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亡霊と夢に沈む白百合

13、変わっている

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 とりあえずは見張りを強化するべきかと話し合い、皆で建物の外に出たところで、ノアは気配を感じて振り返った。
 木立の奥から悠々と、何者かが歩み出てくる。
 一歩歩くと、篝火の光が髪の上をうつろう。赤銅色の短い髪。

「君がアンリーシャの若様かな? 一目でわかる。一番美しいからな」

 口元が柔らかな弧を描き、その微笑みを見た瞬間、ノアは肌が粟立つのを感じた。ただならぬ邪悪な気をあの男は放っている。力の強さというより、その本質が危険であると本能が警鐘を鳴らしている。

「皆、引け!」
「動くな」

 静かな命令だったが、それを耳にすると全身が硬直した。

「な……」

 目しか動かせなかったが、視界に入る周囲の者も同じような状態で、驚愕に目を見開いていた。誰もが動けずにいるのだ。あの男の放ったたった一声で。

「お初お目にかかる。自己紹介がまだだったね。私はエンデリカ大公国のファラエナ伯爵。赤銅伯爵とも呼ばれている。此度は大公殿下のご命令により、君達アンリーシャ一族を我が国へ『招待』することになった。その役目を仰せつかったのが私というわけだ。宜しく頼む」

 大公国の名は耳にしたことくらいはあるが、詳しくはノアも知らなかった。アンリーシャは余所とほぼ交流を持たずに暮らしていたのだ。
 こちらからはどの土地も侵していない。それなのに皆、次から次へとここへやって来て奪おうとする。貪欲な彼らは、土地を、金品を、人を手に入れようと手をのばし、口へ放り込む。

「エンデリカの名は?」
「……聞いたことはある。実に評判が悪い」

 ノアは吐き捨てるように答える。
 伯爵はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。貴族ということもあってか佇まいは品があり、優しげな笑みはしかしかえって不気味だった。

「ああ、動けないのが不思議かな? これは私の編み出した術でね。対象者の血を利用するんだ。血縁関係者ならまとめて操れる。君の親は死んだよ、若様。その血でもって術を発動させた。君達はもう私に逆らうことは出来ない。特にアンリーシャの一番濃い血を持つ君は、私の許可がなければ指一本も動かせないよ」

 やはりノルシュは手にかけられていた。
 ノアはどうにか術を解除出来ないか足掻こうとしたが、体中が別の物体にでも変わってしまったかのように、自分の意思で動かせない。
 強力な術だ。ノアの額に冷や汗が浮かんだ。

「我々をどうしようというんだ?」
「奴隷になってもらう。大公殿下は珍しい生き物がお好きでね。君達は『変わっている』だろう?」

 歯噛みをしてから、ノアは口を開いて言葉を押し出す。

「変わっているのは私だけだ。行くのは私一人で十分だろう」

 周りの者が息をのむ。ノア様、と悲鳴を上げる者もいた。

「お前の術は確かに強力だが、大勢を制御しきれる保証はないのではないか?」

 人間を一人完全に操るのですら、大変な魔力を使うはずだ。対象が多ければ多いほど苦労も多く、綻びも出やすい。
 伯爵は動けずにいる者達を眺めながら腕を組み、考えるような素振りを見せる。

「それもそうだな。手始めに五人程度にしておこうか。宗主が囚われているのに、君達もここを捨てて逃げ出したりはしないだろう。『調教』が成功すれば、他の者も迎えに来るか」
「本家の血を引く者は私だけだ! 他の者は本家の男が産んだ女の子供で、ごく普通の人間と変わらない!」

 ノアは大声をあげる。アンリーシャの大本となる本家の直系の男は子供を産むが、それは女の生殖機能を持った男である。まれに女も産まれることがあり、それが分家として分かれていった。現在は五家族で、本家の者はノルシュが死んだ今、ノアしか残っていない。

 アンリーシャの男はほとんど生涯で一人しか子供を成しておらず、今まで奇跡的に父祖から絶えずに続いてきたのである。

「分家であっても、魔術師としての腕は大したものだと聞いているよ。普通かどうかは私が決める。連れて帰ってから調べよう」

 成す術がない。動きも、魔力の流れも全く封じられてしまっている。血を用いて相手を縛る術。それは忌まわしき呪術だ。
 呪術を使えばいずれ精神はひしゃげて闇にのみこまれるという。だから禁忌とされているのだが、この男は気にもしていないらしい。

「さあ、こちらにおいで。殺しはしない」

 つい、と伯爵が指を動かすと、ノアの意思とは関係なく足が動いてそちらに向かう。
 不可視の結びつきが自分とあの男の間に出来ているのをノアは感じた。何本もの禍々しい紐が複雑に絡み合って太い一本となり、互いの間にのびているのだ。

 伯爵は紐に触れ、たぐり寄せるだけで相手を意のままにできる。紐はノアの体中と繋がっていて、動かす指令を出せるのは紐を握っているあの男の方なのだ。決して断ち切れない。
 唯一自由になるのは視線だけであり、ノアは伯爵を怨嗟をこめて睨みつけた。伯爵の緩やかな笑みは変わらない。

 その時、茂みがかさりと動く音がして、白い影が姿をのぞかせた。夜闇の中でも、月光を受けたようによく目立つ、可憐な白が。
 リーリヤが、表情を凍りつかせて立ちすくんでいた。伯爵も彼にすぐ気づく。

「あれは?」
「リーリヤ! 逃げろ! 行け!」

 ノアの怒鳴り声に身をすくませ、リーリヤは息を弾ませたまま一歩、二歩と後退する。

「リーリヤ……『百合』か」

 伯爵がリーリヤの方に顔を向けたまま呟く。
 どこか神秘的な容姿を持つリーリヤはアンリーシャの中でも異質であり、かつ酷く脆かった。頑健な一族の者とは違って、容易く握りつぶされてしまいそうな肉体を持つ青年だ。
 敵の手に落ちれば長くもたないだろう。

「行くんだ!」

 はっとしてリーリヤはノアと視線を交わすと、唇を噛んで身をひるがえした。
 伯爵が何かを言って手をのばしたが、リーリヤは止まらずに闇の中に消えていく。あのまま郷の他の者のところへ行って、隠れられたらよいのだが。

「……あれは変わっているね。アンリーシャではないのか?」
「色を持たずに生まれただけで、特別なところはない。アンリーシャでは、ない」

 一族の者ではないことにしていた方が今は無難だろう。何故彼だけが呪縛の影響がないのかは不明だ。だが、術が効かないことで伯爵は「アンリーシャではない」という発言を真実ととったようだった。

 伯爵が振り返ると、背後に馬車が二台出現した。それに侍従らしき魔術師も数人。
 ノアが口を開いた。

「私が行くことに異存はない。だが、欲しいものがアンリーシャだというのなら、この地と民には手を出すな。そうなれば、秘法でもって自害をする。お前達を巻き込んで」

 はったりだった。はっきり言って、対抗手段がない。けれど向こうもこちらの全てを調べ尽くしているはずはないだろうから、こんな嘘でも多少は効果があるだろう。
 案の定、伯爵は少しばかり悩んでいるらしかった。組んだ腕を、指でトントンと叩いている。

「とりあえずは約束しよう。後のことは後で決める」

 そうして、ノアと分家の者が数人選ばれ、馬車に乗せられた。馬車はその場から消失し、伯爵がいなくなってようやく、呪縛から解放された者達はよろめいた。そしてある者は重苦しい息を吐き、ある者は頭を抱えた。

 殺されたノルシュ。連れ去られたノアと仲間。どんな目に遭わされるかは、おぞましくて想像するのも恐ろしい。
 我々が何をしたと言うのだろう?

 生き物はいつも、世界の理不尽から逃れられないと知ってはいても、嘆かずにはいられなかった。
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