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第二部 君に乞う
84、哀れな女
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「お前とは、離縁する。アリエラ」
アリエラは、夫のトリヴィスが何を言っているのかわからなかった。言葉の意味というより、どうしてそのようなことを言うのかがわからない。
青天の霹靂である。
「お前は領地に戻りなさい」
「どうしてそのようなことを?」
「わからないか」
「わかりませんとも」
トリヴィスは、アリエラがこれまでやってきた、彼いわく「行き過ぎ」な行為について非難した。これ以上は見過ごせない。そして、アリエラはここで、トリヴィスの妻として暮らしていれば、行いを改めることはできないだろうと言う。
「納得いきません。あんなこと、どの家でもやっているではありませんか!」
邪魔者を、刃向かうものを、消す。表立って吹聴することはなくても、誰も彼もがやっているのだ。清い行いばかりでは上手く回らない場合も多い。全く手が汚れていない、血を少しも流さなかった貴族の一族がいるとは思えない。
「お前の言う通りだ」
「では、何故……!」
「やりすぎなのだ! 私はいつも、そう言っていたではないか! お前は聞く耳を持たなかった。もう限界だ」
「あなた、これはみんな、エデルルークのためです」
騎士一族、エデルルーク。
エデルルークとは、古語で「救う者」という意味だ。
かつてアリエラは、まだ少女だった頃、親に連れられて行った王都の行事で、国王陛下の周りに控えるエデルルークの騎士を見た。
そして、恋をした。猛烈な恋を。アリエラは清く美しく、忠実なる騎士エデルルークを愛したのだ。
光る甲冑。輝く剣。主に忠誠を誓った騎士達の瞳は宝玉のように透き通り、その意志の強さがあらわれている。
中でもエデルルークの名を持つ者は、抜きんでて存在感を放っていた。
これが、騎士。国と王を守る者。
エデルルークは国より古くから続く家であり、太古の昔から聖剣という遺物を守り続けている。その騎士一族の話はどれもアリエラを夢中にした。狂喜させた。
騎士、まさしく騎士。騎士の中の騎士。誰よりも気高く、身を捨てて守るべきものを守るこの潔さ。勇猛さ。
歴史に名を刻む唯一の騎士、エデルルークに――「なりたくなった」。
いつしかアリエラの中で、エデルルークは全てになった。この一族のためなら何を投げ出しても惜しくはない。
そして運良く当主の後妻に落ち着いたアリエラは、誰よりもこの一族を愛し、エデルルークであろうとした。
「これまでのことは全て不問に付す。お前は病気だ。出て行ってくれ、アリエラ」
アリエラは唐突に、足下の床が崩れていくような錯覚を覚えた。
頂きにいたはずなのが、全て崩れて落下していく。たくさんのもので――数え切れない骸で――築いた山が、今、落ち行くアリエラの上に降り注ぐ。
慟哭と怨嗟の声が聞こえる。しかしアリエラには響かない。
どうして。何がいけないというの。
「よくも……そんなことが言えたものですね。あなたの命を救ったのは私ですよ」
「そのことには感謝している。そしてお前のやることにはなるべく口を出さないようにしていた。いや、出せなかったと言うべきか。私が間違っていた。この家の主導権は私が握るべきだったのだ」
「私がエデルルークを守ってきたのです!」
「そのお前が! 今度は我が一族の醜聞となるのだ! わからぬのか!」
一喝され、アリエラはよろめいた。
首を横に振りながら後退する。どうしても、間違ったことをしたとは思えないのだ。
エデルルークを守ることだけに心血を注いできた。家族を守り、名誉を守ろうとした。それを損なおうとするものは、全ていらないのだ。何であったとしても。
「お前は呪いになりつつある。酷なようだが、お前にはエデルルークの血は一滴も流れていないし、私との子を産んだわけでもない」
「だから他人だと言うのですか」
「他人に戻ろう。お前のためにもその方がよい」
「私を愛してはいないのですね」
「お互い様だ。お前が愛していたのは私ではなく、『エデルルーク』ではないか」
トリヴィスは苦々しい笑みを浮かべた。
指摘されて初めて気がついたが、この人と離ればなれになるかもしれないと思っても、一抹の寂しさも感じなかった。アリエラにとって大切なのは当主の妻という立場であり、その当主はトリヴィスでなくても構わなかったのだろう。
トリヴィスは何度もこうすることを悩んで、そして先延ばしにしてきた。アリエラのしてきたことが明るみに出る恐れがあると聞かされて、ようやく決断したのだという。
「レーヴェルトを手にかけようとするのはやめなさい。先日、陛下が私をお呼びになられた。陛下はレーヴェルトを聖剣の使い手として認め、いずれは重用するつもりでいるという。あれを殺せば、お前は陛下に反目したことになる」
アリエラは胸を押さえた。
どうして――どうして。
私は何を間違ったというの。
あのろくでなしは望みもしないのにエデルルークの血を継いで、私はどれほど望んでも赤の他人にしかなれない。
「私が悪かった、アリエラ。お前のためにも、私は命を賭けて、このエデルルークを守り、役目を果たそう」
アリエラはその場にうずくまって、顔を覆った。
涙は出ない。泣き方をもう、忘れてしまったようだった。
エデルルークの騎士を初めて見た時のあの光景が脳裏に浮かぶ。
熱気。歓声。光。熱に浮かされた、恋する少女。
少女はエデルルークの騎士に近寄り、花を手渡した。その花から抽出された成分で、毒薬が作れるのを幼い伯爵令嬢は知っている。しかしただ愛でる分には害はない。
誓いを捧げる花でもあった。
「きっとお役目を果たせますように!」
少女の微笑みに、騎士は頷いて応えた。
それらの記憶が遠ざかっていく。白く焼けて、溶解する。
夫が出て行き部屋に一人残され、やがて化粧台の鏡に映った自分の顔と目が合った。
妄執にとりつかれた、一人の哀れな女がそこにいた。
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