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終章 一つになる心

74. すれ違い

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「見合いは、峰風様のご意思ではないのですよね? わたくしのように、親から強制されて──」

「私の意思だ。強制などされていない」
 
(お見合いは、峰風様の意思……)

 子墨の胸がちくりと痛む。
 胸に手を当てるが、痛みはまったく緩和されない。

「わたくしでは、駄目でしょうか? 峰風様好みの女になれるよう、努力いたしますから!」

「私が心に決めた相手は、あの方だけだ」

 峰風は官女ではなく、子墨のほうを見た。

「だから、あなたの気持ちに応えることは──」

 目が合った瞬間、子墨は執務室を飛び出していた。
 あの場に居続けるのが辛い。そう思ったら、体が勝手に動いた。
 自分を呼び止める峰風の声が聞こえたが、振り返ることはできない。
 今だけは、顔を見られたくなかった。

 外に出て、建物裏の陰に座り込む。涙がぽろぽろと溢れてくる。
 手拭いは、室内に置いてきてしまった。
 仕方なく官服の袖でゴシゴシ拭うが、一向に止まらない。

(私は、峰風様が……)

 なぜ今まで気づかなかったのか、自分の鈍感さには心底呆れる。
 でも、自覚と同時に、あっという間に終止符が打たれてしまった。

「……子墨」

 隠れていたはずなのに、あっさり峰風に見つかった。
 泣き顔は絶対に見せられないから、背中は向けたまま。

「どうして、ここにいるとわかったのですか?」

「君は真面目だからな、勝手に遠くには行かないと思った」

「ハハハ……峰風様には、僕の行動はすべてお見通しですね」

 それだけ、彼の近くにいたということ。

「気まずい思いをさせて、悪かったな。さあ、執務室に戻……どうして、泣いているんだ?」

「泣いてなど、いません!」

「泣いているだろう?」

「……泣いていません」

 涙よ、早く止まれ!と念じるが、なかなか止まってくれない。

「泣いていないのなら、こっちを向いてみろ」

「…………」

 子墨は無言で首を横に振る。
 頑なに認めない子墨に、峰風はため息をついた。

「では、そのままでいいから聞いてくれ。俺は、父上に面会してくる。今日のことを報告しなければならないからな」

「でしたら、僕も一緒に行きます! 宰相様にお願いしたいことがありますので」

 執務室へ戻ってからずっと考えていた件を実行するには、宰相の協力が不可欠だ。
 子墨はようやく立ち上がる。でも、まだ顔は見せられない。
 
「だったら、君は正直に自分の望みを話すこと。どんな選択をしようと、俺は君の味方だ。それだけは、覚えておいてほしい」

「わかりました」

 峰風は歩き出す。
 強引に目元を拭い、腫れぼったい顔のまま子墨もあとに続く。
 赤い目で見つめる先にあるのは、見慣れた後ろ姿。
 凛月を庇い守ってくれた、大きな背中。
 
「……私の望みは、ずっと峰風様のお傍にいることです」

 凛月の小さなつぶやきは時刻を告げる梵鐘ぼんしょうの音にかき消され、峰風に届くことはなかった。


 ◆◆◆


 娘は仕事から帰ってくるなり、寝台へ倒れ込んだ。
 様子がおかしいことに気付いた母が扉の外から呼び掛けているが、ずっと無視し続けている。

『私が心に決めた相手は、あの方だけだ』

 峰風の言葉を思い出すたびに、涙があふれる。
 あなたの気持ちに応えることはできない──目を合わせ娘へきっぱり・はっきりと告げると、峰風は執務室を出ていった。
 部屋を飛び出していった助手を追いかけていったのだろう。
 娘のほうを見ることは、二度となかった。


 ◇◇◇


 高官の子息との見合い話は、相手側からの申し出撤回によりなくなった。
 どうやら、子息が巫女の婿になることを希望したらしい。
 父が「あちら側から持ちかけてきた見合いなのに…」と憤慨していた。
 娘としては願ってもないことに喜んだのだが、峰風までもが希望しているとは思いもしなかった。
 
 官女仲間から噂話を聞き、すぐに真相を確かめにいく。
 自分と同じように、不本意な見合いを押し付けられたのだと信じて疑わなかった。
 まさか、峰風が本気で巫女を妻に望んでいると知ることになるとは……

 二人の接点をつくったのは、あの助手で間違いない。
 巫女の地方公務に峰風は案内人として抜擢され、同行していた。
 娘の望む座を奪ったばかりか、想い人の心まで奪うきっかけを作った憎き相手。
 これまで、娘は峰風に近づく女たちを様々な手段で排除してきた。
 しかし、あの助手に手を出すことはできない。


 ◇


「峰風殿の助手への手出しは、絶対に許さん」

 ある日、娘は父から突然釘を刺された。

「今までは黙認していたのに、急にどうしたのですか?」

「これまでの相手とは、わけが違うのだ。彼に何かあれば、おまえを勘当するだけでは済まされない。私自身も破滅する」

 助手の主は、後宮妃ではなく巫女だったこと。
 手を出した工部尚書と貴妃が処罰されたと、父は言う。
 国の重鎮と上級妃を断罪できるほどの権力を巫女が持っていることに、娘は驚いたのだった。


 ◇◇◇


(やっぱり、最初からコレを使用すべきだったのね……)

 娘の手に握られているのは、小さな硝子瓶。中には粉末が入っている。
 異国から渡来してきたという秘薬は、娘が傾倒している占い師から購入したもの。
 無味無臭で、使用の痕跡は残らない。薬の効果を解く解毒剤も、この国には存在しないと聞いている。
 試しに使用人へ盛ってみたが、微量でも十分満足な結果を残した。

「フフッ、これで峰風様はわたくしだけのもの……」

 これからのことを想像するだけで、暗く落ち込んだ気分が高揚してくる。
 娘は起き上がり、意気揚々と部屋を出て行った。

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