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忍びよる不穏な気配

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「片桐先生、成瀬先生。2人の間で不適切な行為があったというのを聞いたんですが、本当ですか?」

 校長室に呼び出されたのは、授業開始も近いタイミングだった。
 橘先生の姿は朝の職員会議にも見当たらず、ただ体調不良による欠勤とだけ連絡があって、不信さをぬぐえないままでいたところの呼び出しだった。

 どう考えても、金曜日のことがあっての今日となると、橘先生がなんらかの方法で校長先生たちの耳に入るようにしたに違いない。

 でも校長室の前の扉に並んだ時の成瀬くんは、不思議なほど落ち着いていた。
 ただ校長室に入る瞬間に横に並んだ私の指にかすかに触れて、「センセは何も心配しないで。大丈夫だから」と言った。
 何が大丈夫なのか分からないけど、堂々としている姿は頼もしくて、不安な気持ちがゆっくり薄らいでいくのがわかった。

 校長先生のデスク周りには、教務主任や学年主任だの、高校を運営する主要なポストの先生たちが並んでいた。
 教育実習をしていた時に見た光景と同じ。
 思わず動揺して、嫌でも気持ちがざわついた。

 なのに成瀬くんは校長先生たちの前でも、何も恥じることはないと言うようにまっすぐ前を見つめている。

 その強さが、私の不安を確かになだめていく。

「特に証拠があるような話でもない、ただのうわさならばかまいませんが、いかがですか?」

 校長の安藤先生は、筋の浮いた痩せぎすの両手を顔の前で組み直した。
 女性ながら教育界ではやりてとして知られる安藤先生の目は、嘘なんて簡単に見抜きそうな厳しい光をたたえている。

「それは」

 言いかけた私を遮るように、成瀬くんが一歩前に出た。

「申し訳ありません。ぼくのせいです」

「――え?」

 パッと隣を見た。
 動揺した私に、成瀬くんが頭を下げながら私をちらりと牽制するように見た。

 ざわついた先生たちを鎮めるように、安藤先生は「どういうことですか?」と成瀬くんを見た。

「実はぼくは、片桐先生に憧れて先生を志しました。教師の仕事を大切にされているその姿勢は、ぼくにとって理想の先生像だったんです。だからその先生と偶然、ここでお会いできてつい、先生に声をかけ相談にのってもらっていました。いろいろ刺激をいただき、学ばせていただいていたので、2人でいることもありました。ただ、それがそういうふうに他の人の目に映って誤解を招くなんて思ってもみませんでした。
本当に申し訳ありません。そして、片桐先生にもぼくの軽率な行為でこのような迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳なく思っています」

 成瀬くんが神妙な様子でさらに深く頭をさげた。
 安藤先生がしばらく黙って成瀬くんを見て、それから私を見た。

「そうなんですか? 片桐先生」

 相手を見透かすような厳しい目が私を見据えて、思わず両手を握りしめた。

「……はい。私も、実習生相手に軽率だったと思います。とても熱心でしたので、つい……。誠に申し訳ありませんでした」

 頭を下げた。
 長いため息が聞こえてきた。

「今回は、成瀬先生の行き過ぎた行為がおかしな誤解に繋がっただけのようですので、とりあえず注意にとどめます。今後はお互いに節度をもって接するようにしてください。それでなくても、お二人とも若い。生徒たちは男女、というだけで敏感です。まして文化祭に向けて浮き足立ちがちな時期です。何かあってからでは遅いと十分心得てください。成瀬先生は特に教育実習生として、自分の振る舞いがどういう影響を周りに与えるか教訓にもなったでしょう。生徒に人気があると聞いています。なおさら、自分の存在や言動をいっそう自覚して実習に当たってください」

 安藤先生の言葉に改めて謝罪をして、順番に職員室を出た。
 思わず大きく息を吐きだした。

「もう、何言い出すのか、本当に心臓に悪かったんだからね」

 ひそひそと先に出ていた成瀬くんに言うと、成瀬くんは悪戯を楽しんでいるようにひっそりと笑った。

「でもほとんど真実じゃん。憧れて、舞い上がって、そんで誰にも言えない相談して」

「呆れた。嘘ばかりついてるといつか足元すくわれるからね」

 意地悪くそう言うと、成瀬くんはにっこりと笑った。

「センセを守るためなら、嘘なんて嘘じゃないからいーの」

 思わず何も言えなくなって、つい「……ほんと、ばか」と甘えるように言ってハッとした。
 廊下の向こうにいる女子生徒たちが見ているような気がして、慌てて背筋を正した。

「じゃあ成瀬先生、お互い気をつけましょう」

「バレないようにね」

「成瀬先生!」

「じゃ。放課後に」

 文句を言いかけた私に成瀬くんは取り澄ました実習生の顔をしながらも無邪気に笑みを浮かべて「ね、センセ」と言った。
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