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亡霊と夢に沈む白百合
10、私だけを愛して
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夢を見ていた。
――ああ、この子は特別な子かもしれない。見てご覧、こんなに変わった見た目をしている。
誰かの声。その期待はすぐに裏切られることを、今のリーリヤは知っていた。
周囲は、失望というよりは戸惑いが大きかった。「悪い意味で」変わっていた、白い子。蔑ろにされはしなかったから、つらい思いはしていない。
だが、申し訳なかった。努力ではどうにもならないので、何も出来ない。
魔術師の一族、アンリーシャ。その中で、魔力を持たずに生まれた子供、リーリヤ。
白い百合のようだ、とは、誰が言い出したのか。花のように美しく、脆い。握ってしまえば、その花弁はくしゃりと崩れてしまう。
劣等感があったのだろうか。覚えていない。さすがに数百年前の幼い頃の記憶は朧気で、断片的だ。
幼いリーリヤは山に咲く白い百合のそばにかがみこみ、いつまでもそれを見つめていた。
重みで茎がしなり、花は頭を垂れている。大きくて華麗で、それに比べると自分はやや華やかさが足りない気がした。本当に似ているだろうか、と苦笑した。
リーリヤは百合の花に口づけをする。
私はこの先何を――何も出来ることなどないだろうに。
そう言ったのは、青年に成長したリーリヤだった。
おそらく、アンリーシャとして何らかの役目を果たすことはかなわない。だとしたら私は――どこで、何を。
「いいんだ、君は観賞用の花なんだよ」
振り向くと、赤銅色の髪をした男が笑っている。
「君はそこにいるだけでいい。私のそばに。私がずっと愛でてあげよう」
その手は百合を手折ろうとのばされる手だ。リーリヤは逃れようか悩む。
逃れ逃れて、行くあてがない。足が重い。
ようやく動き出そうとした時には、もう捕らえられていた。
乱暴ではないが、決して離さないという強い執着が感じられるつかみ方だ。
「伯爵様」
「リーリヤ」
「私は」
「君は何も言わなくていい」
唇を重ねられ、いいとも嫌だとも思わなかった。何に対するものかわからない戸惑いが胸に広がる。
花びらが崩れていく。
私は――。
私が出来ることなど。
「気分はどうかな。少し無理をさせすぎたか」
重いまぶたを上げたところで、伯爵の声がした。まだ酷く体がだるくて、全身が思うように動かない。血を何度か抜かれ、彼の言うように「無理」もさせられたせいだろう。
体を求められることなど久しくなかったので、疲労している。
リーリヤはため息をついた。まだ口枷はそのままで、これは術をかけられた魔道具らしい。試そうという気も起きないが、自分で外せるものではなさそうだ。伯爵が口づけをしたい時には外されるが。
今は寝台に寝かされている。濡れた服は脱がされて、前を合わせる簡素な服に着替えさせられていた。負傷している箇所には包帯が巻かれている。
しかし血を抜かれたところの傷は小さなもので、出血もほとんどなかった。
寝台の近くには書き物机があって、そこで伯爵が背を向けたまま作業をしていた。
筆記具を置き、振り向く。
「どこか調子の悪いところは? たまには君も話したいかな。ちょっと外してあげよう」
横たわるリーリヤに近づいて、両手で口枷の端に触れる。すると簡単に外れ、伯爵はそれを取りのけた。
「目眩が……少し」
「さっきの薬が効いてくるとは思うがね」
リーリヤは周囲の様子を見回した。壁は岩が削られて出来ており、窓はなく、洞窟の中のように思われた。
ここは彼の自室という雰囲気だ。薬棚や本棚。あらゆる器具も床や机に積み重ねられている。乱雑ではなく、それなりに整頓されていた。
「血を抜きすぎたかもしれない。しばらくはゆっくり休んでもらおう」
これが君の血だ、と伯爵が言って掲げて見せたのは小瓶だった。いわく、彼は血というものについて研究を重ねているらしい。
体内を巡る血液にはあらゆる情報が隠されているという。
よく目を凝らしてみれば、棚に並んでいるのは薬の他、赤黒い液体に満たされた瓶もいくつもあった。あれも血なのだろう。自分一人の分ではなさそうだ。
「君の血は変わっている。長寿の謎の一部も、この中から見つかる可能性があるね。それが解ければ、人の寿命をのばす薬が作れるかもしれない」
「……私の血で、そのようなものが作れるとは、とても」
些細な解毒作用があるだけで、病を治す力などはない。昔はいろいろと試したのだが、妙薬になるほどのものではないとわかった。人に奇跡を起こせる効果など期待できない。
「血は原料でしかないんだよ。そこからいろいろと調合して薬にするんだ。とにかく、君の血は少々変わっている。たとえば、私の一部の術が効かない」
「術……」
「覚えていないかね? かつて私がアンリーシャにかけた術だ」
伯爵はアンリーシャを奴隷のように扱って逃げられないようにしたが、それは血に関わる術だった。よってアンリーシャの血を持つ者は伯爵から逃れられない。
「リトスロードに無理矢理断ち切られてしまった。それで、アンリーシャを手放すことになってしまった……。しかし君には術がかからなかったんだったね」
リーリヤは瞼を開けるのも億劫で、半分ほど閉じたまま自嘲した。
「私が、アンリーシャとしての素質がなかったから……」
術もかからないほどに、アンリーシャの力を、血を受け継いでいなかったのだ。
「自分を出来損ないだと?」
「そう思っていないと言えば、嘘になりますね」
囁くような声しか出せない。だがここは静かなので、さほど声を張らなくても相手は聞き取れるだろう。
アンリーシャは優れた魔術師の一族だった。総合的な力で言えば上回る魔術師は多くいただろうが、技術の面で言えばかなう者は少ない。同時に多方面に、持続的な術を使えることができる魔術師がどれほどいるだろう。
その力があったからこそ、リトスロード侯爵家を裏で支えられている。本家の直系の男子はもちろんのこと、分家の者もそれなりの力があった。
リーリヤだけなのだ。全く魔法が扱えなかったのは。魔力がないという、一般では普通なことが、一族の中では異質だった。
出来損ないと言わず、なんと言えばいいだろう。どんな慰めも、当人にとっては気遣いという名の嘘でしかない。
事実は一つ。魔術師の一族の、魔術師にはなりえなかった男。それがリーリヤだ。
「ああ、そうかもしれない……だけど」
近づいてきた伯爵が、冷たい手でリーリヤの頬を撫でた。
「それでもいいじゃないか? 君の価値を私は知っている。君は私の為の花じゃないか。私にとって、リーリヤ、君は、アンリーシャの中でも一等素晴らしい花だよ」
髪と同じ、赤銅色の瞳がリーリヤの顔をのぞきこんでいた。前にもこんなことがあった、と思うと、混乱してくる。まるで過去にさかのぼったような。
リーリヤはまだ若く、か弱いゆえに臆病で、自信もよりどころもなかった。
自分の振る舞い方も決められず、取捨選択の基準も持たない。
――観賞用でもいいか、と思った。
「調べたところ君は、ずっとアンリーシャの本家にこき使われていたみたいじゃないか。そんなことをする必要はない。私が大事にしてあげよう」
顔を撫でていた手は肌を滑って下りていき、服の中をゆっくりと動く。体を弛緩させていたリーリヤは、その愛撫に息を一瞬詰まらせた。
「一つ約束してくれないか。私のもとから逃げないでほしいんだ。ずっとここにいてくれ」
私なら君に、一つだけの愛をあげられる。
使用人として身の程をわきまえ、慎ましく、負い目を感じながら生きなくたって構わない。
私は君を貴重な花として、一生涯愛で続けよう。
「私……だけ、を」
リーリヤは唇の間から声を押し出す。
「私だけを、愛してくださるの、なら」
伯爵は愛おしげに目を細め、リーリヤに深い口づけをした。
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