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1.巫女、人を呼ぶ
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「では、そろそろお昼になるので」
艶のある白地のなめらかな布。赤く細いラインの入った貫頭衣の小さなしわを直しながら、ラルコ・ウェイアイは腰を上げた。
「おつとめに感謝いたします。本日こそ、吉報を」
お付きの者であるイダハ・コミンが目を伏せがちにし、恭しく言って頭を垂れる。と言っても長きに渡る週間故、形ばかりになっていると言えなくもない。その証拠に、コミンの着ている物は清めの正装ではなく、洗いざらしのシャツに丈の長いスカートだった。かろうじてデザインや色合いは華美ではなく、灰色を基調とした抑えたものだが。
横戸を音もなく開け閉めして控えの間を出たラルコは、誰にも分からぬ程度の小さなため息をつく。
そろそろ結果を出さなくてはいけない。
ため息をやめて、決意の拳を握った。
しばらく廊下を行くと建物を出て、自然の光が差し込んでくる。等間隔に並ぶ真っ白な飛び石を八つ踏みしめ、渡り廊下へと移る。それは小さくて緩やかな眼鏡橋となっていて、涸れ川を越えて行く。着いた先は、洞窟が口を開けている。両サイドに鎮座する立派な門柱、赤く彩色されたその表面には細かな彫刻で金が入れられていた。
門柱の間をくぐると、椅子に座っていた男が腰を上げ、一礼した。巨漢とまでは行かないが、肩幅が広くてがっしりとした身体付きをしている。アイゲ・テンドー、年齢はラルコの一つ下、二十七歳。簡易な甲冑――革製の防具を首から下に完全装備し、腰掛けの傍らには鞘に収まった刀に兜まである。一見すると臨戦態勢だ。
「ご苦労様。いつものように、見えない位置に潜んでいて。いざというときはお願い」
「承知しました」
がらがら声で言ったテンドーは、自分の声に慌てたみたいに咳払いをした。待っている間に口の中が乾いてしまったようだ。柔らかな物腰で「承知しました」と言い直す様が、ラルコ・ウェイアイの微苦笑を誘う。多少、気が楽になった。
「つかぬことを聞くけれども」
奥へ進みながら、後ろのテンドーに声を掛ける。
「何でしょう?」
濡れた岩肌が露出し、空気も若干、湿り気を帯びる。それでいて空間には奥へと続く広がりがあるせいか、音がよく響く。
「最近、剣を振るったのはどのぐらい前なのかしら」
「それは実際の戦でという意味ですか、それとも人を斬ったという――」
「後者のつもりだったけれども、両方とも聞きたくなったわ」
「戦でしたら、小規模なのが散発的に起きていますから、時折、駆り出されて行きますが……もう一年近く戦場には立っていません。ああ、物のついでにお尋ねしてもよろしいですか」
「何なりと。ただ、あまり時間がないでしょうから、手短に」
「はい。もうひと月も前になりますが、『巫女様から口添えがあって、戦に出なくて済むようになったんじゃないのか』と仲間から冷やかされまして、どう応答していいのやら弱ったもので」
「口添えと呼べるほどのことはしていません。アイゲ・テンドーが従者を務めてくれると、心落ち着くと伝えただけです」
「それはつまり」
テンドーの台詞が途切れたのは、召喚の間に辿り着いたから。人の手はほとんど入っていないというのに、あつらえたような半球状のホールを形成している。その頂点には極小さな穴があいて外と通じているが、日の大半はそこから光が入ることはない。季節によって多少のずれはあるが、正午前後の数分間だけ、陽光が射し込んでくる。もちろん、天候が快晴か、少なくとも雲の少ない晴れであればだが。
ホールの内側の岩どもは、射し込んだ光を幾度か複雑に反射させて、空間を明るくする。そればかりか、一部をかげろうか幻のように浮かび上がらせるのだ。ちょうど、平らで大きな石が横たわる、舞台に見立て得る位置のすぐ上を。
「すみません、時間がないですね。もっと早口でしゃべればよかった」
「そんながっかりするものじゃないでしょ。おしゃべりなら、またいつでもできるから」
「よろしいんですか」
びっくり眼になっているテンドーを、ラルコは容易に想像できた。振り返らずに、「さあ、いつもの場所に立って。危ないと思ったら出て来てください」とやや命令口調で告げた。
肩越しにちらりと覗き見し、テンドーが待機場所に収まったのを確認してから、ラルコは例の石舞台にしずしずと歩み寄る。そして恭しくも勿体ぶった手つきで、大きな布を広げる動作をした。そう、動作だけで、布そのものは存在しない。
だが、ラルコがその存在しない布を、石舞台に被せ終わると、たちまちにして変化が表面化した。先ほどまで何もなかった平らな石の上に、巨大な浮き輪のような物体が鎮座しているのだ。布地で作った円筒に、柔らかでバネのような弾力性と反発力を兼ね備えた蔓草を詰め込み、ぐるっと輪っかにした物。
この世とは異なる別世界から異界人を呼ぶための道具、ということになっているが、実用的な意味で言うとクッションの役目を果たす。この空間に召喚するだけなら、宙に特別な魔法陣を指で切り、呪文を唱えればまず成功する。
さあ、今日こそは。
気合いを入れてから、ラルコは目を瞑って陣を切り、呪文を唱え始めた。
「エル・ハタ・ロキ・カンボ・ラノ・オミ・マリ――」
艶のある白地のなめらかな布。赤く細いラインの入った貫頭衣の小さなしわを直しながら、ラルコ・ウェイアイは腰を上げた。
「おつとめに感謝いたします。本日こそ、吉報を」
お付きの者であるイダハ・コミンが目を伏せがちにし、恭しく言って頭を垂れる。と言っても長きに渡る週間故、形ばかりになっていると言えなくもない。その証拠に、コミンの着ている物は清めの正装ではなく、洗いざらしのシャツに丈の長いスカートだった。かろうじてデザインや色合いは華美ではなく、灰色を基調とした抑えたものだが。
横戸を音もなく開け閉めして控えの間を出たラルコは、誰にも分からぬ程度の小さなため息をつく。
そろそろ結果を出さなくてはいけない。
ため息をやめて、決意の拳を握った。
しばらく廊下を行くと建物を出て、自然の光が差し込んでくる。等間隔に並ぶ真っ白な飛び石を八つ踏みしめ、渡り廊下へと移る。それは小さくて緩やかな眼鏡橋となっていて、涸れ川を越えて行く。着いた先は、洞窟が口を開けている。両サイドに鎮座する立派な門柱、赤く彩色されたその表面には細かな彫刻で金が入れられていた。
門柱の間をくぐると、椅子に座っていた男が腰を上げ、一礼した。巨漢とまでは行かないが、肩幅が広くてがっしりとした身体付きをしている。アイゲ・テンドー、年齢はラルコの一つ下、二十七歳。簡易な甲冑――革製の防具を首から下に完全装備し、腰掛けの傍らには鞘に収まった刀に兜まである。一見すると臨戦態勢だ。
「ご苦労様。いつものように、見えない位置に潜んでいて。いざというときはお願い」
「承知しました」
がらがら声で言ったテンドーは、自分の声に慌てたみたいに咳払いをした。待っている間に口の中が乾いてしまったようだ。柔らかな物腰で「承知しました」と言い直す様が、ラルコ・ウェイアイの微苦笑を誘う。多少、気が楽になった。
「つかぬことを聞くけれども」
奥へ進みながら、後ろのテンドーに声を掛ける。
「何でしょう?」
濡れた岩肌が露出し、空気も若干、湿り気を帯びる。それでいて空間には奥へと続く広がりがあるせいか、音がよく響く。
「最近、剣を振るったのはどのぐらい前なのかしら」
「それは実際の戦でという意味ですか、それとも人を斬ったという――」
「後者のつもりだったけれども、両方とも聞きたくなったわ」
「戦でしたら、小規模なのが散発的に起きていますから、時折、駆り出されて行きますが……もう一年近く戦場には立っていません。ああ、物のついでにお尋ねしてもよろしいですか」
「何なりと。ただ、あまり時間がないでしょうから、手短に」
「はい。もうひと月も前になりますが、『巫女様から口添えがあって、戦に出なくて済むようになったんじゃないのか』と仲間から冷やかされまして、どう応答していいのやら弱ったもので」
「口添えと呼べるほどのことはしていません。アイゲ・テンドーが従者を務めてくれると、心落ち着くと伝えただけです」
「それはつまり」
テンドーの台詞が途切れたのは、召喚の間に辿り着いたから。人の手はほとんど入っていないというのに、あつらえたような半球状のホールを形成している。その頂点には極小さな穴があいて外と通じているが、日の大半はそこから光が入ることはない。季節によって多少のずれはあるが、正午前後の数分間だけ、陽光が射し込んでくる。もちろん、天候が快晴か、少なくとも雲の少ない晴れであればだが。
ホールの内側の岩どもは、射し込んだ光を幾度か複雑に反射させて、空間を明るくする。そればかりか、一部をかげろうか幻のように浮かび上がらせるのだ。ちょうど、平らで大きな石が横たわる、舞台に見立て得る位置のすぐ上を。
「すみません、時間がないですね。もっと早口でしゃべればよかった」
「そんながっかりするものじゃないでしょ。おしゃべりなら、またいつでもできるから」
「よろしいんですか」
びっくり眼になっているテンドーを、ラルコは容易に想像できた。振り返らずに、「さあ、いつもの場所に立って。危ないと思ったら出て来てください」とやや命令口調で告げた。
肩越しにちらりと覗き見し、テンドーが待機場所に収まったのを確認してから、ラルコは例の石舞台にしずしずと歩み寄る。そして恭しくも勿体ぶった手つきで、大きな布を広げる動作をした。そう、動作だけで、布そのものは存在しない。
だが、ラルコがその存在しない布を、石舞台に被せ終わると、たちまちにして変化が表面化した。先ほどまで何もなかった平らな石の上に、巨大な浮き輪のような物体が鎮座しているのだ。布地で作った円筒に、柔らかでバネのような弾力性と反発力を兼ね備えた蔓草を詰め込み、ぐるっと輪っかにした物。
この世とは異なる別世界から異界人を呼ぶための道具、ということになっているが、実用的な意味で言うとクッションの役目を果たす。この空間に召喚するだけなら、宙に特別な魔法陣を指で切り、呪文を唱えればまず成功する。
さあ、今日こそは。
気合いを入れてから、ラルコは目を瞑って陣を切り、呪文を唱え始めた。
「エル・ハタ・ロキ・カンボ・ラノ・オミ・マリ――」
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