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第二部 君に乞う

82、大切なもの

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 * * *

 警戒しながら進んだが、襲撃はなかった。昼夜馬を飛ばし、どうにか水分と多少の食べ物を補給する。いきなり固形物を腹に入れるとなかなか受け付けなかったが、戻さず我慢した。

 ――なんだってあいつは、直接関係ないのに首を突っこもうとするんだか。

 やり返すなら俺がやるから、構わないでもらいたいのだが。
 といっても、ここ数年はそのやり返すという発想もなかった。

 おそらく、気力で負けていたのだろう。自分はアリエラほどに、大事に思っているものがない。ミルドを殺されミアを殺され、子供を殺され、うちひしがれた。それでも、仇を討てなかった。
 無意識のうちに負い目を感じていたのなら笑えてくる。
 アリエラと、エデルルークの呪いを跳ね返せなかったのかもしれない。

 お前は要らない人間だと吹きこまれ続けて、どこかで受け入れてしまったのだ。

 ――ノアは、人を殺したことがあるのか?
 ――いいえ、まだ。

 リーリヤとのやりとりを思い出す。立場上ノアだっていずれはその手を血で染めるのだろうが、何も今でなくたっていい。――俺のためでなくたっていい。
 目的の菜園にたどり着いたのは夜中だった。村から離れたところにあり、小さな建物が二つあるばかりだ。

 王家の剣、偉大なる騎士の一族、エデルルーク。
 誉れ高き聖剣の使い手は、その身を王と国へ捧げ、悪しきものを退ける。
 ただ一人の、聖剣に選ばれし剣士。

 ――そんなものに、選ばれたくなんてなかった。

 向いてない。何かを守るなんて。そんな偉い人間じゃない。
 空っぽな自分は、立ちはだかるものを斬って、壊して、踏みつけることしかできない。大義が何だか理解できない。
 自分勝手で、生まれながらに大切なものが欠落しているのだ。


 月明かりの下の菜園は、本当に手入れがされているのか疑わしいほど鬱蒼と植物が茂っていた。
 音がして振り向くと、倉庫の建物の古びた扉が開いて、細身の男が一人姿を現した。

 ノアだった。

「ノア」

 ノアはレーヴェがいるのに気がつくと、大きな丸いものを放り投げて寄越した。それがレーヴェの足下に転がる。

「土産にと思いまして」

 人間の頭だ。胴から離された中年の男の首が、生きている時とは変わり果てているであろう顔を夜空の下にさらしている。

「あなたに薬を渡した女は、金を積まれた行きずりの人間だったので手はくだしていません。その転がってる男はアリエラの忠臣。協力してはいただけないそうで、刃向かってきたので処分しました」

 見れば、ノアは血塗れである。だが全て返り血らしかった。倉庫の中には他にも幾人もの死体が転がっているそうだ。

「領地内でのことですから、祖父と侯爵閣下にはあらかじめ許可を得ています。国王陛下に信を置かれた聖剣の使い手を毒殺しようとするなど、許されません。証拠は集めました。私は一度館に戻り、それから王都へ向かいます」

 レーヴェは倉庫内の惨状を確認した。少しも手こずらなかった様子がうかがえる。躊躇いもなかったようだ。

 血に染まったノア・アンリーシャはその冷たい美貌が際だっていた。凍てついたような表情に、眼光は鋭い。
 そこには揺るぎない意志があらわれていた。曲がらず、欠けず、誰にも損なわれない。絶対的な強さがあった。

 夜空の闇を内包する瞳。何にも染まらぬ、美しい闇だ。頼りない光なら初めから不要だと主張している。
 半端な光に照らされて歪に浮かび上がる像を信じない。
 たとえ一つの明かりすらなくとも、彼は足を踏み出すのを恐れないのだろう。

「このくらいのことなら、いくらでもやりますよ。あなたのためならね」

 言ってノアは歩き出す。

「帰りますよ、レーヴェ」

 レーヴェは腰に帯びた剣に手を触れた。今そこにあるのは聖剣ではない。
 今のレーヴェは、ただのレーヴェだ。無様に弱って、疲れ果てた、意気地のない男。
 大切なものについて考える。そういうものがあれば、人生は変わるのだというようなことをミルドが言っていた。

 大切に思えば、失うのが怖くなるではないか。
 先を行きかけたノアが、凛とした表情でこちらを向いた。

「安心なさい。私は消えたりしません」

 そうだ、ノアは強くなった。レーヴェと違って道に迷わず、真っ直ぐに進んでいく。

「一つ頼みがあるんだけど、聞いてくれるか」
「内容によります」
「俺を看取ってくれないか」
「…………」
「俺より先に死なないでくれ。一瞬でいいから、俺より長く生きてくれ」
「わかりました。約束しましょう」

 承諾を得て、安堵した。
 ノアは律儀な男だから、必ず約束を守るだろう。失うことに怯えなくて済む。少なくとも、一つだけは。
 ノアなら信じられる気がするのだ。

 彼が、ノア・アンリーシャが、いつしかレーヴェの大切なものとなっていた。その理由を簡潔には説明できない。
 だがとにかく、レーヴェの中の虚ろに一番よく響くのは、ノアの抑揚のない声なのだ。

 愛していると言えるほど慈しむことができないし、自分は勝手な人間だ。あの体をほしいままにするのを望んでいる。
 恋だなんて、甘やかなものではない。けれど確かに欲していた。

 ノアはろくでもないレーヴェを、ろくでもないまま受け入れている。
 この関係をなんと呼ぼうか。

 わからない。けれど確かに言える。
 ノア・アンリーシャは、レーヴェルト・エデルルークにとって、唯一の拠り所になっていた。
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