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第二部 君に乞う

71、子供を身ごもる男

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 * * *

「今回の戦は危なかったわー。敵側にめちゃ強い魔術師がいやがんの。形勢不利だったけど立て直してさ、大活躍だったんだぜ、俺。金もたんまりもらってさ。一生いてくれって頼まれたけど、断ったよ」

 馬に土産を積んでレーヴェが戻ったのは、冬も半ばの頃だった。大体レーヴェが呼ばれるのは砂漠の民の間で起こる戦で、彼らはほとんど年中揉めている。
 土産は南国地方の珍しい食材や、薬草だった。手に入りにくいものが多くあって、リーリヤが喜んでいる。

「久しぶりだなぁ、ノア。元気にしてたか」
「お陰様で」
「何でそんなに怒ってんの?」
「怒っていませんが。目が悪くなったのでは?」
「寂しかった? ただいまのチューしてやろうか?」

 会話をしているとこちらまで頭が悪くなりそうである。礼儀として出迎えたが、ノアはさっさと切り上げて自室へ戻った。

 半年ぶりに会っても、レーヴェはちっとも変わっていなかった。相変わらずお調子者で下品で、身勝手だ。
 また騒がしい日々が始まった。
 くだらない話をして、作業を邪魔され、抱かれる日々が。


 レーヴェは度々館を出てどこかへ行き、数ヶ月後に帰ってくるという生活を繰り返した。
 ノアも館にこもっているばかりではなく、リトスロード侯爵領内に出る魔物を倒すのに出かけていった。侯爵家の人間と合流することはなかったが、侯爵とは顔合わせをして、現在の家令である祖父とも久方振りに会った。

 そんな生活が続いて、何年かが経過した。
 レーヴェは二十六歳になり、ノアは二十歳になっていた。
 これといった変化はない。互いに戦闘力は上がっていって、危険なことに身を投じたりもしていたが、大したトラブルにも巻きこまれずに過ごしていた。


 ――いつまでも、変わらないものなんてない。望まずとも、いずれ何もかもが変わっていくだろう。

 ある晩、ノアは机にも向かわず、自室の寝台の上で膝を抱えてぼんやりとしていた。
 祖父ノスタルの年齢はもう、七十代後半である。いつどうなるかわからず、祖父に何かあればすぐに、ノアは家令として侯爵家に向かう。

 ノアは家令を任されるにしては若すぎるが、アンリーシャの者しかなれない理由があり、父は早逝したので仕方がなかった。
 そつなくこなせるといいのだが。

 この先、自分の人生はどうなるのだろうかと考える。こう、ナーバスになるのはノアにしては珍しいことだった。悩んだところで詮無いことは、普段であれば早々に手放してしまう。だが今夜は、いつまでも手の上で転がしているような感じである。
 無意識のうちに下腹部を押さえていた。

(ああ、これだ。これのせいだ……)

 はっと、もたれた壁から身を起こすと、レーヴェが部屋に入ってきていた。

「どうした、ぼーっとして」

 いつものように近寄ってきて、ノアの肩に手をかける。ノアはびくりと体を震わせて、身を引いた。

「今夜は駄目です!」

 ノアが大声をあげるなど、滅多にないことだった。レーヴェはきょとんとして動きを止める。

「今、私……は」

 腹に当てた手で、シャツを強く握りしめた。

「女の器官ができている……時期で。性交をすると、高い確率で妊娠してしまうんです」

 今し方の大声とはうって変わり、消え入るような声だった。
 その器官は、半年に一度現れる。三日ほどでまた通常に戻るという仕組みだ。妊娠できるチャンスが少ないせいか、受胎率が極めて高い。器官の中に射精されれば、まず間違いなく子を孕むことになる。

 手が微かに震えていた。
 押し切られたらどうしよう、という恐怖に身がすくむ。

 面白い。そう言ってことに及ぶなど、この男ならやりそうだった。そっちの穴に入れなければいいんだろう、と言うかもしれない。だが万が一の危険を考えれば、絶対に避けたかった。

「なるほど」

 レーヴェはあっさり手を離す。

「じゃ、やめておくか」

 ノアは思わずレーヴェの顔を見上げた。だが薄暗くて、表情までは確認できない。
 レーヴェは寝台に腰かけて黙っていた。ノアも腹を押さえたまま沈黙する。

「リーリヤが、私とあなたが性交することに口を出さないのは、期待しているからかもしれません」
「何を?」

 ノアは唾を飲んだ。

「……私が妊娠することを」

 ノアを産んだのは父ノドルで、ノドルを産んだのはその父ノスタルである。もちろん、一人でに妊娠するわけではない。普通の男女のように、性交の末に懐胎する。
 ノアはノドルを父と呼んでいるが、ノアにとっては母でもあった。

 もう一人の、一般で言うところの父――品のない言い方をすれば種付けした方だ――については、何も知らない。
 そちらを重要視しないのは、この辺りでは普通のことだった。スリーイリの村でも、幾人かの女は外で身ごもって帰ってくる。村の人数が少ないので、血が濃くならないための配慮である。

 ノアが思うに、さほど吟味はされていないのだろう。子を生むのが重要であり、相手は余程の問題がなければ誰でもいい。
 アンリーシャの男は特に、とにかく産まなければならないのである。生涯で産むのがただ一人というケースがほとんどだった。

「いつか……私も産まなければならないというのは、理解しているつもり……なんですが」

 それは義務だ。ノアが産まなければ、アンリーシャの直系、本家の血は絶えてしまう。

「でも……今は、まだ」

 産むなら早い方がいい。アンリーシャは難産だと聞いているし、若いうちに産まなければ。
 だが、とても口には出せないが、――怖かった。
 自分が特殊な体であることに憂いを感じていた。リーリヤには決して言えない。

 子供を産みたいとは思えない、などと。

「安心しろ。俺はお前を孕ませる気はない」

 暗がりの中で聞こえたレーヴェの声は、いつもより抑揚を欠いていた。まるで別人のように聞こえて、本当にそこにいるのはレーヴェなのかと、ノアが目を凝らすほどだった。

「あなたが私に近づいたのは、子供を身ごもる男であるアンリーシャが、物珍しくて、抱いてみたかったからではないのですか?」

 初めて交接した時の会話から考えて、そうであると想像していたのだが。
 レーヴェはどこだかわからないところへ視線を投げたまま声を出した。先ほどよりは、いつもの調子を取り戻している。

「ああ……まあね。抱いてみたかったのはそうだ。けど、妊娠させるつもりはなかったよ。もしお前があの時、今と同じ状態で、その説明を聞いてたら抱いてなかった」
「どうして?」
「俺はもう、誰も妊娠させるつもりはない」

 低い呟きには異様な響きがあって、ノアを困惑させた。
 レーヴェがよそで頻繁に女を抱いているのはノアも知っていた。商売女も素人女も、男であっても、気に入れば交わる。本人もそう言っていたし、日頃の行いを見ていれば当然そうだろうと思っていた。

 であれば、子供なんて何人もあちこちに作っているだろうと決めつけていたのだが。

「いたはずなんだな、ガキは一人。娼婦を孕ませたんだ。別に好きでもない女でさ。俺の子供ができれば、エデルルークが嫌がるだろうって考えて、女に産めって言ったんだ。そうしたら、産む前に殺された。腹裂かれて、ガキは引きずり出されて串刺しだ。生まれてたらいくつになるかな」

 ノアはレーヴェの背中を見つめていた。
 レーヴェがふっと息をもらして笑う。

「俺は誰かの父親になるべきじゃないだろ? だから一生、ガキはいらない。作らない」

 赤ん坊の鳴き声が苦手なんだ。レーヴェは言った。見もしなかった自分の子供の死体を想像してしまう時があって、と。

 ノアは言葉を失っていた。
 レーヴェがどんな顔をしているかわからず、どんな気持ちを抱えているか知らず、だからかける言葉が思いつかない。

 これは懺悔だろうか。ある程度心の整理をつけた悔恨の吐露か。それとも、その事実はいつまでも鮮烈に彼を苛んで苦しめているのだろうか。

「変な話聞かせて悪かったな」
「…………いいえ」

 絞り出すことができたのは、それだけだった。喉がひりついて、酷い渇きを感じていた。

「だからさ」

 レーヴェが振り向いて顔を近づけた。今度は彼の表情がよく確認できる。落ちこんでいるわけでもない、普段と変わらぬ飄々とした態度で、表情も暗くなかった。

「お前が子作りするんなら、俺以外になるな。リーリヤにもそう言っておけ。俺より上手くお前を喘がせる奴なんて、絶対いないけどな」

 人が相手に見せる面というのは、その人間のごく一部でしかない。
 ノアは、レーヴェルト・エデルルークという男がどんな人間であるのか、まだつかみきれないでいた。つかめそうになると、するりと逃げられる。

「部屋戻るのめんどくせーな。今日はお前んとこで寝よ」
「……狭いんですけど」
「お前は細いから大丈夫だよ、二人で眠れるって」

 レーヴェがごろりと横になった。

「何日後なら抱いていいんだ?」
「明明後日以降なら」
「そんなにおあずけ食らうのかよ」
「山を下りて女を抱いてきてはいかがですか」
「遠いじゃん……」
「誰でもいいのでしょう?」
「誰でもいいけどさ……お前が一番だから」

 欠伸をして、「三、四日くらいなら待つわ」と言うとレーヴェは背を向けた。
 ノアが主張するほど、実際寝台は狭くなかった。身動きが取れないほどではなくて、二人の間にはほんの少し隙間がある。

 身じろぎもせず、ノアは座ったままレーヴェの後ろ姿に見入っていた。長い時間、静寂の中で。
 レーヴェは眠ったのだろうか。まるで死んでいるみたいに静かだ。
 幾度かレーヴェが寝ているところを見ていたが、それが本当に眠っていたのかどうか、ノアには判断がつかなかった。何せ彼はいびきひとつかかないのである。

 襲われることが多くて、音を立てずに眠るのが癖になったと本人は言っていた。
 今まで、どのような人生をこの男が歩んできたのかノアはよく知らない。本人から語られる断片でしか想像できないが、それが真実であるとも限らない。

 どうせなら、どこまでも軽薄な男として目の前に立っていてもらいたかった。その方がこちらは楽だ。
 どんどんレーヴェに引きずられていく。

 喜怒哀楽。感情というものは、その四つでほとんどが分類されると思っていた。けれど実際は複雑で、名付けようのないものもたくさんあった。

 今、自分がこの人に抱いている感情は、何と呼ぶのだろう。
 あえて名前を付けなくてもよいのかもしれないが、絡み合った複雑な何かは、いつまでもノアの胸を騒がせた。
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