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第二部 君に乞う
76、忠誠心
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館に戻る前に手当てをしようと言われ、宿に泊まることにした。
ノアは体を清めて、レーヴェの用意した服に着替える。あの惨状はそのまま放置して出てきてしまった。
レーヴェは傷薬や解毒剤を持ち歩いている。薬に詳しいらしくて、自分でも調合をするのだ。
服を脱いだノアは、レーヴェに打ち身の薬を塗ってもらっていた。
「酷い痣だな。痛いだろ」
「ただの打撲ですから、すぐに治ります」
「可哀想だから今日は抱かないでいてやるよ」
「この状態で手を出したら、鬼畜です」
どこも折れていないとはいえ、動くとあちこちが痛むのだ。痛がるとレーヴェが心配するから、顔には出さないで我慢していたが。
兄貴面でもしているのか、レーヴェは時折ノアの世話を焼きたがる。
「何か食う?」
ノアはかぶりを振る。数日まともに食事をしていないが、食欲はなかった。先ほど薄めた葡萄酒と林檎を食べたので、それだけでいいと思っている。これ以上は胃が受け付けなさそうだった。
レーヴェはしっかり食べていた。
異様だった雰囲気も元通りになり、いつものだらしなくて気怠げなレーヴェに戻っている。
ノアが帰って来ないので捜索のためにリーリヤが人を出し、レーヴェが行き合ったのだそうだ。リーリヤはノアがさらわれたのだと判断していた。
それを聞いたレーヴェは関係者をどういう手段で見つけたのか、想像を絶する方法で口を割らせてノアのところへたどり着いたという。
「みんな殺しちまったな。少し残しておけばよかったか?」
「追求するまでのことではありません。被害は私一人ですし。ちょっかいをかけられたと思うべきでしょう。騒いで益もないですし、ほうっておきます」
傷つけられたのが侯爵家の人間なら、徹底的に報復するべきだろうが、今回はそうではない。リーリヤも同じように判断するだろう。
レーヴェは不満そうに口を尖らせている。
「もっと怒れよ。自分を大事にしないと駄目だろ」
「私は自分以上に大事にするべきものがたくさんあるもので」
そこでノアは、レーヴェの言葉を思い出し、訂正しておくことにした。
「一応言っておきますが、レーヴェ。私はあなたのものではありませんよ」
「わかってるよ……。あれはその場のノリで言ったんじゃん……」
「私はリトスロード侯爵家のものであり、自分自身のものですらないのです」
レーヴェは寝台の上にあぐらをかいて座り、頬杖をついて胡乱な目をしていた。
「俺はさー、そこがわかんないんだよなー。その感覚がさぁ」
「そこ、とは?」
「主に仕えるっていう感覚。お前はすげー真面目に、侯爵様に仕える、それを誓ってるって言うじゃんか。でも、何でなの? リトスロード侯爵なんて、お前数回会っただけだろ」
「アンリーシャ家は、リトスロード一族に恩があるのです」
それはノアから数えて十一代前の話だから、大昔のことになる。先祖は特殊な種族で、アンリーシャはその傍系だった。うっすらとではあるが能力の一部を受け継ぎ、男が子供を産むという変わった体質を持っている。
アンリーシャはそのようにして風変わりな存在であったし、生まれるものは皆、見目麗しかった。とある貴族に目をつけられて捕らえられ、飼われることになってしまったのだ。
それを解放したのが、かつてのリトスロード家の当主であった。以来、アンリーシャの者はリトスロードに忠誠を誓って仕えている。
「そんな昔のこと、お前には関係ねぇだろ」
「あります。私はアンリーシャです」
「わからん……」
ノアにしてみれば、レーヴェの「わからん」発言の方がわからない。リトスロードはアンリーシャの救い主であり、自分がこうして存在しているのもリトスロードのおかげだ。
かつリトスロード家は国を守る偉大な存在であり、その片腕として働けるならこれほど名誉なことはない。
レーヴェは寝台に横たわった。
「一族とか恩とか忠誠心とか名誉とか、俺にはぴんとこないんだよな」
「押しつけられたから反発しているだけでは?」
「お前って痛いとこ突くね……」
レーヴェは苦笑いを浮かべた。
十四歳で突然貴族の血が流れていると聞かされて、王家に忠誠を誓えと迫られた。この反抗心の強い男なら、拒否したくもなるだろう。
どの道、形だけの忠誠心など長続きしないとノアは思っている。真心から、主に仕えたいという気持ちがなければ、身を捧げることなど出来はしない。
ノアは、父や祖父、曾祖父やそれより前のアンリーシャの男が生涯を侯爵家に捧げたのは、そうする価値があったからだと信じている。自分は代々続く想いと責任を背負っていた。
そしてまた、侯爵一族を信じていた。
「レーヴェ。あなたは王都に戻って、国王陛下をお守りするべきですよ。今代の国王は賢王と讃えられています。聖剣に選ばれ、騎士として仕えるのはこの上ない名誉です」
「まあ、陛下がただものじゃないっていうのは俺も認めるわ……」
何を思い出しているのか知らないが、渋い顔である。国王陛下は、もはや手のつけられない状態だったというレーヴェに罰を与えず、自由を与えて王都から出るのを許したのだという。
レーヴェは自分に牙をむく相手を威嚇するのは得意だが、受け入れられると困惑するらしい。叱責されないと気が抜けるというタイプである。
聖剣を取り上げられた時、どのような会話がなされたのかは大体想像がつく。レイフィル二世もこれまでの道が順風満帆だったわけではない。
「あなたは陛下に恩がありますね」
「いや、恩っつうか……あれは向こうが勝手にさ……。大体、俺が聖剣の使い手っておかしくない?」
「おかしいです。聖剣の人選は狂っています。しかし選ばれたものはどうしようもありませんし、あなたでなければならない理由があるのでしょう。戻りなさい」
レーヴェはため息をついて、「考えとく。そのうちな」と辟易した様子で目をつぶった。
必ずや、レーヴェは再び聖剣を手にするだろう。それが彼の運命だから。きっとその時、ノアは彼の隣にはいない。
レーヴェは剣士で、ノアは執事だ。戦う場所が違うのだ。
自分は不必要な人間なのだと、ノアはやさぐれた経験がない。力量不足を不安に思ったとしても、それを払拭しようと努力をする。
レーヴェの苦しみを拾いきることはできない。けれどとにかく、ノアはこの男を信じていた。
彼は必要な人間だ。
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