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亡霊と夢に沈む白百合

1、山奥の館

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 レーヴェは一人、アンリーシャの館を目指していた。

 初めてここへ来た時には、どれが道なのだかわからなかったが、何度も行き来するうちにすっかり見分けがつくようになった。
 針葉樹の木々が作り出す木陰は涼しい。近くに山湖があるので、かすかに水の匂いもする。穏やかな山だが、訪れる人間は少ない。悪意を持って足を踏み入れた人間の多くは、二度と帰れないなどという噂もある。

 まあ、しょせんは噂だな、とレーヴェは笑う。自分も邪な動機でここへ来たが、今もこうして無事に生きている。
 ノアがリトスロード侯爵家の家令となってから長い時が過ぎた。いつの間にか侯爵家の三男も成長して一人前になり、レーヴェもおじさん呼ばわりされる歳となっている。

 ノアはここを出て以来、一度も館に戻っていなかった。確かに戻ってくるなと言ったのはリーリヤだが、たまには顔を見せてやればいいのにとレーヴェは思う。
 代わりに、頻繁にではないがレーヴェが館に行ってリーリヤと会うのであった。

 深閑とした中、いつものように、古びた館が見えてきた。世の中から切り離されたように変わらず、ひっそりとそこにある。
 アンリーシャの若旦那が旅立ち、今はその教育係であったリーリヤがここを仕切っていた。

「レーヴェルト様。ようこそお越し下さいました」

 リーリヤが笑顔でレーヴェを迎えた。
 白い肌に、長く白い髪。睫も雪のように白い。目はごく薄い青だ。生まれつき色素が欠乏しているのだった。

 おまけに二百五十年近く生きているという特異体質で、見た目も雰囲気もどことなく浮き世離れしていた。
 レーヴェは薬草や食料などの土産を渡し、改めてリーリヤの顔をまじまじと見た。
 初対面の時から数えて十年を越える月日が経過しているが、リーリヤの外見はちっとも変化がない。

「お前は本当に、変わらんね」

 この山では時が止まっているのではないかと疑いたくなる。だが近くにあるスリーイリの村人は顔ぶれがやや変わったし、アンリーシャの館の他の使用人も多少は老けた。

「あなたもさほどお変わりになりませんよ」
「俺はそう思ってるんだけどね? 周りの奴らがおじさんおじさんうるさくてさ……」

 レーヴェは三十の半ばにさしかかり、ノアも三十間近だ。十代の頃よりは大人びた顔にはなった。とはいえノアはさほど変わった感じがしないかもしれない。アンリーシャはかなりいい歳になるまでほとんど老けないそうだ。

「何か変わったことはあったか?」
「何も。穏やかに日々を過ごしております」

 怪我もしていないようだし、体調を崩している様子もないので安心した。
 リーリヤは長命だが体は丈夫な方ではない。レーヴェは勝手に、彼が永遠に生きているものだと考えていたのだが、本人は「単に寿命が長いだけのようですから、三百までは届かないと思いますよ。いえ、根拠はないんですが、そんな気がしてならないのです」と笑っていた。

 そう言われると、ぽっくり逝くんじゃないかと不安になって時々様子を見に来ざるをえない。今のところは特に変化もないし、衰えも見られないのだが。

「ノアは元気だぞ。元気に過労働してる」

 リーリヤが一番気にしているであろうことを教えてやる。いつだってレーヴェが言うまで尋ねてこないが、何よりもノアのことを心配しているのだ。乳母代わりなので当然だろう。

「体を壊したりはしていませんか」
「前に風邪ひいて寝込んだりはしたがね、あの馬鹿。大丈夫、俺がほどほどに『力を抜かせて』やってるから」

 その言葉が何を示すのか知っているリーリヤはやや苦笑する。

「あまりノア様にご無理をさせませんようお願いしますよ」
「うん。無理なほどはしてない」

 本人がここにいたら、ひっぱたかれるかもしれない。一昨日も「体がもたない、付き合っていられません」、と激怒されたばかりである。だがああ見えてノアは丈夫なので口で言うほどキツいわけではないと、レーヴェは都合良く判断していた。
 二人で席について、リーリヤが茶をふるまう。

「レーヴェルト様は昔に比べると、丸くなられましたね。ここへ来たばかりの頃は、随分と尖っておられた」
「俺も今じゃ、ガキ共のお守りをする立場だからなぁ。尖っていられないよな」

 レーヴェがガキと言っているのは、侯爵家の三男とその魔法の師である魔術師の青年である。その青年はレーヴェの九つ下なので、レーヴェにとってはガキだった。これがまたどうかしている男で、世話が焼ける。

 顔は全く似ていないが、その魔術師の青年はリーリヤに雰囲気は似ているかもしれない。彼が百年以上生きて達観したら、リーリヤのようになりそうだ。

「それでお前は、まだずっとここにいるつもりなの?」

 いろいろと世間話をした後、レーヴェは葉巻に火をつけてそう問うた。

「と申しますと?」
「暇じゃねーの? こんなところにずっといて」

 リーリヤがやることといえば、機織りだとか編み物だとか薬草作りだとか、そんなことくらいしかない。ノアがいなくなった今、教育係としての役目は終えているし、退屈ではないのだろうか。

 リーリヤはアンリーシャの分家の人間である。分家はいくつかあり、アンリーシャとは名乗っていないが血は流れている。国や大陸各地に散らばって、それぞれ生きているそうだ。普段は一切関わりがなく、本家の人間に何かあれば声もかかろうが、現在に至るまでそういった事態にはなっていなかった。

 長命なのはリーリヤだけであり、リーリヤの親は当然もうおらず、子供を作れる体でもないので彼に家族はいない。
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