ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

揺れる心_5

　当然、保健室での騒ぎに気づいた生徒はいた。
　成瀬くんは翌日、校長室に呼び出され、厳重注意を受けた。
　ただ被害者とされた橘先生が私の存在を伏せていたためか、私の存在が話にのぼることはなかった。
　でもそれでよけいに真相を闇の中に葬られていくようで、不安になる。

　はっきり訴えればいい。
　被害者は私。

　でも言い出せるわけがない。
　言えば橘先生から何をされるか分からないから怖いというのもある。
　ただなによりも、まだ勤めはじめたばかりのこの学校で、「男の先生に襲われかけた」なんてどうして言えるだろう。
　橘先生がどんなセクハラをしてきたか、その経緯を伝えなきゃいけないことも、そして、その原因が成瀬くんとの「あのこと」に繋がってしまいかねないことも、白日のもとに晒すなんてできない。

　それをわかってるから橘先生は、強気でいられる。

　ストレスからくる体調の悪さも重なって、授業をしていてもどこか集中力を欠くことが増えた。
　嫌がらせは少しなりを潜めたような気もしたものの、校舎の至るところ、廊下にたむろする生徒たちの影に隠れて見えないところに、橘先生の目があるかもしれない。

　橘先生の存在に怯えて気を張り続けて、さすがに放課後にはひどい頭痛を覚えた。

「片桐先生、大丈夫ですか？　相当顔色悪いですよ？」

　国語科教員室でさすがに見かねた先生に声をかけられ、保健室へ向かった。
　でも保健室で眠ろうという気には、もうなれない。
　文化祭の準備も進行しているから、早退できるほど悠長な状況でもない。

　養護教諭から頭痛薬をもらって、人目のある校庭に向いた校舎の廊下を歩いている時だった。

　なんとなく話す声が聞こえてきて、そっちに目を向けた。
　開け放している窓の向こう、体育館へと通じる外廊下に立つ２人。

　片方は背の高い成瀬くん。
　そしてもう片方は柱の影に見え隠れしてよくわからないけれど、女子生徒っぽかった。

　立ち話でもしてるのかな、と頭痛の隅でぼうっと見ていたその瞬間だった。

　成瀬くんの前に立っていた生徒がふいに成瀬くんに近づいて、ワイシャツのネクタイを引き寄せ。
　軽く体勢を崩したような、でも自分から傾けたようにも見えた動きで、成瀬くんとその女子生徒の顔が重なった。

「――え？」

　思わず足が止まった。
　成瀬くんが女子生徒を突き放すそぶりはなくて。
　離れた２人のうち、女子生徒が軽く首を傾げるようにして成瀬くんをのぞきこむ。

　その後ろ姿の、長い黒髪。
　さらさらと艶やかで、スタイルがいい細身の体。

――彼女は。

　成瀬くんに何かを言ってからくるりと弾むように回って、廊下を走って去っていく。

「……なんで」

　成瀬くんがその女子生徒が去った方角とは別の、私がいる側へと歩き出して、思わず廊下にしゃがみこんだ。

　今、成瀬くんに見つかりたくない。
　今、自分の顔を誰にも見られなくない。

　なのに、ぐるぐると頭の中を回ってる。

　まるでお似合いの、その。

　ねえ、なんで、米川さんと、キス、してたの？