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第二部 君に乞う

77、盗賊と毒矢

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 * * *

 自分はどこへ行こうとしているのだろう、とレーヴェは思う。
 そもそも、どこかへ行かなければならないのだろうか。別に行きたい場所なんてない。ふらりと風に吹かれて飛ばされて、行き当たりばったりに生活していくのが向いている。

 ――あなたは、逃げ回っているだけですよ。

 ノアにそう言われたことがある。ずばりと指摘されると、さすがにぐうの音も出なかった。
 近頃、すっかり気が抜けていた。ノア達と山奥で暮らすうちに、丸くなってしまったらしい。
 砂漠の戦場では「砂獅子」なんて異名をつけられてお偉いさんにも気に入られているが、剣を鞘におさめてしまえば、牙を抜かれた獅子になる。

 犬とか虎とか獅子とか、いくつもの動物にたとえられたが、要するにすぐ噛みつくという意味だろう。
 何故だかここ数年は、兵士を鍛えてやってくれと請われて指導の仕事が多くなっていた。
 王都に戻れ戻れとノアは急かすが、あんな酷いところへは微塵も戻る気がしない。良い思い出が一つもない。

 大体今更、どの面下げて騎士になりますと宣言するのだ。
 かといって、アンリーシャの館がある山奥で暮らし続けるのもどうだろう。
 薪を割って木の実を集めて、ほとんど隠居暮らしである。あんな生活をしていては戦いの勘が鈍る。

「めんどくせぇな」

 考えるのが面倒だ。
 この先については、結局また先送りにする。
 かつての傭兵仲間であったシンシバルに再会し、山奥に住む謎の一族の噂はもう広めないように頼んでおいた。他にもたまにその話を聞く機会があり、知っている者には「念入りに」口止めをした。

 またノアの身に何かあったら、うっかり素を出してしまいそうだ。前にノアがさらわれたらしいと聞いた時も、やりすぎてやたらと惨たらしく人を殺してしまった。引かれただろうと覚悟していたが、ノアの態度はその後も変わらない。

 死体を見慣れているのかと問えばそうでもないと返事があり、だったらあの惨状はやはり怖かったのではないかと後になってもしつこく聞けば、「あなたを異常者だとなじって怖がればよかったんですか? 気が利かずにすいません」と言われるので苦笑するしかない。

 人間の生首は一度見たので次からはもう動じないだろう、見ておいてよかった、とまで無感動に述べていた。大した肝っ玉である。
 ひとまず仕事は一段落して、借金も返済した。予定がなくなると、アンリーシャの館を目指すことになる。あそこに行けば宿代と食費は節約できるのだ。

 ノアは猛烈に迷惑そうな顔をするが。
 あんまり気が抜けすぎるとろくなことがなさそうだ。しかし近頃はすっかり、なんというか――腑抜けになりつつあった。

 十代の頃のような反抗心が消え失せて、たまに疲労を感じる。自分を構成する大半のものが虚無であることは変わりないのだが。


「町を出た先の西の道は行かん方がいいぞ。盗賊が出る」

 立ち寄った町で煙草を分けてやった老人からそう忠告を受け、レーヴェは笑った。

「そいつぁ怖いな」

 そちらの道を通るのが一番近いのだ。盗賊ごときなら、避ける理由にはならない。
 馬を走らせながら、日没までにはアンリーシャの館に到着しそうだなと考えていた。
 こんな辺りに盗賊が出るだなんて妙ではある。

 大した積み荷を乗せた車も通らなさそうだ。そうした馬車の護衛もしていたので、レーヴェは事情には通じている方だ。
 自分ならここで粘らない。一度美味しい思いでもしたのか、他に理由があるのか。

 前方の道の端に、徒歩で歩く女の後ろ姿が見えて、レーヴェは馬の速度を落とした。このまま行けばいずれは山に入る。

「この辺りは賊が出るらしいぞ」

 声をかけると、三十過ぎらしい軽装の女は、不安げな顔をしながら馬上のレーヴェを見上げた。

「承知しております」
「出くわすかもしれないぞ。こんな時間から歩いても、どこにもたどり着かない。町に戻った方がいい」

 女は眉間のしわを深くした。どうも目つきが病的である。落ちくぼんだ目は翳り、そこに憂悶があらわれている。

「盗賊に出会うのが私の目的なもので」
「どういうことだ」
「夫が深刻な怪我をさせられたんですの」

 レーヴェはため息をついた。

「ああ、つまり、仕返しをするというわけか」
「ええ」
「やめておけ。帰れ」

 こんな女が賊を討てるはずもない。しかも半分は正気じゃないだろう。まともな思考が出来ているなら、仇討ちを決意しても軽装で挑まないだろうし、この格好からすると持っている武器はせいぜい短剣くらいだ。
 また面倒な女を見つけてしまったものだ。見過ごすこともできないから、馬に乗せて一度町へ戻ろうか。
 そう思っていると、何かが疾く風を切って向かってきた。

 剣を抜いて、払い落とす。
 矢であった。

「言わんこっちゃない……下がってろ」

 敵が隠れているところへと向かう。矢が何本も放たれたが、全て剣で払った。
 射手をしとめ、別の方から飛んでくる矢を避けながらそちらにも向かった。

「気をつけて! 毒矢です! 主人もそれで……」

 と叫ぶ女が今度は攻撃対象になる。
 剣を持った盗賊がたどり着くより早く近づいて、馬から飛び降りつつその敵を斬った。再び矢が飛んでくるので、女を伏せさせる。

 口笛で馬を呼び戻して女を馬に上げ、鬱陶しい弓の使い手を倒した。
 数人は遁走して消えていく。追いかけて殲滅するほどの手合いではないように思われた。女を乗せたまま深追いするのも気が進まない。

「町に戻るぞ」

 肩に刺さった矢を抜くのを見て、女が悲鳴をあげた。

「大変! 毒矢が……!」
「大したことはない」

 鏃に塗った少量の毒で死ぬ気はしなかった。これまで散々毒を盛られてきたせいで、それなりに耐性はある。
 軽い痺れは感じるが、命の危険まではなさそうだ。毒に慣れているから、「ヤバい」とか「ヤバくない」とかが感覚でわかるのだ。これはヤバくない。

「私のせいで、申し訳ありません」
「あんたがいなくてもあのまま行けば俺もあいつらとばったり会っただろうから、関係ないだろ」

 速度を上げる馬に揺られながら、女は蒼白な顔で何度も謝った。

「本当に、何とお詫びをしていいか……。そうだ、私の家に寄っていただければ毒に効く薬がありますわ」
「いいや、薬なら持ってる」

 解毒薬を飲むほどでもないのだが、何もしなければ女が騒いで引き留めそうだ。ベルトの背中側についている小さな入れ物に、持ち歩いている薬が入っていた。
 そこから薬を出すよう女に指示を出し、指先くらいの大きさの丸薬を手渡してもらった。受け取って口に放り込み、丸飲みする。

「これで平気だ」

 女はそれ以上騒がなくなり、また小さな声で謝罪するとそれ以降は黙りこんだ。
 無事町に到着して、女を下ろす。日暮れ前の町はまだ人で賑わっている。

「何とも、お詫びのしようが……」
「お詫びはいらん。あんたもこれ以上馬鹿なことを考えずに、旦那の面倒を見るんだな。また盗賊が戻ってくるようならしかるべきところが動くだろう。はやまったことをするなよ」

 あれだけ脅せば、盗賊も戻ってこないだろうとは思うのだが。もしまた出没するのであれば、自分が掃除してやってもいい。

 女はうつむいたまま頷いた。家まで送ってやろうかと提案したが、一人で帰れるという。
 そこで女とは別れ、レーヴェは再び町を出発した。
 少し遅れたが、まだ夜までには着くはずだった。
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