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第二部 君に乞う

70、蹄の音

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 * * *

「俺、そろそろこのうち出るわ」

 唐突に、ノアとリーリヤがいる部屋へ顔を出したレーヴェがそう言った。
 彼がアンリーシャの館に転がりこんで、半年以上が経っていた。

 早く出て行ってほしい。そう思いながらも、この男は一生ここに住むのではないかと考えていたノアは、正直驚いていた。顔には一切出さなかったが。
 いつもの無表情で尋ねる。

「王都に帰るのですか」

 彼は王家の騎士エデルルークの人間であり、聖剣の使い手ならばなおさら騎士団に戻るべきなのだ。国王陛下にもそれを望まれているし、王都で働くのは義務なのである。
 いつまでも山奥にいていいはずがない。

「あー、いいや」

 レーヴェは頭を掻いた。

「あちこちに貸しがあってな。借金返すために働かねーと。踏み倒したら地獄の果てまで追いかけてきそうな奴がいる。もっと体を動かさないとなまっちまうしな」

 というわけで、また雇われの兵隊をやってくるのだそうだ。騎士団に戻って働けばいいと言えば、それは嫌だと口を尖らせる。
 引き留める理由もないから、ノアは「そうですか」と返した。レーヴェが王都に戻ろうが戦場に顔を出そうが、ノアには関係ないのである。

 支度をして出て行く時に、一応見送りをした。名残惜しさなどないが、よく考えれば相手はこんな性格でも貴族なのだし、礼儀は失してはならない。今更だが。

「あのさ」

 レーヴェが振り向いた。

「仕事終わったら、またここに戻ってきてもいい? 俺、住む家がないんだよ。宿見つけんのもダルいしさ」

 いいわけがあるか。この館は宿代わりではない。

「よろしいですよ」

 ノアよりも先に口を開いたのは、隣に並ぶリーリヤだった。

「ねえ、ノア様」
「どうして」

 ノアがどうにか言えたのはこの一言だった。

「レーヴェルト様がいらした方が、賑やかで楽しいでしょう。村の子供も懐いてますし、力仕事をしていただけるのは助かります。お強いので防犯の点でも安心ですし」

 だが。
 だがこの男は。

 この男はただ飯を食らう。食費は馬鹿にならない。下品だし、すぐいやらしく触ってくる。何より性欲が強すぎて、付き合うこっちは身が持たないのだ。

 頭の中には文句が溢れたが、どういうわけか口まで下りてこなかった。

「じゃあ、数ヶ月したら戻ってくるわ。ってことで。じゃあな」

 ノアが何も言わないうちに、許可を得たと思ってレーヴェは出発してしまう。
 ノアは立ち尽くし、瞬きを繰り返していた。では、あの男はまた戻ってくるということか。

「数ヶ月戻って来ないんですって。寂しくなりますねぇ、ノア様」

 手を額に庇のようにしてあてて、リーリヤは遠ざかっていくレーヴェの姿を見送っていた。

「何故あんなことを言ったのです」
「戻ってきたがっていたじゃないですか。突っぱねたら可哀想でしょう」

 もう大人なのだから、行くあてがなければそれなりにさがすと思うのだが。リーリヤは日頃は気をつけているものの、たまにレーヴェを子供扱いする。彼から見れば、大体の若者は皆子供なのだろう。


 出て行ってから半年が経過したが、レーヴェは手紙の一枚も寄越さなかった。どう見ても筆無精なので、滅多に字など書かないだろうから期待もしていなかったが。

(あの人は、どこでどうしているのだろう。まさかあっさり戦地で死んだわけではないだろうな)

 ノアの心を読んだように、リーリヤが「レーヴェルト様の動向を調べさせましょうか」と提案してきたが断った。
 気になどしていない。ちょっと思い出しただけだ。
 季節は冬になり、やはりレーヴェの消息は伝わってこない。

 気まぐれな人間だから、仕事にはきりがついたが、ここへ戻ってくる気がなくなったのかもしれない。それならそれでいい。この静けさが乱されなくて、ノアには都合が良かった。

 自室で、机に向かって書き物をする。
 リーリヤにほどほどにするよう言われるが、睡眠時間はなるべく削って作業をしていた。侯爵家の家令として必要な知識は膨大で、学ぶことに終わりはない。情報も常に更新しなければならない。

 誰も止めに入らない。夜中に部屋に侵入してくる不埒な男はいない。
 体を壊すぞ。そう言って、いたわるようなふりをして、組み伏せてくるような勝手な奴はいなくなったのだ。

 ――せいせいする。

 その時、静まった外から、馬の蹄の音が聞こえてきた。滅多に誰も訪れないこの館を、真っ直ぐ目指して駆けてくる。家の者は全員いる。よそから来た何者かだ。
 ノアは筆記具を落として立ち上がった。自室を飛び出し、階段を下りて玄関ホールへと走る。

 扉が開閉する音と、リーリヤが誰かと話す声。
 そこへたどり着いた時、訪問者の姿はなかった。

「どうしても必要な薬があって、早馬で届けさせたのですよ」

 リーリヤは小さな荷物を掲げて見せた。

「……どうしました?」
「いいえ、何でも」

 ノアはかぶりを振って後ずさりし、歩いて部屋へと戻っていった。
 自分の行動が、理解不能だった。
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