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亡霊と夢に沈む白百合
12、侵入者
しおりを挟む噂は野火のように広がるとはよく言ったものだ。アンリーシャの一族は苦々しい思いで日々を過ごしていた。人目につかぬよう生活してきたはずで、誰かのものを奪おうと争ってきたわけでもないのに、次々に悪人は境界を越えてやって来ようとする。
退けた者は生きて帰り、この地について語ってそれが伝播する。
よくない状況だった。またいつ攻め入られるかわからない。そんな不安が、アンリーシャ一族や彼らに守られる民達の心に暗い影を落としていた。
本家の最も年若い男はノアという名前だった。ノアを産んだ男はノルシュで、今この地をまとめているのはそのノルシュである。父であり母でもある彼を、ノアはアンリーシャの習わしで、名前で呼んでいた。
「ノルシュが戻らない」
運命の日の夜。ノアは分家の者を集めてそう告げた。
ノルシュは気になることがあると出て行ったきり、消息を断った。一晩経過している。捜索の為に人を出したが、行方は知れなかった。
ただ、森の奥で戦闘をした気配があり、夥しい血がその場に流れていたという。報告を聞いたノアは、恐れていた悪夢が現実になろうとしていることを知った。
いずれ、自分達を上回る術の使い手が現れたとしたら。アンリーシャは優れた魔術師だが、大陸一番という自負はなかった。世間は広いと知っている。当然、格上はいるだろう。悪しき心を持つ、強い術者に狙われた場合、厳しい展開になるであろうことは想像がついた。
「ノルシュは殺されたかもしれない」
集まった者達はざわついた。
ノルシュがいなくなったとなると、仕切るのは息子のノアとなる。だがノアはまだ二十を少し過ぎただけの若者で、力はノルシュに劣る。ノルシュがかなわない相手であれば、当然自分とてかなわない。
何故ノルシュを殺したのか。敵はこれからどうするつもりなのか。ノアには想像がつかなかったが、悪い予感に気が塞ぐ。
民を逃がすか。だが全員を移動させるのは簡単ではない。そうして動かしてかえって危険な目に遭わせないとも限らなかった。
「ノア様、いかがいたしますか」
声をかけられて、しかしノアは答えられない。ひりつくような悪の気配を確かに感じ、背筋が凍るような思いがした。
リーリヤはもう十七になる。
アンリーシャは大体が暗い髪の色、暗い瞳の色をしているが、リーリヤだけは色素がやけに薄く、全身が真っ白だった。
生まれた時は期待された。分家の子ではあるが、これは特別な力があるのではないかと。しかし現実は全く逆だった。
リーリヤは何の力も持たないばかりか、女のように非力で、怪我をしても治りにくいという体の弱さに悩まされていた。
美しいことは美しいが、それはアンリーシャ一族の特性の一つであり、皆そうなので個性にはならない。
自分は異物だ、とリーリヤは思っていた。女に混ざって針仕事だの機織りなどはこなせるが、やはり男なら土地と人々を守るべきだろう。自分にはそれが出来ない。
近頃は物騒で、何度も余所者が攻めてこようとした。宗主のノルシュと息子のノアが中心となって退けていたが、なかなかおさまりそうにない。なんでも世の中では争いが絶えず、どこも戦が続いているという。
何も出来ないリーリヤは、アンリーシャでありながら、隠れているしかなかった。それが情けなくなる。
ノアにはいけないと注意されているのだが、気分が晴れない夜、森の中をこっそりと散歩していた。
その晩もすぐに戻るつもりで寝所を抜け出し、慣れた森を歩いていたのだが。
うつむくと、肩の辺りで切りそろえられた髪が揺れて視界に入る。異質な者である証拠の、白い髪。みんなと違うのが嫌で、幼い頃は涙を流したこともある。リーリヤの髪は美しいと何度も誉められたが、喜びの感情は浮かばなかった。
つと視線を転じると、誰かが歩いている。知った顔ではない。
赤い――銅のような色をした髪の――男。
男がこちらに目を向けた瞬間、リーリヤは木の幹に姿を隠した。
こんな時間に、余所者が。おそらく侵入者だろう。敵か。
もう一度そろそろと顔をのぞかせて確認してみたところ、男はすうっと姿を消してしまった。見間違いではない。確かにそこにいて、そして消えたのだ。あれは魔法だ。
消える魔法というと、転移魔法か。高度な術であることは違いない。アンリーシャには使えないのだ。
早く知らせなくてはと、リーリヤは急いで来た道を戻った。困ったことに、リーリヤは足も遅かった。それでも必死で両足を動かした。
自分はなんて、木偶の坊で、役立たずなのだろう。
――ああ、なんだかすごく、胸騒ぎがする。
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