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第三章 転機
41. 安堵
しおりを挟む人の気配を感じ、凛月はゆっくりと目を開ける。知らぬ間に上着がかけられていた。
ぼんやりとした視点が、徐々にはっきりとしてくる。誰かが椅子に座って書物を読んでいる。
「峰風……様?」
「目が覚めたか。子墨、体調はどうだ? 怪我をしているところはないか?」
卓子に書物を置き、峰風が傍にやって来た。
いつも子墨に向けてくれる優しいまなざし。いつもと何も変わらない日常の光景。
「おかげさまで、どこも怪我はしていません。峰風様こそ……ご無事…で何よ…り……」
熱いものがこみ上げてくる。視界がぼやけ、峰風の顔がよく見えない。
桑木の陰に隠れていたときに、峰風にはもう二度と会えないかもしれないと心のどこかで覚悟をしていた。
でも、子墨は助け出された。峰風も無事だった。こうして、また会うことができた。
それが、ただただ嬉しかった。
「可哀想に。相当怖い思いをしたのだな」
峰風の手が伸びてくる。頭をポンポンとされた。
大きくて温かい手に、涙が止まらない。
「ハハハ、子墨がそのような恰好をしているから、まるで俺が女子を泣かせたみたいだ」
苦笑している峰風から手拭いを渡される。顔をゴシゴシ拭うと、化粧が剥がれた。
すっかり忘れていたが、今の凛月は女の姿だった。
中身は『宦官の子墨』で、見た目は『商家の娘である凛風』。
実に、ややこしいことになっている。
「峰風様は女嫌いですから、明日は姿を元に戻してもらいますね」
「いや、その必要はない。これも君を守るためだからな。それに、俺は『女嫌い』ではなく苦手なだけだ」
「苦手、ですか?」
「まあ、昔いろいろとあってな……でも、すべての女子というわけではないぞ。瑾萱は苦手ではない。内を知っている者とは、普通に接することができる」
(内を知っている者なら、女子でも大丈夫。では、私は?)
聞くか聞かないか迷ったが、思い切って口を開く。
「たとえばですよ、僕がある日突然女子になったとします。それでも、峰風様の助手を続けることはできますか?」
何ともおかしな例え方だと、自嘲する。
それでも、峰風の口から直接答えが聞きたかった。
「官女に変装した宦官か。確かに、周囲の目を欺くには有効な手段だな」
凛月の顔をまじまじと見つめながら、峰風は真剣に考え込んでいる。
「だから、予行演習のつもりで母上は……」
「あの、峰風様?」
「ああ、すまない。もちろん見目が変わろうと、子墨が俺の助手であることに変わりはない。ただ、秀英へどう説明するかが問題だな」
「秀英さんには、『子墨の姉』と言います」
「アハハ! それはいいかもしれないな」
思っていたのとは、違う形になった。でも、『官女に扮した宦官』として助手を続ける道は開けた。
もし「本当は宦官ではありません。女です」と正直に打ち明けていたら、どんな反応が返ってきたのだろうか。
笑いながら隣に腰を下ろした峰風の横顔を、凛月はそっと見つめた。
「冷めてしまったが、母上が用意してくれたお茶だ。お茶菓子もあるぞ。それとも、夕餉の後にするか?」
「いいえ、今いただきます!」
安堵して、泣いて、落ち着いたら小腹が空いた。
手に取った麻花はサクサクとした食感が香ばしく、どんどん食が進む。
隣には大麻花まである。こちらは、形が大きく柔らかい食感のもの。
パクっと頬張る。甘いお菓子は、疲れた体に染み渡る。
思わず笑顔がこぼれた。
「とても美味しいです」
「フフッ、子墨はいつも幸せそうな顔で食べているよな」
「そ、そうですか?」
自分では顔が見えないから、どんな顔をしているのかわからない。
凛月は、昔から食べることが大好きだ。好き嫌いもほとんどない。
やはり、人よりも食い意地が張っているのだろう。
峰風は、麻花を一つ摘んだだけだった。
残りは、すべて凛月のお腹にしっかり収まった。
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