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異常な執着の最後_5

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 放送室での衝撃的な事件は、またたく間に校内に広がり、そして当然のごとく夕方にはPTAの耳に入った。

 学校という空間では守られて然るべき生徒たち、という幻想でも信じていたかった神話があっという間に崩れ、なにより本来人を教え導く立場の人間が同じ職場の人間に性暴力という一番あってはならない犯罪に手を染めたことに、親からの非難や抗議の電話がなりやまなかった。
 校内でそれが起きた、ということ自体、異常なのだ。

 その状況で、翌日から始まる予定だった文化祭など開けるはずもない。
 3日間開催されるうち、当然のように1日目は中止となってしまった。

 生徒たちの反感も落胆も当然のこと。
 念のため病院へ行くよう帰宅を許された私は、成瀬くんからのメッセージでそれを知った。

 自宅のベッドの中で丸くなりながらも、頑張ってきていた生徒たちのショックに落ち込んでいるだろう顔が想像できて胸が痛い。
 でも、学校に行くのは、怖かった。
 橘先生にされたことよりも、自分が見てきた生徒たちが私をどんな目で見るだろう。

 汚らわしいと思われてしまうんじゃないか。
 いやらしいと思われてしまうんじゃないか。
 気持ち悪いと思われてしまうんじゃないか。

 1人でいるほどに悪い方向に頭がいってしまう。
 そしてなにより、マンションの同じ階のどこかでドアが閉まったり、歩く音が聞こえたりするだけで、私は小さくびくついた。
 今日のことが、今まで抑え込んできた恐怖をすべて表に引きずり出したみたいに。
 もう橘先生は警察に拘束されているというのに、この部屋を知られているという事実だけで今にも現れるんじゃないか、と怯えていた。

 スマホがメッセージの着信の音をたてた。
 成瀬くんから「今、下に来てる」とあった。
 慌ててドアホンの映像で確認してから、正面玄関のロックを解除する。
 ほんの少しして、玄関のチャイムが鳴った。

 びくりと震えてしまう自分を落ち着かせ、ドアを開けると、少し疲れた笑みを浮かべた成瀬くんがいた。

「杏。1人で怖かったでしょ、ごめん。後始末がいろいろあって」

 頭を振って成瀬くんを迎え入れる。
 成瀬くんは私の顔を見て、それからまだ赤いままの両ほおを痛ましげに見つめた。
 時間が経ってさらに腫れたものの、ずっと氷で冷やしていたから少しは引いたはずだったけれど。

「……触れてへーき?」

 小さく頷くと、成瀬くんはそっと大きな手で私の両ほおに触れ、少しぎこちなく、でもどこまでも優しい手つきでそっと撫ぜた。

「痛い?」

「今はもう大丈夫。冷やしたから、もう少し経てば赤みも引くと思う。……グーで殴られなかっただけマシ、かな」

 大きく笑うと痛いから、少しだけ笑みを浮かべた。
 成瀬くんはそのまま額をコツンと私の額にそっと合わせた。

「ねえ、杏。しばらく……オレの部屋、来ない?」

「蒼くんの?」

「ここに1人、いさせたくない」

 成瀬くんのはっきりした言葉に、私は素直に頷いた。
 どちらにしても明日すぐに出勤できるような状況ではなかった。
 ここに1人いれば、橘先生がその玄関まで訪ねてきたことをいやでも思い出してしまう。
 思い出せば嫌な方向に想像してしまう。

「今週で実習終わるし、そうしたら大学に戻るだけだからもっと杏のそばについていられるし」

「……そっか、実習終わっちゃうんだった」

 実習が終わる最後の日まで、学校にいたかった。

「……淋しい?」

「それは、……淋しい」

 正直に言うと、成瀬くんが私の額にそっと唇をつけた。

「淋しいとか言ってられないと思うけどね、オレの部屋来たら」

 悪戯めいた含み笑いをして、成瀬くんがそのまま私の腰を引き寄せて、私の右手をとった。
 それからポケットから何かをとりだして、薬指にゆっくりはめた。

「これ……!」

 橘先生に奪われ、放送室の機材の間に投げ捨てられてどこにいったかわからなくなっていた指輪だった。

「よかった……!」

 放送室の中で投げ捨てられたと泣いたから、探してくれたのだろう。
「ありがとう」と笑うと、「近いうちに左手のね」と成瀬くんが笑みを浮かべた。

 その笑みはどことなく悲しげで、その小さな傷のような痛みが私の中にもぽつりと落ちてきて。

 じわりと、涙が浮かんだ。

 哀しいわけじゃなくて、ただ、目の前に成瀬くんがいることが、その成瀬くんが私のためにずっと負い目を背負ってしまったことが、どうしても消せない。

 私よりも年下で、もっと無邪気に遊んでいていいはずの年齢の彼の目が、彼の笑みが、どんなに無邪気さや無垢さや、そして悪戯めいたあの輝きを宿しても、その欠片にかすかな痛みを伴ってしまうことに気づいてしまった。

 ほおを伝った涙に、成瀬くんが黙って唇をつけた。
 思わずその首に腕を回して、成瀬くんを抱きしめた。

 傷ついたのは、私よりも、きっと成瀬くんの方だったから。
 まだ若い彼に、小さくても一生忘れられない苦味を与えてしまったのは、誰あろう、私だった。
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