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第二部 君に乞う
73、経験不足
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レーヴェは王都に行くと言って館を出た。非常に気が進まない様子だった。
何でも定期的に国王陛下に現状を報告する約束をしているのだそうだ。
「あの人、苦手なんだよな……」
国王をあの人呼ばわりとは極めて不敬である。注意したのだが、レーヴェは上の空だった。とりあえず、渋りはするが王宮には出向いているようだった。
一方のノアも外出する機会が増えていった。
その日は侯爵領内のある町へ、書類を届ける用事があった。重要な書類は配達夫には任せられないのだ。
秋も深まり、景色は寒々しい。侯爵家の住む地方は基本的に雪が降らないが、領地は広大で、ところどころは雪も積もる。
木枯らしが吹く中を、ノアは馬を走らせていた。無事書類を届けて帰路へ着いたところだった。
――レーヴェは次、いつ頃戻るのだろう。
もしかしたらすぐかもしれない。この前も用心棒の仕事をして金は稼いだばかりだし、王都に長く滞在するとは思えなかった。
もしかしたら、この辺りを移動しているのだろうか。
しかし、彼は王都にとどまるべきだった。それが彼の道なのだ。いくら言い聞かせても頷かないが、いつまでもふらふらしているのは誰にとっても良いことではない。
いくら拒んだところで、レーヴェルト・エデルルークは国でただ一人の、選ばれし者なのである。運命は彼を、しかるべきところへと導くだろう。
森の中を走る。
日没は早く、後数時間もすれば周囲は暗くなってしまうだろうが、どこにも泊まらずに館へ戻るつもりだった。到着は夜中になるだろうが、なんとなく今日は早く帰りたかった。
それが「予感」というものだと、ノアはまだ気づいていない。
黒い影になりつつある木立から、複数の鳥が飛び立った。身を切るような冷たい風が吹きつけて、馬が鼻を鳴らす。
ノアは手で腰の辺りをさぐった。剣は帯びていない。丸腰だ。
用件によっては帯刀して出ることもあるが、持たない方が多かった。結局ろくに使う機会もなく、邪魔だと思ってしまうのだ。
今日はそれを後悔した。やはり丸腰はいかがなものか。レーヴェに剣を教えてもらった意味がない。
自分は魔法が使えるから、武器など不要だと高を括っていたが――。
目の前を、光るものが横切った。
馬に頭を下げさせて、それを回避する。
――魔法だ。
手綱を引いて馬を止めた。この先いくつも足止めの障害が仕掛けられているのが見えたのだ。馬から下り、魔法弾が飛んでくるのをノアは防壁を張って防ぐ。
「ノア・アンリーシャだな?」
木立の奥から何人もの男達が姿を見せる。数えると、計八人。いかにもそこらのごろつきといった様子の男もいるが、中には身なりの良い者もいた。物盗りではなさそうだ。
「何の書類を届けた?」
口髭をたくわえた男が尋ねてきた。こちらは身なりの良い方である。
――そっちか。
「何のことだ」
「とぼけるなよ。今日は一日、お前の後を追いかけさせてもらったんだ」
「私は運んだものの中身は知らない。それを知るような立場にない」
「どうだかな」
男は葉巻をくゆらせていて、実に余裕のある態度だった。
「お前はアンリーシャだろう? アンリーシャといえば、リトスロードの犬だ。大昔から侯爵家に飼われていて、可愛がられているじゃないか。お前はそのアンリーシャのお坊ちゃんだ。そのうち執事長になるんだよな? 大切なことを、たくさん知っているはずだ」
かなりの事情通と見える。侯爵一家は有名だが、そこの執事についてまで知っている人間は多くない。
「捕まえろ」
男は顎をしゃくって仲間に指示を出す。
「しかし油断するなよ。このお坊ちゃんは有能な魔術師で、見かけよりも強いそうだ」
ノアが呪文を呟き、地面に光が走る。男達は即座に避けた。指示を出しているらしい男の前にはローブを着た男が立ち、ノアの魔法を打ち消す。腕の良い魔術師のようだ。
剣を抜いて近づいてくる者がいて、ノアはそちらに魔法弾を飛ばして牽制する。もう一方から向かってきた火柱は防壁で打ち消し、飛んでくる魔術の刃は跳ね返した。
力の差はあれど、皆が魔法をかじっているようだ。見た目はバラバラだがそれなりに連携が取れており、素人仕事でないことが伺える。
力量は全員分を足したところでこちらが上だ。とはいえ、まだ隠している可能性は大いにあるし、一対八はやりにくい。これで全員でないかもしれない。
一気に蹴りをつけるか、逃げるか。
髭の男を守っている魔術師が気にかかる。他の面々を倒している間に何か仕掛けられれば不味いことになるかもしれない。
睨み合いが続く中、動いたのは敵だった。大量の尖った針状のものを飛ばしてきて、ノアは跳躍して避ける。別の男に空中で剣によって切りかかられ、魔法で弾いた。
少しずつ包囲網が狭まってくる。迷っている暇はなさそうだった。
強化した足で一人を蹴り飛ばし、めくらましの術をかけてもう一人を吹き飛ばして木の幹に激突させる。
向かってきた二人の額へ同時に魔法弾をぶつけ、その二人は転倒した。
捕縛の鎖が飛んできて体に巻きつき、一瞬動きが封じられる。とはいえ解除するのは容易だった。こちらの方が力が上であれば、恐れるほどのものではない。
ただ、その一瞬が命取りになった。
捕縛の鎖のいましめを即座に解いたのだが、両手首に軽い衝撃と違和感を覚えた。そしてぐっと腕が重くなる。
振り向くと、背を向けていて気がつかなかったが、例の魔術師のすぐそばに着地していたようだった。
魔術師はこちらに手を向けている。
そして、ノアは自分の手首に何かが装着されているのを目にした。
(これは……)
「魔術師泣かせの魔道具だよ、アンリーシャの若旦那。うちの魔術師の渾身の力作だ。これでもうお前は魔法を使えんよ」
手首にはまっているのは、紋様の刻まれた金の腕輪で、肌に隙間なくぴったりとついている。確かに、魔力の流れの一切が遮断され、術が発動しそうにない。黄金を薄くのばして作られたような腕輪であるのに、異常なほど重く感じられた。
「こうなるともう、赤子の腕をひねるも同然だな」
そう言って、髭の男は顎を撫でている。
完全にしくじった。いくら悔いたところでもう遅いが。
魔物を倒すのには慣れているが、対人間となると経験不足は否めない。やはり戦いでは経験がものをいうのだ。レーヴェが以前そんなことを言っていたが、その通りだと痛感した。
陽は刻々と傾いて、赤黒く燃えていた空も次第に闇にのまれていく。冷たく乾いた風が襟から吹き込み、ノアは改めて寒さを感じた。
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