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亡霊と夢に沈む白百合
7、再会
しおりを挟むリーリヤはまだ臨戦態勢を解かなかった。相手が魔術師であれば、脅しにもならないだろうが。
クリフが前に出ようとする。
「どういうことだ! お前達は何者だ!」
「赤銅伯爵閣下の使いだ。この血液はお前のもので間違いないな? 白百合」
と男が取り出したのは小瓶だった。そこに少量ではあるが赤い液体が入っている。
リーリヤが半年前に山を下り、用事を足した先の村で、一人の女に渡したものだった。彼女は山菜の毒で体を悪くして伏せっていた。リーリヤの血の解毒作用が最も効果があるのは植物性の毒で、後遺症にも効くことがあったのだ。
気の毒に思ったリーリヤは血を薬として与えた。
かつてのリトスロードの当主から、「お前の血は特別なものゆえ、みだりに誰かに分け与えてはならぬ。お前に災いが降りかかるだろうから」と忠告されていたのにも関わらず。
自分の浅はかさを、今更悔いてもどうにもならなかった。
血が人手に渡ったことで、アンリーシャの白百合がまだ生きているという事実を知られてしまったのだ。これは己が招いた事態なのだ。
リーリヤは弓を下ろした。
「リーリヤ?」
「館のことは、残った皆に任せます」
クリフが顔色をさっと変える。
「まさかあいつらの言うことに従うわけじゃないでしょうね!」
「選択肢はないんです」
どの道、抵抗しても無駄だろう。向こうは力に訴えることも可能だった。それでも子供を捕まえて交換条件を出したのは、傷をつけずに連れて行きたかったのかもしれない。
「早くその子を返してください。警戒せずとも、これ以上騒いだりしませんよ」
男達に声をかけ、矢筒を下ろし、弓を置いてリーリヤは歩き出した。その手をクリフが慌ててつかんで引きとめる。
「ま……待って下さい! 相手が何者なのかもわからないのに……危険です!」
「私のことは殺さないと思いますよ」
リーリヤがそう言い切るので、クリフは怪訝そうな顔をした。リーリヤは男達に、「そうでしょう?」と確認をとる。
「伯爵閣下は白百合を刈り取れと命令されたのではない。貴重なその血を是非研究したいと考えておられる。目的は至極「まとも」だ。お前はいずれ人々の役に立つかもしれん。光栄なことだろう」
クリフが声を荒らげた。
「ふざけるな! まともな輩が、こんなやり方をするはずがないじゃないか、卑怯者!」
「クリフ、彼らに喧嘩を売るのはやめなさい。おとなしくあの子を連れて帰るのです。私は大丈夫ですから」
きっと、用があるのは自分だけなのだ。クリフやニーナを傷つけられるようなことは避けたい。ここはおとなしく要求をのむべきだろう。
クリフがリーリヤの腕をつかむ手に力をこめた。
「行かないで下さい、駄目だ」
「帰れるようなら帰ってきます。無理であれば帰りません。けれどどこかで生きているでしょうから、私のことは忘れて下さい。こうなったのは私のせいなのだから、責任を取ります」
そしてくれぐれも、このことは外の人間に言わないようにと念を押した。特に、ノアには。
「私が一番嫌なことは何か、あなたも知っていますね? ノア様を煩わせることです」
乳母代わりであり教育係であったのだから当たり前だが、何よりもノアのことを重んじて生きていた。彼の重荷になるくらいなら、ここで消えてしまった方がいいくらいだ。
唇を噛んで何か言いたげにしているクリフの手を、リーリヤはゆっくりとはがす。
「誰も今生の別れだとは言ってないでしょう」
苦笑しながらリーリヤは離れて、男達の手からニーナを受け取る。ニーナの呼吸も顔色も正常で、本当に魔法で眠らされているだけらしい。クリフの元に戻って、ニーナを託した。
クリフは葛藤に顔を歪めている。上司とも言えるリーリヤの言うことを聞き入れるべきか、刃向かうべきか考えているのだろう。だが彼は聞くはずだ。長年、そういう風にしつけてきたのだから。
「彼らの狙いが、ノア様でなく、私でよかった」
ぽつりと呟いた声が耳に入ったのか、クリフが目を見開いた。
「帰りなさい、クリフ」
笑って、少女を抱える腕に手をそえた。
男達の方へと歩み寄る。
「彼らに手出しはしないでください」
「わかっている」
クリフが向かってさえこなければ、男達も危害は加えないだろう。さっさと用事は済ませたいはずだ。
男の手がリーリヤの腹部に触れる。
するとたちまち、意識が遠のいていった。何を考える間もなかった。
「リーリヤ!」
リーリヤが術によって気を失うと、くずおれかけたその体を男が支え、馬車の中へと運ぶ。
クリフはその場に足が釘付けになったかのように動けなくなっていた。馬車は男達が乗り込むと、もやがかかったように輪郭が朧気になって消えていく。
そうして、馬車はどこかへ向かうわけでもなく、その場から跡形もなく姿を消してしまった。
クリフは少女を抱いたまま、しばらくは呆然と立ち尽くしていた。何が起きたのか、理解するまでに時間がかかりそうだった。
* * *
コツ、コツ、コツ。
足音が聞こえる。
リーリヤの意識が浮上する。仰向けに寝ていたらしく、動こうとしても体に力が入らなかった。おまけに口元に違和感がある。どうも、口枷をつけられているようだ。
腕は拘束されていなかった。だが、怠くて手を上げることが出来ない。どこもかしこも鉛に変わったかのように重いのだ。それでいて妙な浮遊感がある。
早々に動くのを諦めて、薄目を開けた。
薄暗い場所だった。空気の淀み方からすると、屋外ではなさそうだ。
――前も、こんな景色を見た。
リーリヤは過去の記憶をなぞる。過去と現在の光景がだぶるような錯覚を覚える。自分が今、どちらにいるのか――それすら曖昧だ。
「リーリヤ。アンリーシャの白百合」
聞いたことのある声を耳にしながら、リーリヤは自分が液体に浸かっているらしいことを知った。胸から下は、冷たくも熱くもない液体の中にある。頭はその、液体が満たされている場所のふちにあずけてあるようだ。
「やはり、生きていたんだね。会えて嬉しいよ」
苦労して声の主に焦点を合わせた。
微笑む男の髪は赤銅色だ。ベストにクラヴァット。どこか高貴な雰囲気をまとっている。
男が指を鳴らすと、壁に点々と紫の火が燃え上がり、周囲を照らした。壁は岩を削ったような無骨なものだった。天然ではなく、人の手で少々整えられている。
紫の火は白い火に変わって落ち着いた。魔法だ。
リーリヤは何か言おうとした。だが、口枷が邪魔で喋ることはかなわない。
「覚えている? 私を」
赤銅――ファラエナ――伯爵。
目でそう答えると、伯爵は満足そうに笑みを深めた。口に出さずとも通じたようだ。
「あの時よりも大人びたようだ。でも、美しさは変わらない。君は世界で一等美しい白百合だ」
リーリヤは当時まだ十七歳だった。正真正銘、見た目の通り、十七年しか生きていない。今の見た目の年齢は、しいて言うなら二十代の頭から半ば。もし彼が赤銅伯爵本人だとしたら、大人びたように見えるかもしれない。
――本人だとしたら?
彼は死んだのだ。
「足を怪我しているんだね、リーリヤ。相変わらず、脆い体だ。でも平気だよ。君の体に合う薬液を調合した。傷の治りは、今までより格段に早いだろう」
目を動かすと、淡い緑色の液体が視界に入った。リーリヤはそのたっぷりとした薬液とやらの中に浮かんでいるのだ。
「だから、多少また傷をつけても大丈夫」
伯爵は微笑み、服を着たまま、リーリヤの浮かぶ水槽のようなものの中に足を踏み入れる。
「君の血が欲しいと言ったのは本当だ。だから少しばかり貰いたいんだよ。私は研究を重ねて、生きたまま上手く血を採取する術を生み出したんだ。瀉血とは違う。だが、そのためには傷をつけなくてはならなくて」
ざば、ざば、と水音を立てながら伯爵は近寄ってきて、身動きのとれないリーリヤの頭を手で支えて自分の方に引き寄せた。
「綺麗だね、リーリヤ。君は花のようだ。だから喋らなくたっていい。観賞用の百合だものな。そうだろう?」
伯爵は右手に先の尖った道具を持っていた。大きな氷柱に似た形で、水晶か硝子でできているかのようだ。内部は透き通っている。
「痛いが、死にはしないよ。私が君を殺すはずがない。やっと手に入ったんだから」
左腕に、その鋭い道具を突き立てられた。
「……っ!」
脳天まで走る強烈な痛みに、リーリヤが声にならない悲鳴をあげる。伯爵が呪文を唱えながら、引き抜いた道具を再び刺す。そのままぐいぐいと押しこまれ、痛みは息も詰まるほどだった。
「痛いか? リーリヤ。初めはなるべく痛くしてやろう。私から離れた罰だ」
何度も刺され、逃れようにも動けない。もがくと水面が揺れて緑の飛沫が散った。
「離れるなと言ったではないか」
氷柱のような道具の中に、血が吸いこまれていく。
「私だ。私だけだ。君の価値を知っているのは!」
凶猛に目を光らせ、しかし口には薄笑いを浮かべたまま、いたぶるように凶器に似たそれを押し込む。
「……ッ、…………!」
「私の白百合、もう逃がさないぞ」
痛みで、意識がまた遠くなる。まだ伯爵は耳元で呟いていたが、言葉を認識できなかった。
――亡霊が。
死んだはずの亡霊が、目の前にいる。
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