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終章 一つになる心
78. 父の思い
しおりを挟む その日の夜更けに、劉帆は屋敷へ戻ってきた。
父の帰宅を待ちわびていた峰風は、急いで私室に駆けつける。
「父上! 凛月の容体は?」
普段であればまず挨拶をする息子が、何もかもすっ飛ばして父に詰め寄る。
「落ち着け。巫女様はご無事だ」
「しかし、血が……水の中に、毒物が混入されていたのでは?」
峰風には、子墨が吐血したように見えた。
しかも、狙われたのは明らかに自分。
子墨は峰風を庇って水を浴びた。
凛月に万が一のことがあれば……峰風は気が気ではなかった。
「水に入っていたのは、異国の『惚れ薬』だ」
「惚れ薬、ですか?」
予想外の中身に、峰風はキョトンとなる。
「医官によると『催淫薬』と『催眠鎮静薬』を混ぜ合わせたものらしいが、巫女様には少々刺激が強かったようだ。それで、鼻から……」
つまり、吐血ではなく鼻血だったということ。
峰風は安堵で、一気に体の力が抜けた。
「解毒薬を投与され、薬の影響はなくなっている。念のため数日の間は助手の仕事を休ませるから、そのつもりでいろ」
「わかりました。それで……私を狙った者は誰だったのですか?」
「吏部侍郎の娘だった。下女に扮し、おまえの顔に水をかけ薬を飲ませようとしたようだ」
峰風は、執務室にやって来た娘の顔を思い浮かべる。
一年程前に武官に絡まれているところを助けてから、執拗に峰風へ執着していた。
「……このような騒動が起きたからには、私は巫女様との見合いは辞退させていただきます」
事件が公になれば、様々な噂が立つだろう。
『吏部侍郎の娘を捨て、巫女の婿になることを選んだ』
『痴話喧嘩の末に、騒動を起こした』
いくらでも思い浮かぶ。
峰風にやましいことは一切ない。
それでも、口さがない者たちが在りもしないことを並べ立てる。皆が事実だと思い込む。
宮廷とは、そういう場所だ。
自分のことだけであれば、これまでと同様気にしない。相手にしない。
好きなように言わせておく。
しかし、見合いをすれば巫女にも害が及ぶかもしれない。
凛月に迷惑を掛けるかもしれない。
峰風は、それを恐れた。
「騒動といっても、桶を持った下女が転び、たまたま近くを通りかかった巫女様の従者に誤って水をかけてしまっただけだ」
「えっ?」
「本来であれば、下女は処罰される。だが、巫女様の慈悲によって罰は免除されるだろう。身分の低い者へも心を配られる、お優しい方だからな」
「…………」
「そうそう、吏部侍郎の娘だが、重い病により地方で療養させると本日届け出があった。もう二度と、都に戻ることはないそうだ」
「そう……ですか」
劉帆と吏部侍郎の間で何らかの取引があったことは、容易に想像ができる。
父は、あらぬ噂話から息子の名誉を守るため。吏部侍郎は、己の保身と家のため。
双方の利害が一致した結果なのだろう。
劉帆が決めたことに、峰風が異議を唱えることはできない。
粛々と受け入れるのみ。
母の春燕と入れ違いに、峰風は部屋を出ていった。
◇◇◇
「お食事は、どうされますか?」
「今日は、もう要らぬ。ここはいいから、おまえも早く休みなさい」
「峰風も、夕餉を食べませんでした。よほど、凛月様が心配だったのでしょう」
夫の着替えを手伝いながら、妻は微笑む。
「あの子の、あのような姿が見られる日が来るとは、思ってもおりませんでした」
「ハハハ……たしかに、そうだな」
報告によると、凛月は桶の中身を気にしていたとのこと。
おそらく、水に異常があると察知し、とっさに峰風を庇ったのだろう。
巫女である己の身を顧みずに。
責任感の強い息子が、見合いの辞退を申し出ることは予想していた。
だから、父は権力を行使し事前に手を打った───二人の未来を守るために
「私がここまでしたのだから、頼むぞ……」
「何のお話ですか?」
「いや、こちらの話だ」
すべては、数日後の見合いで決まる…と思いたい。
息子に少々の不安を感じつつ、ただ成り行きを見守ることしかできない父劉帆だった。
父の帰宅を待ちわびていた峰風は、急いで私室に駆けつける。
「父上! 凛月の容体は?」
普段であればまず挨拶をする息子が、何もかもすっ飛ばして父に詰め寄る。
「落ち着け。巫女様はご無事だ」
「しかし、血が……水の中に、毒物が混入されていたのでは?」
峰風には、子墨が吐血したように見えた。
しかも、狙われたのは明らかに自分。
子墨は峰風を庇って水を浴びた。
凛月に万が一のことがあれば……峰風は気が気ではなかった。
「水に入っていたのは、異国の『惚れ薬』だ」
「惚れ薬、ですか?」
予想外の中身に、峰風はキョトンとなる。
「医官によると『催淫薬』と『催眠鎮静薬』を混ぜ合わせたものらしいが、巫女様には少々刺激が強かったようだ。それで、鼻から……」
つまり、吐血ではなく鼻血だったということ。
峰風は安堵で、一気に体の力が抜けた。
「解毒薬を投与され、薬の影響はなくなっている。念のため数日の間は助手の仕事を休ませるから、そのつもりでいろ」
「わかりました。それで……私を狙った者は誰だったのですか?」
「吏部侍郎の娘だった。下女に扮し、おまえの顔に水をかけ薬を飲ませようとしたようだ」
峰風は、執務室にやって来た娘の顔を思い浮かべる。
一年程前に武官に絡まれているところを助けてから、執拗に峰風へ執着していた。
「……このような騒動が起きたからには、私は巫女様との見合いは辞退させていただきます」
事件が公になれば、様々な噂が立つだろう。
『吏部侍郎の娘を捨て、巫女の婿になることを選んだ』
『痴話喧嘩の末に、騒動を起こした』
いくらでも思い浮かぶ。
峰風にやましいことは一切ない。
それでも、口さがない者たちが在りもしないことを並べ立てる。皆が事実だと思い込む。
宮廷とは、そういう場所だ。
自分のことだけであれば、これまでと同様気にしない。相手にしない。
好きなように言わせておく。
しかし、見合いをすれば巫女にも害が及ぶかもしれない。
凛月に迷惑を掛けるかもしれない。
峰風は、それを恐れた。
「騒動といっても、桶を持った下女が転び、たまたま近くを通りかかった巫女様の従者に誤って水をかけてしまっただけだ」
「えっ?」
「本来であれば、下女は処罰される。だが、巫女様の慈悲によって罰は免除されるだろう。身分の低い者へも心を配られる、お優しい方だからな」
「…………」
「そうそう、吏部侍郎の娘だが、重い病により地方で療養させると本日届け出があった。もう二度と、都に戻ることはないそうだ」
「そう……ですか」
劉帆と吏部侍郎の間で何らかの取引があったことは、容易に想像ができる。
父は、あらぬ噂話から息子の名誉を守るため。吏部侍郎は、己の保身と家のため。
双方の利害が一致した結果なのだろう。
劉帆が決めたことに、峰風が異議を唱えることはできない。
粛々と受け入れるのみ。
母の春燕と入れ違いに、峰風は部屋を出ていった。
◇◇◇
「お食事は、どうされますか?」
「今日は、もう要らぬ。ここはいいから、おまえも早く休みなさい」
「峰風も、夕餉を食べませんでした。よほど、凛月様が心配だったのでしょう」
夫の着替えを手伝いながら、妻は微笑む。
「あの子の、あのような姿が見られる日が来るとは、思ってもおりませんでした」
「ハハハ……たしかに、そうだな」
報告によると、凛月は桶の中身を気にしていたとのこと。
おそらく、水に異常があると察知し、とっさに峰風を庇ったのだろう。
巫女である己の身を顧みずに。
責任感の強い息子が、見合いの辞退を申し出ることは予想していた。
だから、父は権力を行使し事前に手を打った───二人の未来を守るために
「私がここまでしたのだから、頼むぞ……」
「何のお話ですか?」
「いや、こちらの話だ」
すべては、数日後の見合いで決まる…と思いたい。
息子に少々の不安を感じつつ、ただ成り行きを見守ることしかできない父劉帆だった。
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