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第一部 聖剣とろくでなし
39、不器用な師弟
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どこかで気絶していたらしい。
目を覚ますと、夜は明けて昼になっていた。街中は大層な騒ぎになっているようだ。大体は鎮火したらしいが、見上げると空にまだ細い煙が昇っている。
レーヴェはあばら屋とあばら屋の間にある茂みに身を隠していた。敵がまだうろついている可能性があるというのもあったが、そもそも動ける状態ではなかった。
痛い。猛烈に痛い。
少しでも態勢を変えると、体があちこちで裂けそうだった。
出血もおびただしかったせいか、震えが止まらない。ここよりましな場所へ移動したくても体が動かなかった。
血に塗れた服が肌にくっついたまま乾いて、動くとそれが剥がれてまた痛い。
レーヴェは木にもたれたまま、剣の束を握っていた。これくらいしかすがるものがない。自分が持っているものはこれしかないのだ。
幾度も気を失って、そうして、また夜を迎えた。
* * *
どうにか歩けるようになったというより、あのままあそこで眠っていたら死んでしまいそうだと判断して、歩き始めた。
背中を丸めて、目指すのはミルドの住まいだ。思いつく場所がそこしかなかった。
剣を杖の用にして歩き、周囲から奇異の目で見られながら、蝸牛のようなのろさで移動する。また襲われるかもしれないが、そうなったらもうどうしようもないと半ば諦めていた。
恐ろしいほど時間をかけて、レーヴェはミルドの家にたどり着いた。
中には明かりが灯っている。
粗末な油に芯が刺され、そこに灯された火が頼りなく室内を照らしている。
包帯だらけのミルドが横になっていた。しぶとくも、かろうじてまだ息があるようだ。誰かがここまで運んだのだろう。とても動ける負傷の程度ではなかった。
「何で俺を助けるんだよ」
ミルドは潰れていない方の目をうっすら開けた。
「お前は聖剣の加護があるだろうから、回復も早いはずだ。しばらくはおとなしく寝ていることだな」
「敵は」
「しとめた」
数は二人だけだったようだ。
レーヴェであれば、一人を倒すのすら無理だっただろう。やはりミルドは強いのだ。
さすがにつわものである。真の力量をレーヴェに悟られずに今までやってきていたらしい。
「言っておくが、私はこの怪我がなくともそのうち死ぬはずだった。だからさほど気に病む必要はない。不治の病だ。肺が悪くてな。もってあと二週間ほどだろう。少し早まっただけだ」
いつも以上に小さな声だったが、彼の声を聞き慣れたレーヴェには聞き取るのが難しくなかった。とても死にかけているとは思えない、はっきりとした発音だったというのもある。
レーヴェは室内を見回した。自分が出て行った時と何も変わらない。余計なものはなく、使い込まれた調度品もそのままだ。染みだらけの傾いだ机。欠けた擂り鉢。当て布をした合切袋。
ところどころがはがれた壁。煤けた天井。
質素で、飾り気のない生活。だが少し、懐かしく感じた。確かにレーヴェはここで過ごしたのだ。
「息子がいるんじゃなかったのか」
「とうに死んだよ。お前と会った頃にはもういない。生きていれば、お前と同じ歳だった」
レーヴェはきつくまぶたをつぶった。
いろんな痛みをやり過ごすために、しばらく口をつぐんでいなければならなかった。
この男は、とっくにこの世を去った息子を助けてもらった恩義に報いるために、あの女の言いなりになって動いていたというのか。
「俺は……屑だ」
「そうだな」
「屑をかばってあんたは死ぬのか」
「何度も言わせないでもらえると助かるが、何もせずとも死んでいた。私は殺しすぎたのだ、レーヴェルト。最後に一人くらい救いたい。年寄りの自己満足だな。弟子に手を貸すのはおかしなことではないだろう」
ゆっくりと吐き出すレーヴェの息は震えている。
「あんたは、アリエラに俺を殺せと命令されていたはずだ。違うか」
あれだけ殺したがっていたのだ。トリヴィスも関与していたのでどう話がつけられていたのかは知らないが、ミルドが預かったところでレーヴェの素行の悪さは変わらない。処分しろと言いつけられていたと考えるのが自然だ。
ミルドはそれについて答えなかった。
もしかすると、あれこれ理由をつけて従わないでいたのかもしれない。
「お前はどうしようもないろくでなしだ。言うことも聞かず、災いを自ら引き寄せる。恨みを買うことに腐心する」
「そんな俺に、どうして最後まで関わったんだよ」
「どれだけ性根が曲がっていようが、弟子は弟子だからな。もう私に家族は残っていない。そばにいたのはお前しかいなかった。最後に自分の命をどう使おうが、それは私の自由だ」
もう立っていられず、膝をついて座りこむ。
レーヴェは、これまでのミルドとの生活を思い出していた。
愉快なことなんて全くなかった。
ミルドは口数が少なくて、雑談など滅多にしない。たまに喋ったとしても、ありがちな訓戒程度だ。それも心に響くほどではなく、年長者として言うべきことを言っておくという雰囲気でしかなかった。
戦いと身を守ることばかり教わった。後はただ、彼は無言だった。
レーヴェとミルドの間には多くの沈黙の時間があった。それが当たり前だった。
ミルドの存在を煩わしいと思わなかったという事実に、レーヴェは今初めて気がついた。
考えてみれば、何も押しつけなかったのはミルドだけだった。
過大評価も過小評価もしない。レーヴェがろくでなしだと知っている。期待すらしなかった。
ただありのままのレーヴェルト・エデルルークを認めて、呆れながらも見捨てずに必要な技術を教えてきた。
そんな人間は、レーヴェの人生において、ミルド一人きりだったのだ。
「お前は、大馬鹿者だ」
「ああ」
心のどこかがひきつって、痙攣している。その痙攣はレーヴェに何事かを喋らせようとしたが、レーヴェは唇を噛んで抵抗した。
ミルドに言うべき言葉があったのかもしれない。
だが、言わずともわかるだろう。
自分もミルドも笑えるくらい不器用で、口も上手くなく、黙ったまま意志を疎通させることが多かった。
レーヴェは座ったまま、ミルドのそばで痛みに耐えていた。
何度か意識を失って、気がつけばミルドはもう死んでいた。
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