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第二部 君に乞う
60、間接キス
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今度先に力尽きたのはノアだったから、寝ている間に後始末は綺麗にしてやった。
寝顔がまた可愛いので、しばらく眺めてから部屋を出たのだった。
翌朝廊下で出くわすと、顔色を変えずにノアは「おはようございます」と律儀に挨拶をする。恨み言の一つも言わないし、特に睨みもしない。まるで何もなかったかのようだ。
(まだ足りんな)
通り過ぎていくノアを立ち止まって見つめながら、レーヴェは心の中で呟く。
以降、レーヴェはノアに対して夜這い行為を繰り返した。
毎日ではないものの、気が向いた時、夜になったら忍びこむ。ノアはレーヴェがやって来ることに対して、これといった対策はしていないようだった。
ただ――迷惑そうだった。
そして弱く抵抗をして、嫌だと言い、結局レーヴェの好きなようにされる。その繰り返しである。
レーヴェが部屋に現れると、ノアの眉が動き、唇にも力が入る。それは明らかに表情の変化だった。他人が見ればほとんどわからないほど些細なものだろうが、しばらく一緒に暮らして観察してきたレーヴェにはわかる。あれは兆しだ。
更にレーヴェはもう一つ確信していることがあった。
ノアは心底嫌がっているのではなさそうだ。
嫌は嫌なのだろう。一般常識は頭に叩きこんでいて、特に価値観も特殊ではないノアは、自分がされていることが世間でどう捉えられるかきちんと理解しているはずだ。
はしたないことだと知っている。
一方で、与えられた快楽も忘れられないと見える。一度味わってしまった後は、それなりに目覚めてしまったのだろう。
こういう部分ではレーヴェも自分の技術にかなり自信がある。
理性では拒絶していて、本能では求めている。だから拒みきれないのだ。
レーヴェには愉快でたまらない事実だった。ああいう真面目な奴に快楽を教えこみ、溺れさせていく過程は実に楽しい。
意地の悪いことを耳元で囁けば、ノアは悔しそうに歯噛みをする。ろくでもない男だと思っているのだろう。それでいい。それが目的だ。
「お前は剣は向いてないな」
くるくると剣を回して、レーヴェは鞘にしまった。
ノアが稽古をつけてくれというので付き合ったが、てんで駄目だ。技術うんぬんの前に、体力がなさすぎる。
「わかっています。それでもいつ何時、どういうことがあるかわかりませんから、できる限りのことはしておきたいのです」
ノアは剣を地面に突き立ててすがりながら、息を切らしている。
苦しそうな顔を見ると、夜のことを思い出して変な気分になりそうだ。
「お前は魔術師としてとんでもなく才能があるんだから、剣なんて使えなくても平気だろ」
「能力の高さに満足をしてあぐらをかいていれば、いずれ痛い目を見ます」
人には向き不向きがあるからなぁと諭しても聞かない。とりあえず護身術程度のことを教えてやることにした。
魔力の面でのスタミナはあるが、肉体を使って運動をするとなるとバテやすい。これは体質もあるだろう。
「いいんだよ、剣なんてさ。もしお前が剣で絡まれて、万が一魔法で応戦できないようなピンチに陥ったら、俺が助けてやるから安心しろ」
「……結構です。この先、あなたとずっと行動を共にするわけではない」
そう言われてみればそうなのだが。お互い、何十年もこの館に住む予定ではなかった。レーヴェはまだ先のことを決めかねていて、出て行こうとは思っていなかったけれど。
「レーヴェ。あなたは指導をするのが上手いようです。もしお暇であれば、スリーイリの子供に剣術を教えてやってもらえませんか」
村は平和だが、近くに魔物を運ぶような危険な輩が出たことを考えると、身を守る術を覚えておくべきではないかとノアは考えているらしい。
スリーイリの村人はアンリーシャ一族を慕っている。アンリーシャも彼らの面倒を見てやっており、物資や金銭的援助をしていた。
二人でそれぞれ馬に乗って下りていく。スリーイリには一度顔を出していて、レーヴェは顔を知られていた。
請われた通り、子供達に剣術を教えてやる。別に将来兵士になるわけでもなく、初歩の初歩の技術を伝える。
レーヴェ先生と呼ばれ始めてうんざりし、「先生はやめろ、ケツ叩くぞ」と子供達を脅してやめさせた。
レーヴェは個々の能力を見極めるのが得意だった。向き不向きを早くに見抜く。どこを伸ばすべきか誤りなく判断できたのだ。
「品性さえ問題なければ、指導者に向いていたでしょう」
ノアがぽつりと言う。レーヴェが下品だというのは嫌というほど知っているのだ。
「馬鹿言えよ。今よりもうちょいお上品だったとしても、『せんせぇ』なんて御免だ」
と言いつつ、レーヴェは村で剣の先生を続けていた。子供だけではなく、数人の若者も指導した。
力仕事を頼まれたり、子供に遊びをせがまれたりと、なんとも平和な日常を過ごす羽目になる。レーヴェは時折そんな状況に苦笑した。
(似合わねえ)
自分は返り血を浴びている姿の方が似合うと思う。ごく普通の生活に溶けこんでいるふりをするのはさほど苦労しないのだが、こうしてまともな人間に囲まれていると、自分の中の虚ろをより強く意識してしまうのだ。
こいつらはまともだが、俺はまともじゃない。
俺はその事実を忘れているわけではない。断じて。
そんな思いが凝縮して、苦い笑みとして現れる。
村の子供達が走り回るのを遠くで眺めながら葉巻を吸っていると、アンリーシャの若旦那が近づいてきた。
「その葉巻は普通のものとは違うようですね」
これは東国から取り寄せていて、国内ではほとんど流通していない。葉巻は高価な嗜好品だ。レーヴェの持ち金の多くはこうして煙となって消えていく。
「痛みを紛らわす成分が入ってる。たまに古傷が痛むんだ」
「胸と……腹の?」
「そう」
裸で交わるのだからノアはレーヴェの古傷を見慣れている。他にもいくつか傷はあるが、なんだかノアは抱き合っている時、おそるおそるその傷に指先でよく触れるのだ。
葉巻は相変わらず、ミルドが吸っていたものと同じものだった。
「しかし、体には良くないはずです。吸い過ぎると寿命を縮めますよ」
「俺はそう簡単にくたばらないよ。ご心配なく」
うっかり死んでしまえば、たくさんの人間が喜ぶ。そう思うと腹立たしくて、何があっても生きていてやろうと決意を新たにするのである。
だがここにいると、過去の出来事がいやに遠く感じられて、緊張感が失せていく。穏やかなところに身を置くのは好ましくないかもしれない。
いや、けれど――。
隣に立つノアを見上げる。ノアはレーヴェの口から葉巻を奪った。
「せめて、本数を減らしてはどうですか」
「口が寂しいんだよ。お前がその寂しさを紛らわしてくれるか?」
ノアがわずかに目を細め、そのまま無視を決めこむ。
この頃彼は見せる表情の種類がかなり増えてきた。大体が負の感情ではあるが。
ノアは葉巻を口に運ぶ。
「不味い」
そう言って煙を吐き出した。
「あ、間接キスだ」
と笑う口に、また葉巻を突っこまれた。
嫌われていると思っているのだが、体を心配されると勘違いしそうになる。
単に優しいのだろう、あいつは。
俺じゃなくてもああいう言葉をかけている。
ここでの生活は悪くなかった。ぼうっとする時間が多い。何も考えないでいるというのは楽なのだ。
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