上 下
43 / 115
第一部 聖剣とろくでなし

43、焚き火

しおりを挟む

 * * *

 目を覚ますと、汚い天井が視界に入った。
 なんとなく見覚えがあると思ったら、ミルドの寝床だ。

「目が覚めたか」

 声をかけられて視線を転じると、いるはずのない人間が粗末な木の椅子に腰かけている。
 イーデンだった。

「うちで療養してもらうのが一番だが、君は嫌がるだろうと思って、ここに運んだ」

 イーデンは有名貴族の子息らしく、いつも綺麗な身なりをしている。だからこんな、あばら屋より少しましといった有様の住居の中にいるのが全く似合わなかった。

「生きていられるはずがない怪我だったそうだぞ。奇跡だと。医者の見解によると、聖剣の加護があったかららしい」

 傷は丁寧に縫合されていたが、痛みはまだかなり残っていた。あれから三日ほど意識を失っていたようだ。
 聖剣の加護というのは何となく感じている。突き刺されて内臓も傷ついているらしく、出血もおびただしかったのだからまず間違いなく死ぬだろう、普通は。
 レーヴェは口を開かず、無言で天井を眺め続けていた。

 あれほど自分の中を占拠していた黒いものはどこかに消えてしまったらしく、どことなく空虚だ。怒りとか悔しさとか、感情が何も湧いてこない。

「君を狙った輩についてだが、死体を目撃した者はいるが、死体は消えているそうだ。王宮でもこの件は深刻に捉えられ、調査が進められている。もちろん、うちでも調べているよ」

 日にちの感覚がない。数えればわかりそうなものだが、そういう気力もなかった。
 今は何時くらいだろう。イーデンは授業があるのではないだろうか。
 そもそも復学しているのかも知らない。イーデンはボコボコにされて、療養を余儀なくされていたのだ。犯人は自分である。

「お前、怪我はもういいのか」

 レーヴェが尋ねると、イーデンは不思議そうにまばたきをした。

「ああ。動くのにもう問題はないよ。学校には戻ってるんだ。君は当分無理そうだな」

 イーデンは苦笑する。

「悪かったな。やりすぎた」

 言って、短い沈黙の時が流れる。レーヴェはイーデンと目を合わせず、煤けた天井を見たままだ。

「……そう言ってほしいんだろ。お前は俺が、実はいい奴だって思いたいんだからな。もう行けよ。俺に関わるな」

 助けてくれてありがとう、なんて台詞は、今締め上げられたところで口から出そうになかった。本音を言えば迷惑だ。誰にも借りを作りたくなかったからだ。ましてや、エデルルークの人間になんて。
 イーデンは少しだけ、悲しそうに眉を下げた。
 机に置かれていた筆記具を手にとり、紙に何かを書き付ける。

「医者の連絡先だ。治療費はここに置いておく。当面の生活費も。きっと君はドブに捨てるか、野良犬の口の中にでも突っ込むだろうが、好きにしろ。これは私の自己満足だ」

 そう言ってイーデンは帰っていった。
 やはりイーデンは、レーヴェのことを少しも理解していないらしい。レーヴェは犬が好きなのだ。金など食わせるわけがない。

 一人になり、だからといって何を考えるでもなく、しばらくじっと横たわっていた。ふと思い出して視線をさまよわせると、壁に剣が立てかけられている。没収はされなかったようだった。
 どことなく空腹を覚えるが、食べるものがあったかどうか。

 身動きすると、体中が千切れそうなくらいの痛みがあり、脂汗が吹き出した。少し移動するのに、信じられないくらい時間がかかる。
 長時間かけてやっと手が探り当てたのは、葉巻だった。幸いまだ何本もある。

 のんきな腹はせっかちにも空腹を訴えているが、この状態でまともな食事をするのは、さすがに体に響く気がした。
 額に汗を滲ませながら、横になったまま葉巻をふかす。灰が、ぼそりぼそりと寝床に落ちた。

 たくさんのものが体から失われたようで、力が入らなかった。それはたとえば、歯が全部抜けたとか骨が全部抜かれたとか、そういった喪失感だった。

 目をつぶると、ミルドの顔が浮かんでくる。二人で焚き火を挟んで、無言で過ごした夜。ミルドの照らされた顔。まるで、倒木のような彼の顔が。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした

和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。 そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。 * 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵 * 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

大好きな旦那様が愛人を連れて帰還したので離縁を願い出ました

昼から山猫
恋愛
戦地に赴いていた侯爵令息の夫・ロウエルが、討伐成功の凱旋と共に“恩人の娘”を実質的な愛人として連れて帰ってきた。彼女の手当てが大事だからと、わたしの存在など空気同然。だが、見て見ぬふりをするのももう終わり。愛していたからこそ尽くしたけれど、報われないのなら仕方ない。では早速、離縁手続きをお願いしましょうか。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、新たな恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...