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第三章 転機
40. 滞在
しおりを挟む「───様。凛風様、着きましたので起きてください」
揺り起こされ、凛月は目を開けた。
いつの間にか雨は止み、馬車の窓からはうっすらと西日が差し込んでいる。
「ここは……どこ?」
半分、微睡みながら尋ねる。
全然寝たりない。まだ眠っていたい。頭がボーっとする。
「胡家です」
「……胡家?」
誰の家だっけ?と、凛月は寝ぼけまなこをこすりながら考える。
「宰相様、峰風様のお屋敷です」
「!?」
凛月の頭が、一瞬でシャキッと冴えわたる。
胡家は、敷地の広い立派なお屋敷だった。
馬車を降りた凛月を出迎えたのは、中年の男女。
「春燕様、凛風お嬢様をどうかよろしくお願いいたします」
「宇航、ここまでご苦労様でした。こちらを、旦那様へ」
春燕は浩然へ書付を渡す。
「お嬢様、では私はこれで失礼いたします」
挨拶をすると、浩然はあっさり行ってしまった。
詳しい事情は何も聞かされないまま一人置いていかれた凛月は、離れの客間に通される。
「凛月様、お疲れでしょうが、まずは湯浴みをいたしましょう」
「あの、えっと……」
いきなり、本当の名を呼ばれた。
浩然からは、春燕は宰相の奥方で峰風の母と聞いた。凛月の名を知っているのなら、すべての事情もわかっているのだろう。
しかし、隣にいる中年男性は誰なのか。
「これは、瑾萱の父親で吴然と申します。信用のおける者ですので、ご安心下さいませ」
言われてみれば、目元が娘にそっくりだ。
凛月は一気に親近感を持った。
「ともかく、ご無事で何よりでございました。息子もそのうち戻って参りますので、どうか当家でごゆるりとお過ごし下さい」
「ありがとうございます。お世話になります。ご子息様と瑾萱さんには、いつも大変よくしていただいております」
緊張で、つい早口でまくし立ててしまった。
最後に二人へぺこりと頭を下げると、春燕が「そう、あの子が……」と嬉しそうに微笑んだ。
◇
湯浴みを終えた凛月を待っていたのは、春燕と胡家の使用人たちだった。
あれよあれよという間に綺麗に髪を結われ、化粧まで施されてしまう。
使用人たちは下がり、部屋には凛月と春燕だけが残された。
「凛月様の今のお姿ならば、どこからどう見ても商家の息女にしか見えません。使用人たちには知人の娘を数日預かると周知しておりますので、当家にいらっしゃる間は『凛風』として振る舞ってください。息子にも、そのように説明をいたします」
「私は、後宮に戻らなくてもいいのでしょうか?」
子墨はともかく、後宮妃である欣怡が宮に不在なのはかなり問題ではないだろうか。
「安全が確認できるまでは、我が家に滞在していただくと主人からは聞いております。貴女様の身が、何よりも大事ですから」
「後宮も、危険ということですか?」
「わたくしも詳細は知らされておりませんので、これ以上のことは……」
春燕が首を横に振る。結局、詳しい事情は何もわからなかった。
宰相が戻るまでは、凛月はただ待つしかない。
「ただいま、お茶の用意をさせております。夕餉前ではありますが、美味しいお茶菓子もございますのよ」
にこやかに笑う春燕の顔は、峰風によく似ていた。
春燕は、呼びにきた吴然と一緒に部屋を出ていく。
凜月は、しばらく部屋で休憩させてもらうことにした。
(峰風様は、まだ戻られないのかな……)
もうすぐ日が暮れる。あんなことがなければ、仕事を終え門まで送ってもらっている頃だ。
峰風や瑾萱に心配をかけてしまった。
何だか、ひどく疲れた。
椅子に座ったままうつらうつらしている内に、凛月は再び深い眠りについた。
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