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亡霊と夢に沈む白百合
3、危ない
しおりを挟む「ノア様がいなくなった今、狙われるようなものは館にありませんよ。金目のものもほとんどないのです」
リーリヤは微笑む。
「山賊だって滅多にこんなところまでは来ないですから。それに、その程度ならどうにかしますよ」
実際、これまでの長い年月、賊が押し入ってきたことは幾度かあったそうだ。その際、魔力を持つアンリーシャが追い返したり、館のあちこちにある罠にはめたりと対処してきたという話は聞いていた。
「俺みたいな悪漢が来るかも」
「レーヴェルト様のような?」
「お前の体目当てのさ」
リーリヤは声をあげて笑い始めた。
「おい、本気にしてないな! 俺が襲わないって保証はないぞ」
「物好きなことを仰いますね」
リーリヤは自分は枯れた老人だから、そういう対象にはならないだろうといつも言う。
しかし、中身はいくつになろうが、外見はいつまでも瑞々しく美しい白百合なのだ。
自分は好色だからそういう邪な欲望を抱く奴の気持ちはわかる。綺麗なものが好きで、男でもいける人間ならリーリヤを狙うだろう。加えて、珍しいものに興味があれば手を出したくなるに決まっている。
輝かんばかりの花の顔に、きめの細かい白い膚。山に漂う霧や早朝の淡い陽光を集めて丹念に糸にしたような真っ白な長い髪。笑みはいつでもまろやかな印象で、いつも体格が隠れるような大きな服をまとっているが、ほっそりしているのは間違いない。
幻想的な夢に出てくるような美人である。
――危ない。
レーヴェはちょっと苛々した。この手のタイプは、謙遜なのか何なのか知らないが、自身の魅力に自覚がなくて困る。
「変なのに近寄るなよ」
「半年は山を出てませんし、あなたと、スリーイリの村人やここの使用人、配達夫の他は誰とも会いませんよ」
レーヴェはどこかへ行ってアンリーシャの噂らしきものを耳にすると、片っ端から潰して歩いている。大体は男が男を産む、美形の一族という内容だ。以前自分が傭兵仲間から聞いたような、館の場所を示す具体的な話は広まっていないようだった。
アンリーシャの白百合リーリヤについては、幸い一度も他人から話を聞いた覚えはなかった。数百年以上生きていて、とびきり美形で、見た目も変わっているとくれば、好奇の的になってもおかしくはない。誰にも知られない方がいいかもしれない。彼は魔力も持たず耐性がないので、瘴気の濃い地域にある侯爵邸では保護してやれないのだ。
「お前、綺麗なんだから気をつけろよ」
「口説いてます?」
「かもしれない」
「欲求不満なんですねぇ」
「俺は欲求が満たされたことなんてないんでね」
「ノア様に無理をさせていないとの発言の信憑性が薄くなりましたね……」
リーリヤは自分の過去を語らない。一度だけ、「ここに来るまでは大変でしたよ」とは打ち明けた。彼がまだとても若かった頃だろう。
アンリーシャは大昔、権力ある貴族に自由を奪われていたわけだが、その「自由を奪われる」という言葉の裏に隠されているのは、かなり胸糞が悪い事実だろう。聞けはしないが想像がつく。
権力者に目をつけられた美人はろくな目に遭わない。美しい故に蹂躙される。
「じゃあ、あれだ……獣とかは大丈夫なのか。狼出るだろ、この山は」
「それくらいなら、弓でどうにかなります」
確かにリーリヤは弓が得意だ。剣を扱えるような体格ではないが、訓練を重ねて弓を引き絞るくらいは出来るようになったという。
レーヴェは弓は専門外なので教えられないものの、腕前を見せてもらった。なかなかではあった。
「レーヴェルト様。突然それほど心配して、どうしたのですか? あなた方が出て行かれてから、もう六年も経つのですよ。その間、我々は何事もなく息災に暮らしています」
「そうなんだけどさ……」
レーヴェはがさつで、神経質な方ではない。心配性でもなかった。
けれど今日、リーリヤを前にして話をしていると、妙にいろんなことが気になってくるのである。
(歳のせいか? 歳をとると余裕がなくなって心配性になるものなのか?)
「何もないならいいけど。だがいつだって用心はしておくに越したことはない。世の中物騒だからな」
「わかっていますよ」
いつものように話をした後、レーヴェは館をあとにした。
離れる前に、近くにいた庭師の一人であるクリフを捕まえる。クリフはレーヴェより少し若い青年だ。孤児で、幼い時からここで働いている。レーヴェとも面識があった。
「近頃、この辺りにおかしな奴は出なかったか?」
「いいえ」
「変な出来事は?」
「いつも通りですよ」
気にしすぎか。杞憂だろうか。
しかし、レーヴェの嫌な予感というのは何かと当たるのである。博打で当てるのは難しいというのに。
とはいえ、何もないのにあれこれ騒いでは向こうだって迷惑だろう。
(近いうちにまた顔を見に来るか)
館を見上げ、レーヴェは馬に乗って出発した。
後日、この判断を酷く後悔することになるとは、まだ知る由もなかった。
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