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第一部 聖剣とろくでなし
10、卑しい子供
しおりを挟む女の声が聞こえて、レーヴェはイーデンの手から足をどけた。
アリエラが鬼の形相で駆け寄ってきて、ぼろぼろになっているイーデンのそばにひざまずく。
「イーデン、ああ、イーデン……! どうしたっていうの! 何故こんな……」
過保護な継母は息子の顔をべたべたと触り、白いハンカチーフで切れた口元を押さえてやる。そして息子をこんな目に遭わせた人間をすくうように見上げた。
レーヴェはいつもの冷ややかな笑みで応酬する。視線がぶつかり、二人の間には火花が散りそうだった。
「お前、よくも……」
「お待ち下さい、母上。私が誘ったのです。二人で剣術の稽古をしないかと」
イーデンが弱々しく言うが、アリエラが聞く耳を持つはずがなかった。
「稽古! 稽古ですって? これのどこが稽古なんですか。お前、この子のことを殺そうとしたわね?」
「殺されるかどうかはそいつ次第じゃない? 俺の攻撃が防げるほどの力量があれば殺されないだろ」
イーデンは激高する母親をどうにかなだめようとするが、脂汗を流しながら腕を押さえている。どうも折れているらしい。
アリエラも異変に気づいたようだ。
「まさか、イーデン。骨折しているんじゃ……」
レーヴェは鼻で笑う。
「骨なんて折れたって、すぐくっつくって。一回折れた方がかえって丈夫になるって話も聞くし。よかったな、イーデン」
「おだまりなさい!」
憤怒に駆られたアリエラは、息を乱しながら立ち上がった。
「イーデンはいずれエデルルーク家を背負って立つ人間なのですよ! もしものことがあったらどうしてくれるの!」
「うるさいババアだな。必死になってそいつの母親面するの、気持ち悪ぃんだよ。お前が産んだわけでもないくせに」
「……なんですって?」
「そうやって周りに良き母であることを主張して、自分の地位を守ろうとしてるのが見苦しいって言ってんだよ」
アリエラの瞳から光がなくなる。憎悪で表面が塗り潰されていく。そしてそこに最も強くあらわれたのは、殺意だった。
明確な、純然たる殺意。普通のまともな人間であれば、これほどの威圧感はそう出ない。身の内で研ぎ続け、幾度となく閃かせたであろう猛悪な意思である。
この女の生き様を垣間見た気がした。
(本性見せやがったな)
「お前なんて……」
目を吊り上げ、アリエラはレーヴェを指さした。
「お前なんて生まれてくるべきではなかったのよ!」
「やめて下さい、母上!」
そこそこ美人な女ではあったが、憤激したその顔は元の形をとどめないくらい歪んでおり、悪鬼にとりつかれてでもいるかのようだ。
力がこもってわなわな震える指先が、糾弾するようにレーヴェに真っ直ぐ向けられている。今すぐその指で、心臓を刺し貫いてやりたいと言いたげだ。
「卑しい女の腹から生まれた卑しい子供……。お前の存在なんて、誰も望んでいなかったんだわ! どうしてお前が聖剣の使い手なの? お前が全てを台無しにした! この悪魔!」
レーヴェも声を張り上げる。
「俺が産んで下さいって頼んだか? 娼婦を孕ませた男に文句を言え! 言っておくが、俺は何一つ選ばせてもらってないんだからな。いい迷惑なのはこっちだ!」
「聖剣の使い手にはならないと、国王陛下に申し出なさい。そして聖剣を手放しなさい」
「断る。あれは俺を選んだ。『俺のもの』だ」
俺のもの、という部分をレーヴェは強調した。
今の今まであんな剣になど興味はなかったが、手放せと言われた途端に惜しくなる。妙なほどに、剣に対する執着が生まれて、「俺は使い手なんだ、選ばれたんだ」という意識が芽生えた。
アリエラは目を見開き、震える口から呪詛を吐いた。
「お前は死ぬべきよ」
それがこの女の、エデルルークの望みなのだ。
レーヴェルトはいらない子供だ。いらないどころではない。いたら困るのだろう。
だったら、もっと困らせてやろう。こいつらが一番嫌がることをしてやろう。
「死ぬもんか。死ねと言われても絶対に死なない」
生きること。それがアリエラに対する一番の嫌がらせとなるだろう。
アリエラは瞬きもせず目を見開いたまま、何かに憑かれたようにつかつかと歩み寄ってきた。そして手を振り上げてひっぱたこうとする。
レーヴェは易々とその手をつかんで防ぎ、思い切り突き飛ばした。
どれほど気性が荒くても、所詮は女である。簡単に尻餅をついた。レーヴェは近づいて、アリエラの頬を張る。
呆然とするアリエラの胸に光る宝石の首飾りが目に入る。青紫に妖しく輝く、見事な大粒の灰簾石。
レーヴェはそれを引きちぎった。
そしてそのまま、アリエラにもイーデンにも目もくれず立ち去って、自分の部屋へと戻っていった。
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