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魔の手_5

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「……橘先生が、教育長の息子っていうのは聞いた。でもそれと何がどう関係してるの?」

「うん、橘ってけっこう若いのに他の先生たちが遠慮してたの知ってる?」

 頭を振った。
 教科が違うと接点も少なくなるし、なにより私は新人で他の先生の様子まで気にする余裕なんてなかった。

「まあ、見てるとさ、強いこと言えないんだよね。……たぶん、校長も距離置いてるし。でもそんくらいあいつの父親は力があるんだろうね。だからそれを笠に着て、やりたいことやってきたわけ」

「やりたいこと?」

「杏にしてきたようなこと。しかも教師だけじゃなくて、生徒にもね」

 生徒にも。
 一瞬にして、米川さんたちが橘先生に見せた露骨な嫌悪感を思いだした。

「もしかして、今も私以外に?」

「それはわからない。でも……あの学校さ、けっこう学年に1人か2人は退学者や不登校の子、出してる」

「それくらいは、他校でもない話じゃない気もするけど……」

「そう。でも問題はさ、6年前に橘がきてから、毎年、なわけ。しかも、だいたい女子」

「まさか」

「証拠はないよ。ないから、なんともいえないけど、でもあの学校の女子もそのこと知ってる子は知ってる。例えば……橘が何かと目をかけてるのを見かける。でもそのうちその子が来なくなったり退学したりする。で、その子と仲よかった子がいて、そっから話が少しもれたらりする。流れで橘とヤッっちゃったけど、それ、動画で撮られてたっぽくて。素人モノとしてネットに流出したとかさ」

「それ……! 犯罪じゃない!」

 許せない。
 今でもこんなにつらいのに、もっとひどいことをされてるなんて。

「だね。ただモザイクとかかけられてて、知ってる人が見ないとわかんないレベルだって。だから影響は限定的だと思うけど、それでも本人にとっちゃ、もう外なんて歩けないだろ」

「だ、誰も、被害届とか、学校に言ったりとか……」

 言いながら、俯いた。

 とても、そんなこと怖くて言えない。
 私だって、今、橘先生にされてることを学校に言ったりできない。
 成瀬くんとのあのことが明るみにでてしまう可能性があるのも大きいけど、なによりそういうことをされた自分が恥ずかしくて、そういう目で見られるのがすごく怖くて。

 学校に行くのだって怖い。
 でも私は仕事がある。この仕事で生活をしているけど、生徒なら。

「……言っても無駄だってさ。警察以前に、橘の父親がもみ消す」

 ゾッとした。
 もし橘先生が本当にそういうことしているのなら、あの高校の中だけで済む話じゃない。きっと、もっと前から、そういうことをしてきてる。

 だとしたら、もっと許せない。
 ひどすぎる。

 まだまだ生徒たちはこれからなのに。
 いろんな恋をして、いろんな人と出会って、いろんな楽しいこと悲しいこと怒りたいこと笑いたいこと、それを全部その子から奪ってしまうことなのに。

 今までの恐怖よりも、悔しさがゆらりと立ち上がってくる。

「杏はオレが守るよ」

 黙り込んだ私に、成瀬くんが安心させるように言った。

「私には、成瀬くんがいてくれる。でも、他の子たちは?」

「だから、終わりにさせる」

「終わりに、ってどういうこと……?」

「あと少ししたら、ちゃんと話す」

「今は話せない?」

「ごめん。この話は、すごく、……なんていうか軽くは、言えない」

 成瀬くんが申し訳ないように視線を伏せた。

 もしかしたら成瀬くんはすでに被害者とその被害の内容を知ってるのかもしれない。だからこそそれを話せないというのはすごく誠実で、わかる。

 でも誰か、が誰なのか。
 胸の奥に刺さる小さなトゲが疼いた。

「でも、橘にいいようには絶対させない」

 ゆっくりと伏せていた目をあげて私をまっすぐ見た成瀬くんに、私の方が目を伏せた。

 成瀬くんがしようとしていることは、きっとすごく大変なこと。
 なのに私は、自分勝手にその誰かが米川さんだったら、本当はいやだなんて思ってる。
 橘が許せないと怒りがわき起こるのに、一方で米川さんと成瀬くんの距離が近づいてしまったら、なんて不安がちらつく。

 そんな自分の小ささが浅ましくて醜くて、目を見られない。

「オレは来週で実習終わりだから、そうなったら駆けつけたくてもできない。あいつ、杏にすごく執着してる。オレがいられる今しか、ない」

 私に言い聞かせるかのような成瀬くんの言葉に頷いた。

「たぶん、スマホをとられた時点で、きっとあいつもいろいろ考えてるはずだから。だから杏は、絶対、橘と2人きりにはならないで」

 また頷いた。でも胸の奥でもやもやするものがどうしても拭えなかった。
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