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第一部 聖剣とろくでなし

8、決闘

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 * * *

 貴族ってやつはどうしてこう、鼻につくんだとレーヴェは嫌気がさしていた。
 礼節礼節としつこいが、思ってもいないおべっかなんかを言い合って、痒くなったりしないのだろうか。全く無意味だ。

 貴族の生活というのは生活臭を極力取り除こうと腐心しているようだし、馬鹿げている。
 孤児院で、重い病を患って死んだ子供を思い出した。指が曲がって動かなくなり、体が固まって、身動きもとれなくなっていた。

「お金があれば、医者に診せられるし、薬も買えるでしょうに」

 大人達がそう話していたのをよく覚えている。その「お金」とやらは、レーヴェが掏摸をやって盗んでくるようなはした金とは比べものにならないくらいの額を指しているのだそうだ。
 この屋敷に来てから、高価なものをたくさん見かけた。東国から取り寄せた花瓶、紫檀の机、表紙に宝石が篏入された魔術書、上等な毛皮、絹の服、銀の食器、貴重な美酒。

 アリエラ夫人の胸に光る宝石の首飾り。あれ一つで、死んだあの子供は助かったかもしれない。
 レーヴェはことさら命を落とした子供に思い入れがあったわけではない。弱ければ死ぬのが運命だ。葬式で皆が泣く中一人、気の毒だが仕方がないな、とけろっとしていた。

 レーヴェも運命というものに導かれて、このエデルルーク家にやって来た。まあ、貴族生活というやつを満喫してやらないでもないと思っていたが、どうにも虫酸が走ることが多くて、鬱憤がたまっていく。

(性に合わないな、俺は)

 高級な品を見ると、壊したくなってくる。そうでなければ盗んでどこかに売り払ってしまいたくなる。
 義憤ではない。断じて違う。
 単純に、恵まれた生活をしている奴らが気にくわなくて、苦しめてやりたくなるだけだ。何を嫌がるのかしっかりと調べて、効果的に嫌がらせを重ねていく。

 アリエラは殺意すらこもっているような視線を向けてくるので痛快だった。

(あんたは俺が大嫌いらしいが、俺もあんたが大嫌いだよ)

 特に、アリエラの胸で光る大粒の宝石を見た時。軽蔑の念が胸に宿る。何度引きちぎってやろうとしたかわからない。

(とにかくあのババアが気にくわないのは、あいつが俺と同類だからかもしれないな)

 上手く説明できないが、レーヴェはアリエラの中に自分と似たような気質を感じたのである。暴力的な発作の気配とでも言えばいいだろうか。
 部屋でおとなしく寝転がっていると、ノックの音が聞こえた。

 入ってきたのはイーデンだった。このクソ真面目な長男は、深刻そうな表情で扉の近くに立ち、起き上がろうともしないレーヴェを眺めている。
 イーデンがレーヴェの部屋にやって来るのは、初日以来二度目のことだった。余程きつく、母親から近づかないよう言いつけられているようだ。

 ということはつまり、その言いつけを破ってでも訪れなければならない深い事情があるのだろう。レーヴェには興味がなかったが。

「話がある。レーヴェルト」
「ふうん」
「君はエレナを……襲おうとしたらしいな」

 エレナというのは例のメイドである。歳は十九で、気立てが良い。屋敷の中で孤立するレーヴェを心配して、何かと声をかけてきた。
 優しくされるとむず痒くなる。だからエレナを遠ざけたかったのだが、お節介な女でどうしても世話を焼こうとした。

 そこまで世話を焼くならもっと慰めてくれるんだろうな、と部屋に引っ張りこみ、強引に口づけをして胸を揉んだら泣き出した。
 泣かれると興醒めするタイプなので逃がしてやり、エレナも自ら誰かに告げ口したのではなさそうだが様子がおかしく、白状させられたようだった。

「何故君はそんなことをした? エレナは優しい娘だ。君を気にかけてくれたじゃないか。どうして傷つけるようなことをしたんだ」
「俺は気にかけてほしいなんて一言も頼んじゃいない」
「理解に苦しむ」
「理解してくれなんて頼んでない」

 イーデンは眉をひそめる。顔のしかめ方は父にそっくりだった。

「エレナに謝罪しろ」
「いきなり押しかけてきて、なんだってんだよ……」

 舌打ちをしながらレーヴェは体を起こした。大体その件は昨日今日の話ではない。数ヶ月過ぎているではないか。
 トリヴィスには殴られ、食事は抜かれ、部屋から出るのを禁止された。エレナとはあれ以来会話はしていない。レーヴェにとっては済んだ話なのだ。それを今更蒸し返され、鬱陶しくて腹が立つ。

 そこでふと、イーデンがエレナと仲が良かったのを思い出した。エレナは若く可憐で優しく、イーデンはそんな彼女とよく親しげに立ち話をしていた。

「ははあ、そういうこと」

 レーヴェは歯を見せて笑う。

「つまり、お前はエレナに懸想してたんだな。ああ、悪かった悪かった」
「何を言っているんだ」
「さてはエレナはお前のお手つきだったか。そりゃあ、自分のものに手を出されたらむかつくわな。エレナも俺に触られて嫌がるはずだ、しっかりお相手がいたんだから」
「私とエレナはそんな関係ではない」
「いいって、隠すなよ。童貞卒業したんだろ? で? どうだった? 張り切って中に出したりしてないよな? あの女、胸を揉んだらどうやって喘ぐんだよ、教えろよ」

 歯を食いしばったイーデンが、拳で壁を殴った。

「黙れ」

 お望み通り黙ってやる。ただし、口元の笑いはそのままだ。

「君は私とエレナを侮辱したな。謝罪してもらおう」
「断る」

 イーデンは黙ってレーヴェを睨み続けている。そんな視線など屁でもないレーヴェは小馬鹿にしたようにイーデンの顔を眺めていた。

「……一緒に稽古場へ来てもらおうか。君と手合わせ願いたい」

 ほう、決闘の申し込みと来たか。
 レーヴェはますます笑みを深める。この上品なお坊ちゃんは常に言いつけを守り、大それたことなどしようとしない。おそらくいずれは騎士団長となる男で、幼い頃から模範的な人間であるように教育されてきたのだろう。

 レーヴェと勝手に戦ったりなどすれば咎められるに決まっている。それでも腹に据えかねて、こうして挑んできたのだろう。おそらくレーヴェが謝らないのも予想していたのだ。動きやすい服装であることがその後の展開を考えてのものであるのをあらわしている。

 恋愛感情があるかはさておき、イーデンは本当にエレナを大切に想っているのだろう。それに、レーヴェに対して複雑な感情も持っている。

「いいぜ。暇してたからな」

 レーヴェは寝台から降りた。
 部屋を出る前にイーデンがちらりと見たのは、壁に立てかけられている聖剣だ。レーヴェは時々あれを持ち上げて眺めたりはするが、思い入れもなく、大抵は放置されている。埃をかぶらないように手入れをしているのは、部屋に入って掃除をする使用人だ。

 二人は連れ立って稽古場へと向かった。一緒にいるところを誰かに――アリエラに見咎められないよう、イーデンは人通りの少ない通路を選んで歩く。

「そんなに母ちゃんが怖いってか?」
「母上の邪魔が入ると面倒だ。あの人は絶対に折れないからな。君と打ち合いなどさせてもらえないだろう」
「そういえばお前ってあのオバサンと全然似てないよな」

 父には似ている。顔の造りだとか、仕草などに血の繋がりを感じるのだ。しかしアリエラとはそういうものがない。肉体的な特徴もそうだし、精神的な面でもそうだ。
 融通がきなかいほどの真面目さは父親譲りだろう。他人にも自分にも厳しい。

 アリエラはどうかというと、あまりにも感情的すぎて、どす黒いものを腹に飼っているように見えるのだが、息子にはその欠片もない。女特有のヒステリーと言えばそれまでだが、アリエラの気性の荒さはやや特殊で病的である。
 アリエラとイーデンは人種が違うようにすら見えた。

「……実母は弟を産んですぐに亡くなった。あの人は育ての母だ」

 なんとなくそうではないかと思っていて尋ねてみたが、当たりだったらしい。

「あんなのが継母なんて、お前も苦労するな」
「…………」

 反論しないとは意外である。「母上を侮辱するな」とは言わないのか。
 レーヴェの見る限り、イーデンは特にアリエラに反抗心を持ってはいないし、継母だからといって礼を失したりはしていない。アリエラだって可愛がっている。
 問題があるとすれば、「可愛がりすぎている」というところだろうか。

 アリエラは息子に、特にイーデンに執着しているようだった。
 イーデンはそこに何か、口には出せない引っかかりを持っているのかもしれない。初日の忠告も「母上を怒らせるな」ではなく「怒らせない方がいい」だった。

 それからは無言で二人は廊下を歩いた。
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