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第一部 聖剣とろくでなし
6、深い理由なんてない
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勉強など冗談ではなかった。
レーヴェはこの邸に来て以降、ほとんど軟禁状態で生活していて、鬱憤がたまる一方だった。
読み書きは一応孤児院でちらりと教わり、仕事に必要だったものや計算などはできるものの、お貴族様に言わせれば「何も知らない」「何もできない」同然である。
教師をつけられ、その教師に字を書いて見せたら綴りの誤りを指摘しつつ「あなたは見た目と違って丁寧な字を書くんですね」と困惑した様子で言っていた。
働くのが好きかと言われればそうでもない。寝て暮らせるのならそうしたかったし、貴族なんてさぞ優雅に生活しているのだろうと想像していた。
現実はどうも違ったらしい。イーデンもガウリルも毎日勉強に稽古をさせられ、昼寝をする暇もなさそうだ。
働かなくてもいいなら貴族の生活も悪くないと思っていたが、これではまだ労働をしている方がよかった。
狭い部屋で椅子に座り、何の役にも立たなさそうなことを教えこまれるのは苦痛でしかない。中でも一番くだらないのは礼儀作法だ。食べる時の腕の角度なんか気にするなんて、馬鹿じゃないだろうか。言葉遣いが何だというのだ? もし誰かに気に入らないと難癖をつけられたら、殴って黙らせてやればいい。
レーヴェは早々にうんざりして、学習の時間になると部屋を抜け出すようになった。
そこで逃げこんだのは書庫だ。読み書きをきちんと習ったおかげで、書物の内容を理解できるようになってきた。
本というのは生活に無用だったので縁がなかったが、他にすることもないので手にとってみる。まあどれも面白くはなかったが、唯一役立ちそうだったのは魔法の術について書かれているものだ。
(魔法が使えたら、もっと喧嘩に強くなれそうだな)
身の回りに魔法が使える人間はいなかった。まれに町中で魔術師が使うのを見るくらいで、魔法そのものをよく知らない。
世の中には魔術師というものがいて、他には魔術剣士というのも魔法が使えるようだ。魔法が使える剣士、魔術剣士は国でも存在はごく少数だ。エデルルークは何人かいると聞いたから、もしかしたら自分も素質あはるかもしれない。
魔法を使うには古語を理解しなくてはならないらしく、とりあえず辞書とにらめっこをしながらどうにか必要そうな言葉を覚えていった。
魔法弾は簡単そうだ。窓の外に向かって放ってみたら、まあまあ上手くいった。
(でも、さすがにしょぼいな。初めてなんてこんなものか……)
一馬身ほどいったところで消えてしまう。もう少し威力を高め、コントロールできるようになれば十分威嚇に使えそうだった。
(魔法を使いこなすには、力を増幅させる魔石がいるからな。盗み出したいところだが、どこにあるかわかんねーし)
だが魔法弾といってもしょせんは石ころを飛ばすのと大差ない。つまらないな、と早々に飽きてしまう。
どうせやるならもっと派手な魔法がいい。
というわけで、教師から逃げ回り隠れながらレーヴェは古文書などを読みこんだ。面倒なことは好かないが、生きることに役立つものなら貪欲に吸収しようという意欲があった。
(舐められたら終わりだ。もっと力をつけないと)
そしてある日、中庭に出て成果を試すことにした。数本ある木に狙いを定める。精神を集中させて、睨みつける。
『裂けろ』
手にした剣の切っ先を向け、呪文を唱える。
すると、木の幹に光が走り、轟音が響いた。
――バキキッ……!!
幹が見えない手で素早く引き裂かれていくかのような光景だった。根本までは裂けず、途中から幹が音を立てて一部が倒れていく。
「なんだよ、音の割に大したことないじゃん」
もう少し派手な光景を期待していたので肩透かしだ。威力もいまいち。もっと、雷が落ちたみたいに真っ二つになるものだと思っていたのだが。
結構苦労したのにな、とため息をついていると、音を聞きつけた人々が駆けつけてくる。
「何事だ!」
トリヴィスだった。そこに立っているレーヴェを見つけると顔つきを険しくしたが、裂けた木を見て目を見開く。
「これは……お前の仕業か、レーヴェルト」
「まあな。弁償しようか? 苗木を植えるくらいならやってもいいぜ」
トリヴィスは木に近寄って、何かを確かめるように手で触れる。そしてレーヴェを振り返った。
「お前がやったのか?」
「何回同じ質問すんだよ、うるせーな」
「これは魔法だぞ」
「だから、俺が魔法で試したんだってば」
レーヴェの学習を担当している教師に視線が向けられ、教師は慌てて首を横に振った。
「わ、私は彼に魔法など教えておりません、トリヴィス様」
「では何故レーヴェルトが魔法を使えるのだ! 誰に教わった? 答えなさい」
「教わってねーよ。書庫にあった本で勝手に勉強した。あんたら、俺のこと不真面目だなんだってなじるけど、俺だって結構勉強熱心なんだぜ」
「魔石も使わずにこの魔法を?」
「誰も魔石貸してくれねーんだから、なしでやるしかないだろ。大変だったわ」
再び倒れた木に見入っていたトリヴィスはかぶりを振っている。
「……魔法を使うには古語を覚える必要がある。まともに使うには、長文を暗記して完全に覚え、発動の略文を唱えるのだ」
「本に書いてあったから知ってる」
レーヴェは発動の呪文『裂けろ』を口にした。術者に使う意思がなければ、口にしただけでは発動しない。
魔術師である教師は息をのみ、トリヴィスは歯を噛みしめている。
「信じられん……本当に独学でここまでの術を使えるようになったというのか。石もなしで」
「この家の奴らはみんな使えんじゃないの? これくらい」
トリヴィスは答えなかったが、沈黙から察するに、みんなは使えないようである。
それじゃ俺は、そこそこいい線いってるってことだな、とレーヴェは気を良くした。
「あんたは魔法使えんの?」
「ああ」
「息子は? イーデンはどうなんだ」
「石なしでは無理だ。まだ魔法弾も扱えん」
などという話をしているところで、そのイーデンが顔をのぞかせた。会話を耳にしたらしく、顔色が変わる。
魔法弾も扱えない。その事実を後ろめたく思っているのは確実だろう。
レーヴェはにやりと笑うと、おもむろにイーデンへてのひらを向けた。
レーヴェから魔法弾が放たれる。
「!」
すかさずトリヴィスも魔法弾を放ち、相殺させたのでイーデンには当たらずに済んだ。
トリヴィスがレーヴェの胸倉をつかむ。
「何を考えている!」
間近で怒鳴られようが、レーヴェは少しも怯まなかった。
「あいつは危機感が足りないんじゃないか? 石がなくたって、魔法弾くらいは出せるようになるだろ。俺がちょっかい出して身の危険を感じたら、とっさに使えるようになるかもしれないと思ってさ。親切心だよ」
しばらくトリヴィスは顔を歪めてレーヴェを睨みつけていたが、突き放した。
「今後妙な真似をしてみろ。お前は罰を受けることになる」
「おお、怖」
にやつきながらレーヴェは首を縮めた。
気色ばむトリヴィスは、怒鳴りたいのをどうにかこらえているらしい。使用人も多く集まっているし、取り乱すところを見られたくないのだろう。きつく握られた拳はこのならず者の顔に打ちこみたくて仕方ないのだろうが我慢している。
(殴ればいいじゃねーか。上品ぶっちゃってさ)
目を転じると、蒼白になり呆然としているイーデンの顔があった。不意打ちで誰かに狙われるのなど初めてなのかもしれない。
レーヴェはイーデンを殺すつもりなんてなかったが、魔法弾が当たれば軽い怪我くらいはしただろう。
イーデンの横を通り過ぎようとした時、彼に声をかけられた。
「私が君に何かしたか」
どこか父に似た、真面目そうな顔つきの少年は声を絞り出してレーヴェに問いかけた。あんまり深刻そうな顔をするので、レーヴェには滑稽にすら思えた。
「何故君は私に敵意を向けるんだ」
「敵意? 俺は敵意なんて持ってないけど? 俺達、いがみ合うほど絡みなくない?」
イーデンの母のアリエラが、とにかくレーヴェと息子達が関わるのを嫌がっていて近づけない。初日の出来事もあってイーデンはこちらを警戒していたし、同じ建物の中で生活していてもほとんど会話などなかった。
「しかし、さっき君は……」
「城下町じゃ、これくらいのことはしょっちゅうだぜ。相手に恨みがなくたって、暇つぶしに誰かを殴る奴もいるし、挨拶に代わりに足をひっかけるし、深い理由なんてないんだよ」
イーデンには理解し難いらしい。しかし当然だろう。貴族の箱入り坊ちゃんだ。
わかってほしいなんて別に願っていないので、それ以上懇切丁寧に説明はせず、レーヴェは中庭から立ち去った。
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