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第一部 聖剣とろくでなし
40、虚無
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近所の顔見知りの者に頼んで、ミルドを墓地へと運んでもらった。生前、「自分はどこかで野垂れ死ぬだろうし、葬式なんていうものは自分の人生に相応しくない」と語っていたから、埋めてやるだけでいいだろう。
ミルドは暗殺を生業としていた。自分の死もあまり重く捉えていないようだった。
レーヴェは動くどころではなかった。
ミルドがいなくなったのと入れ替わりに寝床に倒れこんだ。体中の痛みは引かず、寒いのだか暑いのだかわからない。手当てをする力もなく、ミルドが調合した薬を辺りにぶちまけながら口に入れた。
致命傷だ。普通であれば死んでいる。
聖剣の加護が、とは言うが、中途半端な加護である。毒にやられた時もそうだが、ぎりぎり命を繋ぎ止めるくらいの効力しかない。加護というならしっかり守ってもらいたかった。
半日そうしてしのいでいて、夜を迎えた。
だがいつまでも転がっているわけにもいかない理由があった。
ミルドが痛み止めにと吸っていた葉巻に火をつけて幾度か吸い、痛みはましになったと自分に言い聞かせる。
ずたぼろになった服を着替えるのももどかしく、外套をひっかけて外に出た。
気力だけでどうにか歩く。
街のざわめきは相変わらずだった。眉をひそめて噂話をする人々の言葉を拾って判断するに、死人もいくらか出たらしい。犯人は魔術師だろうと誰もが言うが、それは誰で、何が目的なのかとなるとさっぱりなようだ。
ミルドが殺した敵二人の死体はどうなったのだろう。回収されたのだろうか。
外套を着ているおかげで、傷だらけで歩くレーヴェは前の時より注目されなくなっていた。道の隅の方を、足を引きずりながら歩く。
「レーヴェ……レーヴェじゃないの!」
女に声をかけられて振り向いた。血相を変えたマリアンネが人混みをぬって、こちらへと駆けてくる。
腕を触ろうとして、マリアンネは眉をひそめた。
「怪我してるの?」
「大したことじゃない」
誰がどう見たって満身創痍なのだろう。今は心配されている暇はないし、話をしている余裕もない。歩き出そうとしたところで、またマリアンネが呼び止める。
「大変なのよ、レーヴェ」
「悪いが俺は……」
「ミアが殺されたの!」
周囲の音が絞られていく。音だけでなく、何もかもが遠ざかっていくようだった。痛みという感覚すらも、一気に鈍くなる。
「昨日……刃物で刺されて殺されたんですって。あの子妊娠してたんだわ。その、まだ生まれていない赤ん坊も、串刺しに」
レーヴェは目を閉じた。そうすることで現実を遮断したかった。
時化た海の水面のように思考は荒れて、まとまらない。呼吸は相変わらず浅く、心臓がどくどくと脈打っているのが感じられる。
(……間に合わなかった)
マリアンネは、黙っているレーヴェを見つめていた。
「あんたの子供なんでしょう?」
――あんたの子供。
その言葉が、心臓に突き刺さった。
筆舌に尽くしがたい痛みだった。
昨晩敵に切りつけられた時の何倍、何十倍も痛い。あまりにも強烈な痛みは突き抜けて、無感覚になった。永遠に塞がらない傷となって。
同時に頭の中が凪いで静かになる。
何もなくなった。そこにあるのは虚無だけだ。
「レーヴェ」
呼びかけられたレーヴェは胸の辺りを探って小さな袋を出し、マリアンネに押しつける。
「教会に寄付して、あいつをまともに葬ってやれ」
「これは?」
「ミアに渡す予定だった金だ」
手切れというと微妙に違うが、似たようなものだ。葬儀に参列したことはあまりないが、金があればそれなりの待遇になるのだろう。おそらく。
生まれなかった赤ん坊は一人として勘定されるのだろうか。もっと金が要るのかもしれないが、あいにくこのくらいしか用立てできない。
「あの子に会ってあげないの?」
「用事がある」
聞きたいことが山のようにあるであろうマリアンネは、しかし口をつぐんでレーヴェを見送った。察しの良い女なのだ。
レーヴェは先ほどまでの蹌踉とした足取りとは打ってかわり、しっかりと地面を踏みしめて歩いた。痛みはあるのだが、他人事みたいにしか感じない。
誰かに肩がぶつかって罵られたが、耳に入らなかった。周りの景色が色褪せている。
感情がそぎ落とされた顔で、レーヴェは聖剣の柄を握りながらある場所を目指して黙々と歩みを進めた。
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