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第二部 君に乞う

52、これは、俺の

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 レーヴェは先ほどから気になっていた大きな死骸に近づいていった。
 黒くて、甲殻類みたいな殻に体が覆われている。大きさは熊の二倍くらいだろうか。体毛はなく、縮こまっているからどんな形の生物なのかが不明瞭だ。

「なんだこりゃ。気持ち悪りぃな」
「魔物です……」

 やや息を切らしながら、青年が呟いた。

「この者達は、魔物を運んでいました。どれほど危険なものなのか理解していなかった……。すぐに、倒さなければならないと思って……。その檻は魔道具のようで、壊して魔物を倒すのに力を使いすぎました」

 つまりこの男達は、危ない魔物を檻に入れて運んでいたと。そしてこの子供は魔物を倒し、大事な荷物を駄目にされた男達は腹いせにぶん殴っていた。こういうことだろうか。
 檻のひしゃげ方を見ると、人力でなされたことではなさそうである。触れると魔法の気配を感じた。

「魔法が使えるのか? お前」
「あなたは誰なんですか」

 もっともな質問である。事情はいまだによくわからないが、この子供からしてみれば五人の男もレーヴェも似たようなものなのだろう。
 レーヴェは青年に近づいていった。

「美人だねぇ」

 思わず口に出してしまうほどに、その青年は容色に恵まれていた。髪は青みがかった暗い色で、やや長く目や耳にかかっている。
 切れ長の目は涼しげで、瞳は深海の青。白皙に映える色である。薄い唇。細い鼻梁。顎の形も申し分ない。どれもが整っていて、そしてどこか冷たい印象だった。

 顔の造りはぼんやりしておらず、凛とした鋭さを感じる。その冷ややかさが冬を、氷を連想させた。
 一つ一つの部分が目を引く。緻密な細工物でも前にしたように、細部まで観察したくなるのだ。
 珍しいタイプの美貌の持ち主ではあった。その陰が人を惹きつける。

 焦るでもなく怯えるでもなく、顔は極めて無表情だった。目にも光が乏しい。

「俺の名前はレーヴェ。旅人だ。スリーイリに用があって、こんな山奥までやって来た」
「スリーイリにどのような用が?」
「えーと、俺の生き別れた弟が預けられてるかもしれなくて……」
「スリーイリの村は五家族しかいません。あなたの弟に該当するような人物はいない」

 思った通り、村のことをよく知っているらしい。ということは、この辺りに住んでいるのだ。

「お前は村の住人か?」

 青年は首を横に振る。だんだんと顔がうつむいていく。
 もっと顔が見たくなり、レーヴェは顎を持ち上げた。

「名前は?」
「……ノア」

 小さな声だった。耳を澄まさなければ、聞き逃してしまいそうなほど。

「ノア・アンリーシャ」

 レーヴェは唇に笑みをのぼらせた。

 ――当たりだ。

 シンシバルの聞いた話が信憑性を帯びてきた。確かにこいつは、とびきりの美人である。魔法を使えるらしいし、名前も一致している。
 本物だろう。

「馬が行っちまったな。油断した」

 レーヴェは指笛を吹いたが、馬は戻って来ない。付き合いが浅いとこういうこともあるだろう。少し格好をつけて張り切りすぎたらしい。

「お前はどうやって来た」
「馬ですが、逃げられました」

 この魔物を見たからかもしれない。

「おうちはどこだ? 送って行ってやろう」
「徒歩ではかなりかかります」

 相当魔力を消耗しているらしかった。怪我の程度は軽いが、歩くのには支障があるかもしれない。
 ノアは虚ろな目で転がっている死体を見回している。ショック状態というわけではなく、やや物言いたげだった。察したレーヴェが言う。

「全員殺ったのはまずかったか?」
「一人くらいは生かしておいてもらいたかったですが……」

 魔物を運んでる奴がいるだなんて、レーヴェも聞いたことがない。男達の口振りからすると、彼らは誰かに依頼されてこんな無茶をやったらしい。ご命令、と確かに言っていた。

 ノア・アンリーシャは、詳しい事情を知りたかったのかもしれない。

「悪いことしたな、そりゃ」
「いいえ。あなたがいなければ、私は殺されていたでしょうから、話を聞くどころではありませんでした」

 順序を間違えたのは自分の失態だったとノアは後悔を口にする。まずは男達をどうにかするべきだったのだが、魔物を倒すので力を使い果たしてしまったのだ。
 魔物には詳しくないが、あれは大物であるようだ。あれほどデカくて堅そうなのは見たことがないし、聞きもしない。ノアは若い割に、かなりの能力の持ち主なのかもしれなかった。

「スリーイリに行くのですか」

 先ほどの話の続きである。
 さて上手い嘘も思いつかないから、とレーヴェは本当のことも混ぜて話すことにした。

「ここらの話を聞いたから、見に来ただけだ。なんかまあ、ほら……国のあちこちを見て知っておくのも今後のためになるかと思ってな。あー、俺は怪しい者じゃない。家名はエデルルークだ。知らない? エデルルーク」

 ノアは彫像のように変わらぬ表情で問うてくる。

「王家の騎士の? 聖剣の使い手が現れるという?」
「そう、それそれ。俺がその聖剣の使い手なの、今のな」

 ノアの視線が自然とレーヴェの腰にそそがれる。

「これは聖剣じゃないんだけどさ……。国宝だから持ってうろうろできないだろ? 国王陛下に預かってもらってる」

 今まで散々持ったままうろついていたし、正確には預かってもらっているのではなく取り上げられたのだが。
 何なら、王都のエデルルーク家に問い合わせてもらってもいい、と言ってやった。そんな奴はいないと言われかねないし、評判を耳にするようなことがあれば度肝を抜かれるかもしれないが。
 何せ家に火をつけて夫人を殺すと暴れ回り、騎士団は一ヶ月でクビになった男である。

「エデルルークは、王家側の貴族ですね」
「うん? それはそうだろうな」

 派閥のことはよく知らないが、見ている限りエデルルークは根っからの王家側である。あの忠誠心は見かけだけではないだろう。
 そういえばここはリトスロード侯爵領で、リトスロードは王家から贔屓されているともっぱらの評判だ。これも王家側と言うのかもしれない。

 レーヴェがエデルルークの血筋のものであるという証拠は一つも持っていなかった。聖剣も、家紋の入った物もない。だがノアはそれ以上詰問したりはしなかった。

「スリーイリに行くにはまだかなりかかりますが、あなたは先に行きますか」
「お前を置いてか? 一人じゃまた道に迷っちまうだろうからな。お前の歩くのに付き合うぜ」
「湖の近くに建物があります。今日はそこで夜を明かしてから、戻ります」

 狼も出る、とノアは呟いた。
 レーヴェにとって狼なんて蠅みたいなものである。野宿でも構わなかったし、ノアをおぶって夜通し歩く体力もあった。

 だが、建物があるというならそこに行く方が「都合が良い」。
 立ち上がるノアに手を差し出した。
 ノアはレーヴェの手を見つめてから、身を引く。

「大丈夫です。一人で歩けます」

 平板な口調である。さっきから観察していたが、ノアには感情の動きというものがほとんどない。表情がなく、真顔をそのまま凍らせたみたいである。どんな話題も声色に変化がなかった。
 無愛想の一言で片づけることもできるが、むっとしているならそれはそれで表情の一つだろう。そうではなくて、ノアは何の感情も顔に表していない。

 ノアはレーヴェの前に立ち、レーヴェの顔を見上げる。

「あなたのおかげで、助かりました。命の恩人です。ありがとうございます」

 レーヴェは、ゆっくりと、目を見開いた。
 一瞬、息をするのも忘れた。

 ――助かりました。

 それはありきたりで当たり前な、ごく普通の感謝の言葉に過ぎなかった。
 だが何故か、異様な響きをもって心を打ったのだ。殴られるよりも強い何らかの衝撃が、思考することすら許さなかった。

「……行くか」

 レーヴェは声をかけ、ノアと共に歩き出す。

 小さな背中を見つめるレーヴェの瞳が、次第に獰猛な色を帯びてくる。

 ――これは、俺の。

 静かな山の中に、二人の微かな足音だけが聞こえていた。
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