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第一部 聖剣とろくでなし
42、反抗心だけが
しおりを挟む上階の手すりの向こうに、澄ました顔をした女が現れる。
女は――アリエラは、この有様を見てもさほど感情を揺らした様子ではなかった。汚い野良犬が庭にまぎれこんで吠えているのを見ているような不快感は、顔に滲ませていたが。
「お前だろ?」
「突然なんです? お前は何をしているのですか」
「殺そうとしただろう、俺を。昨日俺を襲ったのはお前の手の者だな」
髪を結い上げたアリエラは、慌てるでもなく、ただ目を細めただけだった。
「昨日というと、あの魔術師が街で暴れたとかいう騒動のこと? お前はあれに関係していたの」
「とぼけるな! お前だ、お前しかいない! お前が雇って、俺を殺させようとしたんだろうが!」
「言いがかりはやめなさい。証拠はどこにあるの」
「お前以外に、誰がこんなことをするっていうんだよ!」
声を張り上げ、レーヴェは下に向けて剣を振った。
床が裂かれ、木片が飛び散る。
レーヴェのこの気迫を見ても、聖剣の威力を見ても、燃える室内を見ても、アリエラは少しも怯まない。
「俺はお前に何度も殺されかけてる。毒を盛られた」
「ミルドではないかしら。ミルドは毒に詳しかったから」
確かに、ミルドに毒は飲まされていた。
あの、時折飲まされる不味い薬は毒だったのだ。後で調べてわかったことだ。だがレーヴェはそれを問い詰めはしなかった。
おかしかったのだ。ミルドなら、さっさと毒殺できたはずだ。殺す気がないならそもそも飲ませなければいい。意図がつかめない。
要するに、ミルドは少しずつレーヴェの体を毒に慣らさせていたのだ。ひっそりと。
今後もどこかで毒を飲まされる可能性を考慮して。
アリエラから、毒殺するよう指示が出されていたと考えるのが自然である。その度に、ミルドは言い訳をして実行しなかったのかもしれない。
――ミルド。
「ミルドは俺をかばって死んだ」
「それは残念ね。お前は自分の師を見殺しにしたの」
「お前が殺せと命じたんだろう、アリエラ。認めろ。そしてこの場で死ね」
アリエラは温度のない眼差しをレーヴェにそそいでいたが、やがて笑い声を立て始めた。
「何がおかしい!」
「……お前、自分を恨んでいるのがこの私だけだと思っているの? 幸せな子ですこと! エデルルークの一族は、何人いると? このうちの者だけがエデルルークではないのよ。お前に死んでもらいたいと思っているものが、お前を憎んでいる者が私だけのはずがないでしょう!」
「こんなことで人を殺そうとするなんて、お前しか……」
言いかけたレーヴェの言葉を、アリエラが大声で遮る。
「こんなこと! こんなことですって! 生まれただけでエデルルークの名を汚し、かつ泥を塗り続け、それを大したことではないと思っているのね。お前は大罪人ですよ。生かしておけば、この上何をしでかすことか。そう思っている者は何人もいます。私がお前を殺そうとした証拠を出してみなさい。よく考えてみることね、本当に、お前を狙ったのは私だけですか!」
言い返そうとするのだが、腹に力が入らない。今になって、少しずつ体の痛みが主張を始める。
アリエラは凶器のように鋭い指先をレーヴェへと向けた。
「カーレンライト公爵家のご子息を傷つけたそうね。そちらからの仕返しだとは思わなかったの? 散々恨みを買っておいて忘れているだなんて、笑わせてくれるわね!」
自分のやってきたことを振り返る。
好かれるような行いはしていない。確かに、恨みを買ってきた。気づかないうちに憎まれもしているだろう。
アリエラのように、自分を憎んで、消そうとしている者がいるのだろうか? どれくらいだ?
「いいや、違う。お前だ、人殺しめ」
「ミルドが死んだことかしら? それはお前が招いた災いでしょう」
「ふざけんなよ……」
自分でつけた炎の熱風を肌で感じる。消火活動が続けられているが、火はあちこちに燃え移っていた。
「ふざけんな!」
レーヴェが術を放ち、トリヴィスと他の者が防護魔法で押さえこむ。アリエラの前にも防壁が張られた。
レーヴェは剣を振り、手当たり次第に物を破壊する。
――全部、俺のせいだっていうのか?
――俺が選択を誤ったから?
「アリエラ、お前を殺してやる!」
駆け出そうとしたところで、体に何かが巻き付いて動きが封じられた。
振り向くと、ローブを着た魔術師が捕縛の鎖をつかんでいる。
レーヴェはそれを剣で断ち切った。
血が沸騰している。
あの女の喉元に食らいつかなければ気が済まない。あいつだ、あの女だ、あの女がやったに決まっている。
魔術師を倒そうと魔法弾を飛ばすが、同じ術で返されて、威力が劣るレーヴェのものはかき消され、レーヴェの方が吹き飛ばされた。
また鎖が巻きついてレーヴェはもがく。死にもの狂いで暴れるレーヴェを、冷ややかにアリエラが見下ろしている。
「レーヴェルト!」
いつの間に現れたのか、イーデンがレーヴェに駆け寄ってきていた。
一瞬気絶していたらしい。イーデンが助け起こす。
「酷い怪我だ。もう動くな、レーヴェルト」
「うるせぇ、触るな」
「誰か! 医者を!」
立ち上がって動こうとすると、鎖で引っ張られて引きずられた。
「やめないか!」
イーデンが魔術師に向けて怒鳴る。そしてまた触れてこようとするイーデンの手を、レーヴェは振り払おうとした。
「触るな、誰も俺に触るんじゃねぇ!」
「死んでしまうぞ、レーヴェルト!」
「みんなくたばっちまえ!」
イーデンに押さえつけられ、鎖に引っ張られながらレーヴェは絶叫した。喉の奥から世界に向けて、怨嗟を迸らせる。
(そうだ、俺が悪いんだ。ミルドもミアも、俺のせいで死んだ。俺が殺したようなものだ)
選ぶ道は他にもあったのだろう。
望まれた通りに進むべきで、そうすれば何の悲劇も起こらなかったのかもしれない。
だが、どうしてそれが正しいんだ? 誰が決めた?
――俺の自由はどこにあるんだ。
望まれもせず生まれてきて、その罪をあがなうように言うことを聞けと? 一生、地面に頭を押さえつけられて、這いつくばりながら生きていけというのか。
俺は嫌だ。真っ平御免だ。
欲しいものなんて何もない。大切なものもない。
ただこの、反抗心だけが、自分を自分たらしめる。
消えてしまえばいい。みんないなくなってしまえばいい。
生まれてきて迷惑だと誰もが蔑むが、こっちだって頼んでないと、何度言ったらわかるのだ。
俺の人生は俺のものだ。誰の思う通りにも生きてやるものか。
好きに生きて好きに死ぬ。
だから俺を、放っておいてくれ。
「レーヴェルト!」
わけのわからぬことを叫びながら、レーヴェの意識は、暗い闇の中へと沈んでいった。
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