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第三章 転機

35. 変化の法則

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 凛月は、毎日を忙しく過ごしていた。
 宦官の子墨として峰風の助手を務める傍ら、後宮妃の欣怡シンイーとしてお茶会に出席するべく練習を始めた。
 端午節で舞を披露したことでもう体調不良ではないと認知されてしまい、尋常ではない数の招待状が宮に届いた。
 それを一々断るのも手間になってきたため、個々ではなく大人数のお茶会に一度だけ出席することにしたのだ。
  

 ◇


「明日は、欣怡妃が初めてお茶会に参加されるのだったな。舞は、披露される予定なのか?」

「予定はないと、聞いています」

 明日は助手の仕事を休みます。そう伝えた子墨へ、峰風は意外な質問をした。
 満月の日を十日後に控え、凛月は奉納舞の練習に余念がない。
 今日は宮に帰ってから久しぶりに通しで舞う予定だが、妃嬪たちの前で披露するつもりはない。
 宰相からも、要求されても断るようにと言われている。
 
「そうか……」

 峰風は、なぜかホッとしたような表情をした。

「ところで、欣怡妃は宮の中でも面紗をしておられるのだよな?」

「えっ、していませんよ」

「されていないだと!?」

 驚く峰風に、子墨のほうが驚いた。
 宮の中まで面紗など、絶対に遠慮したい。

「では、子墨は欣怡妃の顔を見たことがあるのか?」

「えっと……あります」

 自分の顔なので毎日見ています、と心の中だけで呟いておく。

「その……欣怡妃は、どのような方なのだ?」

「どのような方?」

 これはまた、難しい質問をされてしまった。
 平々凡々な自分のことを、どう説明すればいいのだろうか。
 子墨は返答に詰まる。

「ごく普通の方です」
 
「アハハ! 『ごく普通の方』は、褒め言葉ではないぞ……」

 峰風がお腹を抱えて笑っている。
 では、「見目麗しい御方です」と嘘を言えばよかったのだろうか。
 特徴的な髪色や目の色のことは口にできない。しかし、顔の作りは普通。
 他に例えようがないのだから、仕方ないのだ。

「答えづらい質問をして、悪かった」

 峰風の話は、ここで終わった。
 結局、この質問にどのような意図があったのか、子墨にはまったくわからなかった。

 
 ◇◇◇


「えっ、嘘!!」

 翌朝、宮に凛月の絶叫が響き渡る。
 姿が、銀髪・紫目に変わっていた。


 ◇


「欣怡様は、今日も面紗をしていらっしゃるのね」

「はい、申し訳ございません」

「いえ、貴女を責めているわけではないのよ! ただ、一度くらいはお顔を拝見したいなと思っただけですのよ、オホホ!」

(何か、ものすごく気を遣われている気がする) 

 今日のお茶会は、主に正四品の妃嬪たちが集まっている。
 端午節のときとは違い、お茶会では皆が欣怡に声をかけてくれる。
 しかし、まるで腫れ物に触るような雰囲気だ。

「端午節で披露された舞は、とても素晴らしかったですわ」

「ええ、本当に」

「ありがとうございます」

「舞の稽古は、毎日されていらっしゃるのかしら?」

「そうですね。練習を怠ると、上手く舞えなくなってしまいますので」

「やはり、日々の鍛錬が大事ということですわね。わたくしも、欣怡様を見習わなくては」

「わたくしも同感ですわ。ねえ、皆様?」

「「「「「はい!」」」」」

「ホホホ……(汗)」


 ◇


「疲れた……」

 お茶会が終わった。
 宮に戻るなり、凛月は長椅子に倒れ込む。精神的疲労がかなり激しい。
 これなら、一日中舞いの稽古をしていたほうがまだ楽だ。

「お疲れさまでした。でも、皆様の変わり身の早さには、笑いを堪えるのが大変でしたよ」

 欣怡の後ろにずっと控えていた瑾萱が、堪えきれずに笑い出した。

「他の妃嬪様方は、いずれ欣怡妃が雹華様に取って代わるのではないかと思っていらっしゃるようですね」

「取って代わるって、どういうこと? そんなこと、雹華様が許すはずないわ」

 あの気の強い御方が、黙っているはずがない。
 他人に取って代わられる前に、何かしらの行動を起こすに決まっている。

「雹華様は、貴妃を降格させられるかもしれませんね。噂では、端午節の件で皇帝陛下から謹慎を言い渡されたとか」

「えっ!?」

 そんな話は、いま初めて知った。お茶会でも、誰も噂をしていなかった。
 表向きは、体調不良により宮で静養しているとのこと。
 だが、欣怡に対する行動が皇帝の逆鱗に触れ、謹慎処分を言い渡されたからではないかと言われている。
 特に問題視されたのが、面紗を取ろうとした行為だと瑾萱は断言した。

「『欣怡妃が顔を隠しているのは、皇帝陛下以外の男性に顔を見られないようにしているため』と言われているにもかかわらず、雹華妃は大勢の前で実行しようとしました。これは、明らかな問題行動ですよ!」

「でも、それは宰相様が流した噂であって、事実ではないと皇帝陛下もご存じのはずよ」

「噂が事実かどうかは、関係ございません。裏も取らず確認もせず衝動的に行動しようとしたことが、貴妃に相応しくないと判断されたのでございます」

 瑾萱の言葉を、浩然が続ける。
 もし噂が事実だった場合、取り返しのつかないことを仕出かしたことになると言われたら、凛月も納得するしかない。

「凛月様が普通の後宮妃でしたら、今後皇帝陛下の寵愛を受けるようになり、徐々に位が上がっていく……なんてことも起こり得たでしょうが」

「私はただの巫女だから、ずーっと正四品のまま」

 平民の凛月には、今の位でも十分高すぎるのだ。

「今後、他の妃嬪様たちがどういう対応を取られるのか、楽しみです!」

 後宮の妃嬪たちの動向を、傍観者として純粋に楽しんでいる瑾萱。
 外廷の官女とは違い後宮の外には出られない女官は、こういう楽しみを見つけるしかないのです!と力説された凛月だった。

「とりあえず、お茶会の対応は終わった。で、問題はこれね」

 姿見に映る自分の顔を見る。

「満月の日でもないのにどうしてこの姿になったのか、やっぱり何かきっかけがあると思うけど……」

「そのことですが、今回の件で思い当たることがあります。前日に舞を舞われたことが、関係しているのではないでしょうか?」

 浩然の意外な意見に、凛月と瑾萱は顔を見合わせる。

「でも、凛月様はほぼ毎日舞の稽古をされていらっしゃるけど、姿は変わらなかったわよ?」

「それは、舞の一部分だけだから、と思う。俺の記憶では、凛月様が通しで舞われたのは『祭祀の前日と当日の奉納舞』、『端午節の剣舞』、『昨夜の奉納舞の稽古』だけだ」

 浩然の言う通り、普段の舞の稽古では個々の部分に注力している。
 凛月が個人的に苦手だと思っている回転や足の運びなどを、重点的に行っているのだ。
 昨日は、久しぶりにすべて通しで奉納舞を舞ってみた。

「そして、その翌日にすべて姿が変化された」

「浩然の説だと、『奉納舞で銀髪・紫目に変化』して『剣舞で黒髪・黒目に戻る』ことになる。満月の日だから姿が変化するのではなく、前日に通しで奉納舞を舞ったからだと」

 舞で姿が切り替わるなんて、そんなことがあるのだろうか。
 凛月自身も、半信半疑ではある。
 
 でも……

「凛月様、一度やってみましょう!」

「うん。試してみる価値はある」

 この姿が戻らなければ、また助手の仕事を休むことになってしまう。
 それだけは絶対に避けたい。桑園へ行くのを、凛月は非常に楽しみにしているのだから。
 さっそく、剣舞を通しで舞ってみた。
 そして翌日───姿は元に戻った。

 結果は、速やかに宰相へ報告される。
 その後送られてきた書簡には、あるお願いが書かれていた。


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