上 下
100 / 115
亡霊と夢に沈む白百合

14、屈辱の日々

しおりを挟む

 * * *

「私の術は完璧に近いんだ。血というものを長いこと研究してきて、やっと完成させた。操ることには問題がない。だがね、前にも言った通りに肉体だけなんだ。精神はどうにもならない。これが惜しい」

 手を後ろに組んで、伯爵は部屋の中をゆっくりと歩いていた。椅子に座らされたノアは動くことも出来ず、伯爵の姿を目で追うだけだ。

「右手を挙げてごらん」

 命令されると、勝手に手が動く。

「下ろして」

 言われるがままだ。伯爵が指を動かすと、ノアの首は左右に向けられる。

「このように、私が命令、あるいは念じれば、好きなように動かせる。けれど……そうだな。ノア・アンリーシャ。アンリーシャ一族について君が知っている秘密があれば話してくれないか?」
「…………」

 ノアは沈黙したまま伯爵を冷たい目で睨み続けていた。

「こうだ。意識や心だけはどうにもならないな。これも克服できれば完璧なんだがね。無理矢理何かをやらせることは可能だが、それだと精神が壊れてしまうという問題もあるだろう。なるべく長く使うとなると、加減が必要になって面倒だ。精神も支配出来れば楽なんだがねぇ」

 悲しそうに眉をひそめる伯爵は、まるで犬かネズミの調教の話でもしているかのようだ。

「口を割らせるとしたら、今のところは拷問くらいしか手がないんだ。私は大公殿下と違って、別に拷問は好きではない。嫌いというほどでもないが」

 精神的服従、と伯爵が呟く。

「精神についての学問はあまり研究が進んでいないね。現在、心も従わせるために有効な手段は、やはり徹底的に蹂躙して、壊れる寸前まで自我を痛めつけるしかないだろう。これもいろいろ試して、結果を集めて検討するしかないだろうな」

 病んでいる、とノアは思った。魂が病んでいる。生まれつきなのか、途中でそうなったのか。呪術を生み出したせいで汚れてしまったのかもしれない。
 この男は倒されなくてはならないだろう。放置しておけばいずれはもっと強大な力を手にし、あらゆるものを踏みにじり続ける。

 病んだ魂は渇えを覚え、死ぬまで永遠に潤うことはないのだ。

「立ちたまえ、アンリーシャ。そして寝台まで行って服を脱げ。君は肉体に苦痛を与えてもさほどこたえない性質と見た。高い矜持を持っているのなら、憎い相手に犯されるほどの苦痛はないだろう。心配せずとも、私は男の相手も上手い方だよ。君ほど美しい男なら歓迎する」

 歯が折れそうになるほど食いしばり、動きを止めようとするのだが無駄だった。知らない人間の体に意識だけが閉じこめられているかのようだ。
 自らの手に服をはがれていく。伯爵がゆっくりとこちらに歩んでくる。

「悔しいかね? それが敗北というものだ。弱い者が強い者に蹂躙されるのは運命だよ」

 伯爵は眉尻を下げ、哀れむように微笑んだ。

「可哀想に」

 全てが、全てが屈辱だった。
 行為に及ぶために自尊心を傷つけられるような格好を強要され、ノアはきつく目を閉じる。
 心は暗い絶望の中に沈んでいた。
 自分に力がないことを、これほど腹立たしく、情けなく思ったことはなかった。

 * * *

 囚われてからのノアの生活は、当初覚悟していたものより想像を絶する、酷いものだった。
 あらゆる自由を奪われて、人というよりもの同然の扱いだ。尊厳など欠片もない。
 食事も排泄も、睡眠中の寝返りすらも強制的だった。内臓の動きも制御されているのかは知らないが、どれほど食欲がなくても吐き戻さず、皮肉なことに肉体の健康は損なわれなかった。

 大半の時間は鍵もない部屋にいて、意識とは無関係に散歩をさせられ、日によっては伯爵の部屋に呼び出される。
 何を聞かれてもほとんど無視を貫いた。

「私は可愛げのある子の方が好きだがね」

 困ったように笑って、伯爵はそう言った。

「従順になれば得をするよ、アンリーシャ。精神を降伏させるんだ。そんな難しいことじゃない。折れればいいだけだ。そうしたら、可愛がってあげよう」

 おとなしくてたおやかな人間が好きだ、という、伯爵の馬鹿げた好みを聞かされて、ノアは視線にさらなる侮蔑をこめる。この男の好みでないことが、今の唯一の救いであった。

「やれやれ、頑なだな。そんな目をするんじゃない。調教というのは時間がかかる」

 立って、壁に手をつけと命令された。いつもの「お仕置き」だ。
 ノアは性行為が全くの未経験だったわけではないが、それでも交わった回数はごく少なかった。伯爵はその手の方面に詳しいらしく、行為は端的に言えば異常で変態的だった。ノアがそれを嫌がることをよく知った上で強要する。

「でも君は偉いね。まだ若いのに、泣き言一つ言わないのだから。立派だ」

 耳元で囁き、伯爵は笑う。
 妄想の中で、何十回、何百回とノアはこの男を殺してきた。父を殺され尊厳を傷つけられ、仲間にも手を出され、まだ悪行を重ねようと企んでいる。

 今すぐに、恨みを晴らしたい。けれど手も足も出ないのだ。
 死にたいと嘆くのは簡単だった。しかし自分は、そんな弱音を吐くのは許されない立場だ。
 どうあっても生きて、隙をうかがい、助けられる者を助けなければならない。

 解決の糸口がなかったとしても。反撃の好機が永遠にこなかったとしても。アンリーシャの血を継ぐ者、皆を守る者として、最後までその責務を投げ出すことは許されないのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした

和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。 そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。 * 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵 * 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

大好きな旦那様が愛人を連れて帰還したので離縁を願い出ました

昼から山猫
恋愛
戦地に赴いていた侯爵令息の夫・ロウエルが、討伐成功の凱旋と共に“恩人の娘”を実質的な愛人として連れて帰ってきた。彼女の手当てが大事だからと、わたしの存在など空気同然。だが、見て見ぬふりをするのももう終わり。愛していたからこそ尽くしたけれど、報われないのなら仕方ない。では早速、離縁手続きをお願いしましょうか。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...