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第一部 聖剣とろくでなし
36、父親と同じ
しおりを挟む夜の町を歩きながら、今夜は帰らないでおこうか、と考える。二日ほど戻らないことも多かった。同室の人間もおらず、いつも訓練をサボるからレーヴェがいなくたって気づく人間は少ないのである。
そうしてうろついていると、誰かに腕を引っ張られた。
振り向いたレーヴェはいささかぎょっとする。
分厚い外套を頭からすっぽりかぶっているが、それはミアだったのだ。
「話があるの。ちょっと来て」
「そんな時間はない」
「嘘よ。あなたはいつも暇そうだわ」
レーヴェは大きく息を吸いこみ、嘆息する。とてもミアと話をするような気分ではなかったのだが、見つかってしまっては仕方なかった。マリアンネの言う通り、ミアが諦めるようきっぱり言い含めるしかない。
連れて行かれたのは、ミアが住み込みで働く娼館の一室だった。
「何度も言うようだが、俺はお前とどうなる気もない」
「そうね、何度も聞いた。あなたはあたしの気持ちを、気のせいだって言ってろくに聞こうとしないものね。諦めるわ」
これは意外な展開だった。それを告げるためにわざわざさがしていたのだとしたら、律儀な女である。
だが次の瞬間、そうではなかったことをレーヴェは知った。
ミアが外套を脱ぐ。その腹部は大きく膨れていた。
病気、というマリアンネの言葉を思い出したが、すぐに打ち消した。あれは病などではない。
「子供ができたの。あなたとの子よ」
嬉しそうに言って、ミアは腹を撫でた。
そういうことか。これでは客がとれないはずだ。ミアは病にふせっていたのではない。妊娠していたから仕事を休んでいたのである。
「俺の子供だとどうしてわかる。別に、相手をしていたのは俺だけじゃないだろうが」
「女はそういうことはわかるものよ。自分の体だもの。信じられないなら見ていなさい。きっとあなたと同じ、砂色の髪の子供が産まれてくるわ」
聞き捨てならない台詞だった。急な展開についていけず、レーヴェは軽い目眩を覚えたが、頭を振ってミアに詰め寄った。
「産む気じゃないだろうな」
「産むわよ。決めたの」
「やめろ、冗談じゃねぇ」
堕胎の方法なんて詳しくはないが、何かあるはずである。ただ、これほど腹が大きくなって、できるのかどうか。
何故今まで言わなかったのかと問いつめれば、会いに来てくれなかったからだ、と返される。それもそうなのだが、まさかこんなことになっているとは思わない。
「俺にどうしろって言うんだよ。面倒見切れないぜ」
「ちょっとお金を都合してほしいだけなの。そうしたら、あなたにもう関わらない。あたし、あなたの子供が産みたくなっちゃったのよ。それだけよ」
初めて会った頃はめそめそと泣いてばかりいたのに、随分気が強くなったものである。それにしても、レーヴェにはミアの気持ちがさっぱり理解できなかった。
「子供を産んだら、この街を出ていくわ。それで、港町に行くの。あなたは私に少しだけお金をくれて、そして生まれた子供を一目見てくれるだけでいい。それだけで私、満足なのよ。許してちょうだい」
許さなくたってこの女は産むだろう。迷いのない目をしている。
出て行くというが、港町に行ってどうするというのだ。世間知らずで考えが甘い。子供は置いていくのか、連れて行くのか。乳飲み子なんて抱えていたらどれほど暮らしが大変か、知らないのだろうか。それとも知った上での覚悟か。
レーヴェは狭い部屋の中で、寝台に腰かけてそっぽを向いていた。ミアは立ったまま、窓の外を眺めている。
どうしたものか、とレーヴェは髪をかきあげた。
この世に自分の子供が生まれるだなんて、考えただけでぞっとする。明確な理由はないが、なんとなく不快だった。
自分が関わる関わらないという問題じゃない。何か嫌だ。どうにか処理する方法はないだろうか。
俺の子供。そんなもの――望まれるはずが――。
――待てよ。
頭の中に、ある考えが閃いた。
――そうだ。誰にも望まれない。「迷惑がられる」。得に、「エデルルークの連中」には。
由緒正しい騎士の家系、エデルルークは血筋を重んじている。どこの馬の骨だかわからない血など、混ざってほしくはないのだ。だからこそレーヴェも疎まれた。
今のところ、聖剣の使い手として選ばれているのはレーヴェだ。もしミアの子供が男児であれば、レーヴェが何らかの理由で使い手の資格を失った場合、その子供が聖剣に選ばれる可能性が出てくる。
エデルルークはどれほど嫌がるだろうか。
そう思うと、気持ちは反転して急激に愉快になってきた。思わず笑い出しそうにすらなった。
別に吹聴するつもりはない。また得体の知れない一族の末裔が一人増えたことを、レーヴェだけが知っている。それは酷く面白く思えたのだ。
十分な仕返しになるだろう。
また娼婦だ。レーヴェは娼婦から生まれ、娼婦との子を成す。知られなくても結構だが、知れば奴らは悔しがるはずだ。
醜聞が増える。ざまあみろ。
「いいぜ。産めよ」
「本当?」
ミアは嬉しそうに顔を綻ばせた。訴えてはみたものの、レーヴェが産めと言うだなんて想像もしなかったようだ。
「ねえ、あなたの子供がここにいるのよ」
ミアがレーヴェの手をつかんで、腹に当てる。ミアの体温が伝わるばかりで、別に何も感じなかった。膨れた腹の中に人間が入っているのかと思うと、不気味だった。
自分もこうやって生まれたのだろうが、信じられない。土から生えてきたと言われた方が納得できる。いくら記憶をさかのぼっても、親の温もりというものがないのだ。
頭を撫でられたとか、抱きしめられたとか、慈しまれた感触が一つも思い出せない。やさぐれたのはそのせいでもないと思うし、温かみに飢えたこともないのだが。
「俺は関わらないぞ。いいんだな」
「いいの。でも、一度だけ顔を見てあげて」
顔を見たらなんだというのか、やはりミアの発言は不可解だった。情が湧くとでもいうのか? 誓ってもいいが、そんなものは湧きはしない。
「それでね、もう一つだけお願いがあるんだけど」
「うるさい奴だな。お願いが多くないか」
「生まれたら、この子に名前をつけてくれない?」
「……」
レーヴェはミアの腹に触れていた手を引っこめた。
――レーヴェルト。
それは唯一、父親から貰ったもの。レーヴェの名前だった。
名前だけをつけて、父親は娼婦を捨てた。娼婦はレーヴェを捨てた。
どういったつもりで父親の男は、レーヴェに名前をつけたのだろう。それはおそらく、永久にわからない。
自分は父親と同じことをやろうとしているのだ。
(だったら、何だ)
胸くそが悪くなって、レーヴェは舌打ちをした。
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