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第二部 君に乞う
86、聖剣に選ばれし剣士
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途中で落ち合い、馬車で侯爵家本邸へレーヴェとノアは向かう。
ノアはやはり無理をしているのか以前よりやや痩せて、表情も硬かった。楽な仕事ではないらしい。ノアは家令になるには経験も浅いし若すぎる。
久しぶりにこうして二人きりになるのが嬉しくて、レーヴェは馬車の中でにやにやしていた。
「何を笑っているんです。気持ちが悪い」
眼鏡をかけ、前髪を分けてどこにも乱れがないノアはいかにもキツそうな執事である。
「嬉しいなーって思ってさ。お前も嬉しいだろ?」
「いいえ、別に。ところで、あちらで何か粗相をしたらすぐに叩き出すので宜しく頼みますよ」
「俺がいなくて寂しかった?」
「話聞いてます?」
「そう忘れられないだろ、俺の体は」
と近づくと、ノアがかすかに表情に焦りを滲ませて身を引いた。慌てている。レーヴェしか引き出せない顔である。
「離れなさい。いいですか、侯爵家の屋敷ではその……体を求めないでください」
「嫌いになった?」
「忙しいのです」
嫌いです、と言えないところが正直で可愛らしい。つんつんしているが、こういう部分に可愛げがあるからいじめたくなってしまうのだ。
口づけの一つでもしたかったが我慢してやろう。
笑いながら、レーヴェはあるものを取り出してノアの手に乗せた。
「これは?」
鎖のついた、ごく小さな笛である。首からさげて、服の中に入れていても目立たない。
「魔力のこもった金属で作られた笛でさ、俺も持ってる」
と服の下から引き出して見せる。
「吹くとかなり遠くまで聞こえるんだ。これを持ってる者同士にしか音は感知できないんだが」
ノアは笛を見て、それからレーヴェに物問いたげに視線を移した。
「これをずっと肌身離さず持っていてくれないか。俺に何かあれば吹くから、助けに来てくれ。お前に何かあったら吹け。必ず、助けに行く」
「…………」
嫌だとか必要ないとかごねられるかと思ったが、ノアは素直に鎖を首にかけ、笛をしまった。
「わかりました」
伏せた睫が、瞳に影を落としている。
今ノアは、何を思っているのだろうか。
「俺さ、お前のこと好きみたいなんだよね」
「気のせいでしょう。あなたは誰も好きではないんですよ」
レーヴェの心をどうしてノアが決めるのかわからない。確かに好きなはずなのだが。
もしかして、あれだろうか。他の男女を抱きすぎているから信用ならないのだろうか。
肉欲とはまた違う感情だ。どうしたら信じてもらえるのか。
まあ、繰り返し肌を重ねて愛情を伝えるしかないだろう。
「しかし、俺なんかが侯爵家のお坊ちゃんの師匠になってもいいもんかね。悪魔のような男だって罵られた男だぜ」
虚無に支配されている。人を殺すことをなんとも思っていないし、自分が化け物なのではないかと疑いたくなる時もあった。
ノアはじっとレーヴェを見つめると、目をそらして言った。
「あなたはただ、性悪で臆病なだけの、ごく普通の人間です」
レーヴェは目を見開くと、声をあげて笑い出した。
「違いない」
自分がどこへ行くのか、今もわからない。決められない。
いずれこの手で、再び聖剣を握るのか。それが運命ならば、そうなるのだろう。
聖剣に選ばれし剣士だなんて、重荷だけれど。
なるようにしかならないだろう。
自分にはまだ何もなかった。
だが虚ろの中にいつも響く声がある。ろくでなし、と罵りながら、背中を支えてくれる奴がいる。
「俺、お前が好きだよ」
「あなたが好きなのは私の体でしょう」
ノアに出会えたのは幸運だった。この男が生きる痛みを和らげる。
今のところ望むのは、ノアが一秒でも自分より長く生きて、看取ってくれることだけだ。それが保証されるならば、今までより多少は生きやすい。
聖剣に選ばれし剣士としての人生は、まだ続く。
(終)
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