐かせてくれ」
仮面を外され、前傾姿勢になりノアはその場で嘔吐した。吐くことすら、この男の許可なしには出来ないのである。
伯爵が背中をさすってくる。
「可哀想に。まあ、すぐに慣れるよ」
心の中であげ続ける悲鳴も、もう掠れ初めていた。自分一人のことであればとうに白旗をあげていたであろうが、自分は一族の長なのだ。正気を失うことは、諦めることは許されない。まだ仲間は生きている。
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