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第四章 関係の変化
51. 泣いた紫陽花(上)
しおりを挟む(この国の貴人様たちは、峰風様へ無理難題を押し付けるのがお好きなのだろうか?)
秀英と棚の整理をしながら、子墨はぼんやりとそんなことを考えていた。
◇
この日、峰風の執務室を訪れていたのは小さな貴人、泰然だった。
「───というわけで、母上が庭木を撤去すると言って譲らぬのだ。なんとか峰風から説得してくれぬか?」
「ですが、淑妃がお決めになられたことに一介の官吏が口を挟むなど……」
「あの木は、この国では珍しいものなのだろう? それを見す見す失ってしまってもよいと、兄上の覚えめでたい樹医殿は申すのだな?」
「それは……」
泰然は懐柔策が失敗と判断するや否や、今度は圧をかけ凄んできた。
「泰然殿下、無理を仰ってはなりませぬ!」
護衛官とともに随伴してきた年嵩の侍女が幼い主を諫めているが、ほとんど効果はない。
「そうそう、言い忘れておったが、あの木に『赤』が咲いたのだ」
「『赤』でございますか?」
峰風が敏感に反応した。
「其方も青紫色は見たことがあるだろう? どうだ、赤紫色も見てみたくはないか?」
「・・・・・」
「では、宮で待っているぞ」
泰然は、峰風の弱点を的確に突いてきた。
齢十歳にして、この策士ぶり。さすがは梓宸の異母弟、恐るべし。
子墨は、ただただ感心した。
◇
その日の午後、子墨は峰風と共に淑妃の宮を訪れた。
以前、お茶会で他の正四品の宮へは行ったことがあるが、正一品は初めてのこと。
宮の造りからして全く違う。敷地も広い。庭園も立派だった。
「樹医殿もお忙しいでしょうに、泰然がわがままを言って呼びつけたと聞いております」
二人を、淑妃である美羽蘭が出迎えてくれた。
端午節のときは、凛月はチラッと顔を見かけただけだった。
同じ黒髪・黒目だが、やや顔の作りが違う。名も珍しい。
峰風によると、海を越えた東方国の出自とのこと。
宮の中は、この国ではあまり見かけない調度品が目に留まる。物珍しい美術品も飾られている。
異国情緒あふれる淑妃の宮と比べると、欣怡の宮は地味な部類に入るだろう。
室内で存在感を主張しているのは、老翁からもらった仙人掌の翠のみ。
一番日当たりの良い場所で、のびのびと育っている。
「母上、私は峰風に珍しいアレを見せてやろうと思っただけです!」
「泰然殿下が、私の後学のためにお声をかけてくださったのです」
「そうだったの……」
先ほどまでのにこやかな顔が一変、美羽蘭の表情が一瞬曇る。
子墨はそれが気になった。
◇
庭園の中央に植えられていたのは、紫陽花の木。
老翁の屋敷で見たときはまだ蕾の状態だった。
今はちょうど見頃を迎えているのか、咲き乱れる様は目を大いに楽しませてくれる。
「これが紫陽花ですか。青紫色のとても綺麗な花ですね」
「子墨、これは花のようで花ではないのだぞ。『装飾花』というのだ。峰風の助手をしているくせに、おまえはそんなことも知らぬのか?」
「勉強不足で申し訳ございません。私は、今日初めて拝見させていただきました。泰然殿下はよくご存じですね?」
「当然だ! 母上の故郷から来た植物だからな」
どうだと言わんばかりに得意げに胸を張る幼い貴人が、なんとも愛らしい。
頭をなでなでしたくなる衝動をグッとこらえたところで、子墨ははたと気付いた。
(もしかして、私も峰風様から子供扱いされたのかも……)
胡家で頭をポンポンとされたときは、大きくて温かい手に涙が止まらなかった。
しかし、よくよく考えてみれば子墨は十六歳の立派な成人男性(設定)だ。頭を撫でられるような年齢ではない。
あの時の状況を再現してみようと頭に手を伸ばしたが、髪型と簪に阻まれた。
「自分の頭を叩いて、何をするつもりだ?」
「い、いえ、何でもありません!」
峰風の不思議そうな視線が痛い。
これではまるで、挙動不審者だ。
こういう行動が峰風から子供っぽく見られる原因なのだと、自分であっさり納得した。
「御前様のところにあった紫陽花は、こちらのを取り木したものだそうだ。あちらも、今ごろは綺麗な装飾花が咲いているだろうな」
「紫陽花が、こんなに綺麗な植物とは知りませんでした」
まだまだ未知の植物はたくさんある。
助手を続けるためには、もっともっと研鑽を積まなければならない。
子墨は意気込みを新たにした。
「ところで泰然殿下、赤はどちらでございますか?」
目の前の紫陽花は、すべて青紫色。赤など、どこにも見当たらない。
「あれは、奥の庭園だ」
◇
紫陽花が私的な区域にあると知り、峰風はすぐさま辞退を申し出る。
しかし、泰然は強引だった。「母上から許可は得ている!」と連れてこられたのは、庭園の最奥。
そこにあったのは、先ほどよりも一回り大きい紫陽花だった。
間近で観察すると、木全体の大きさがよりわかる。
「立派だな」
峰風から感嘆のため息が出た。
「……泣いている」
隣にいる子墨の口から、ぽろりと言葉が漏れた。
「泣いている?」
「あっ……同じ木なのに、下の方だけ色が違いますね」
「たしかに、他はすべて青紫なのに、一部だけ赤に近い紫だ。しかも、全体の中でそこが一番大きくて綺麗な装飾花を咲かせているな」
「この紫陽花は、母上が入内したときに植えたものなのだ。しかし、こんな赤色の装飾花を咲かせるのは今年が初めてで、皆が驚いている」
膝を折り間近で赤い装飾花を観察していた子墨が、泰然を見上げた。
「殿下、つかぬことをお尋ねします」
「なんだ?」
「最近、この紫陽花に関係された方が、その……お亡くなりになったというようなことはございましたか?」
「其方、今なんと申した!?」
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